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自分らしさの探求

パンテーンのトランスジェンダーのCMが好き。

スキップできるのに見てしまう。自分らしさを隠さず生きている人は好き。自分らしさを隠しながら生きるのも、それはそれで理由がある。でも、隠しながら生きていると、隠したものを見失ってしまう。

自分らしさの喪失。もともとあったのに、失う。

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自分らしさは、たしかに、過去に存在した。それが最初からなかった人はいないと思う。人にはない感性で感じ、人にはない方法で表現した、それ。それを自分らしさと自覚していないことは、あるかもしれない。人と似ているなあ、というのもまた自分らしさ。その部分が人と似ていることが、ほかの人にはやりづらい。

自分らしさをどこに置いてきてしまったかなあ。

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まわりとうまくやるために、自分らしさにベールを被せる必要があるときもある。それはちゃんとした戦略。自分らしさを後生大事にして、周囲の人の意見に耳を貸さず、ギクシャクしてしまったら、周囲と協働してなそうというそのプロジェクトも頓挫してしまう。これでは本末転倒だ。

大切にしたい自分がいるけれど、それを他人の自分らしさに優先してまで大事にするべきかは、自分が最終的に成したいものの大きさにかかわってくる。真の目的はなにか、見失わないことが、目的達成につながる。

それでも、先手を打ちすぎて、予防的に、自分を殺して他人を立てて、大きなことを成そうというのだったら……その大きなことの内容や大きさにもよるけど……自分をどこへやってしまうの?

自分は、この一人分の体と思考しか持っていない。代わりに誰かがやってくれるものでもない。

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自分の体や思考を尊重するかどうか。

たしかに代わりになってくれる人はいなくとも、自分のような行動や思考をする人が、世界に必要なのか考えてみる。

その考えが世界のどこかの人々、できれば多くの人々にとって有用なら、それは、失っていはいけない、尊重すべきもののようにみえる。自分がこれをやることで、人々のしあわせの総量を少しでも押しあげることができるなら、やったほうがよい。そうでないなら……

自分が多少なりとも信頼や名声や、お金を、得るために、自分がそれらを得るということのために、自分らしさを殺して、自分とは別個体である大きな成すべきことに捧げるのは、必ずしも自分を無駄にすることではないように思う。または、自分らしさを殺して、自分を、自分がすでにその一部となっている大きな成すべきことに捧げるのは、自分の人生にとって非常に報いる行動なのではないかと思う。

それでも、私は、それを苦しいと感じる。

自分のような行動や思考をする人が、世界に必要ではないかもしれない。自分は、他人の、あるいは大きな成すべきことの一部となって、大きな成すべきことが成されるのを助けつつ、見守れば、それが生まれてきたことの意義なのではないか。

意義。

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感性豊かな頃は、「私はこれをするために生まれてきた」という感覚が何度か襲ってきたけれど、年を重ねて感性が鈍くなるにつれて、逆のことをするようになった。「私はこれをするために生まれてきた」という名目のもとに、凡庸な感覚に溺れていたように思う。このビールの、このちょっと嗅げるこの香りの機微が、感じられない人はかわいそう、私はいまこれを存分に享受している。

ちがう。

「私はこれをするために生まれてきた」という感覚は、幻想だったのだろうか。それをやればまたその感覚に陥るのか、試してみたいけど、飼いならされた社会人にはそれを思い出す時間も、心の隙間もない。

生まれてきたことに目的なんかないし、天命ももちろん、ない。それはわかっている。すべてはDNAの不変性・可変性・再現性によって定められた経過であり、目的があったらなあ、とか、天命があるのであるとか、それですらDNAの繰りだす奇術の一端でしかない。

人生に目的などはなく、神に命ぜられた使命もない。人生に目的を作って目的に邁進することも、神に命ぜられた夢を見て使命達成に精進することも、すべてがそれだ、DNAのなせるわざだ。わざだし、DNA自身、それを意図して繰りだしているわけでもないのだから、世界は虚無にあふれている。

根幹がない思想。

自分らしさは、それに相反する思想。

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自分らしさを忘れてしまった人間からしてみたら、自分らしさの虚実の度合とか、それがどれだけの情熱をうむとか、そんなこともはや念頭に浮かばないけれど、自分らしさそれ自体は、本当に強力で、確固たる存在で、それ自体が出発点となるもの。

トランスジェンダーにおける自分らしさが、どれほどの強さか、それに抗うことがどれだけの苦痛か、経験のない私には知りようがない。けれど、自分らしさを失うことを、悲しいと思う程度には、私(自分らしさとしての私)はまだ生きているようである。

それで、美しいと感じる。自分を偽らない人を。


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