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天空の門



その石は雷に打たれたように、時空の帳が切り裂かれていた...

刻まれた記憶が空へと解き放たれたかのようにその表面に浮遊し、まだ温かな心臓のように脈打ちながら、それは眠っていた記憶が目を覚ました生命体のような気配を漂わせていた。

穿たれた時空の裂け目のように存在しているそれは、古代文字を思わせるその姿のなかに口を開け、新たな時空を呼吸するように脈動している。雷に打たれた振動を今も生きながら、この石はその呼吸とともに甦った記憶を歌っているようだった...

その古代文字を聴くようにそっと手を触れながら、私は脈動する歌の呼吸と自分の呼吸を同調させ、その歌を身体のなかに浸透させていった。その振動とともに私の意識体の一滴が、穿たれた穴のなかに落ちていった...

意識だけが浮遊する感覚のなかで、私は遠ざかってゆく自分の姿を見ていた。切り取られた青空のなかに私の身体は沈み、穿たれた穴は光輝きながら濃縮された蒼を囲んで遠ざかっていった。それはまるで金環食のように丸みを帯びてゆき、やがて日食が終わるようにそれはひとつの太陽として輝きを増していった。

石のなかに落ちた私の一滴は、地下に在るもうひとつの空に浮遊していた。仰向けに落ちてゆく感覚のなかで、在るのは青い空と太陽だけ...
背中の感覚はやがて濃密になり、透明な微粒子に包まれている感覚へと変わっていった。

そこが海だと気付いたのは遠い記憶の所為だろうか...さざ波の向こうから近づいては遠のいてゆく潮騒のような記憶のなかで私は、何者かの息吹きのようなものを感じていた。それはあの古代文字の感触のなかに聴いた歌そのものだった。私は氷の結晶と共に浮遊している...微粒子の結晶がさざ波のなかで触れ合い、やがて私はその煌びやかな眩しい音楽のなかに沈んでいった...

記憶の水底のなかで私は、蒼い空に描かれた波を遠くに見ていた...それはまるで空に記された楽譜のようにゆったりと流れ、雲のように姿を変えてゆく...それはまた、遠くでありながらも私の一滴が震えているという体感であり、生きているという意識体の感触そのものだった。

やがて水の微粒子は希薄になり、海は蒼い天空を透かしてその底からは幾筋もの滝となって流れ落ちていた...蒼穹に記された楽譜の流れは、太陽のひかりを呼吸したクリスタルのように輝き、壮麗な響きを放ちながら流れ落ちている...一滴としてのわたしはその音楽を… 観ていた...

「観ている...」 それは身体という制約された感覚器官から解放されたヴァイブレーションの色彩体感そのものだった...一滴のわたしと蒼穹の彼方にいる私が、あの古代文字を通してこの振動を共に生きている… という実感がクオリアとして響き合っている...このふたつの幻を繋ぐものの「響き」のなかに私は在る...

天地還流の息吹きは途切れることのない音楽を描いてゆく。私はいま、この石が宿した記憶の息吹きを生きているのかもしれない...
それは時間の海に浮かぶ未来の記憶であろうか...或いはまた嘗て海に沈んだ古代の記憶であったろうか...

やがて私の一滴は、ゆっくりと大きな岩の上に着地した。
大地を覆う樹々たちは共に記憶の息吹きを呼吸し、新たな歌を天空の海へ届けていた。私はその歌を見送りながら刻まれた文字のなかに沈んでいった。


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