Base Ball Bear鑑賞『GHOST TOWN』 アルバム『二十九歳』と社会人の「普通」

 23歳くらいでこのnote書き始めたんですけど(最初ははてなblogでした)、だいぶ序盤からペースギャン落ちで、まだ大した記事数ないのにもう今28歳ですわ。今では年2~3回更新のカスnoteになってしまった。本当はもっと更新したいとは思っている、今年29歳になる社会人です。そんな私が今回はアルバム『二十九歳』から『GHOST TOWN』の解釈やレビューを書きたいと思います。

 まず、アルバム『二十九歳』について大まかなテーマやコンセプトを知りたいなら、このインタビューがおすすめです。そして、僕が特に重要だと感じる点は、2ページ目の小出氏の以下の発言です。

今回のアルバムにはアンサーがないんです。もうそのままでいいというか。僕の漠然とした考え方や曖昧な世界への捉え方をそのまま描こう、それが僕の“普通”だって。

https://natalie.mu/music/pp/bbb06/page/2

 アルバム『二十九歳』でやっているのはエッジのきいたギターロックだというわけです。これは私の考える本当にロック音楽の歌詞の条件ですが、
「演奏者本人が実際に感じていること・考えていること・歌いたいことを歌うということ」
が挙げられると思っています。
 たとえばボカロ曲とかでよくある表現方法ですが、架空の物語を描写する系の歌詞なんかだと、これを感じられるものもあれば、そうではないものもあります。もちろん、そうではなくても好きな曲はたくさんあるんですが、ロックな音楽だとはあまり感じません。いや、もちろんその場合ロックであるかどうかなんて、作者にとってもリスナーにとっても大した問題じゃないとも思いますけど。

 で、そういう意味ではこの「アンサーがない」というのは、変な言い方ですけど小出氏の頭の良さというか、世界を見る解像度の高さというか、そういった壮大な思慮深さゆえのロックな表現だと思います。実際、世の中のことも自分自身のことも、白黒はっきりつけられるものなんて本当はまあ少ないと思います。でも人間は社会で何かしらの役割を果たしながら生きていかなければいけないので、白か黒か、せめて白か黒かグレーかくらいは仕組み上決めなくてはいけないものだったりもします。本当はどっちともつかないけれど、どれかの選択をしなければならないので仮の選択をして、揺れ動いたり不安に苛まれたりするものです。
 世の中のいろいろな商業作品では、やはり白か黒どちらかを選んだ聴衆へ向けて、同じく白か黒どちらかを分かりやすく示して共感できるものが多くなってくるのは仕方のないことだと思います。その現象自体をくだらないとかは全く思いません。

 ただ、アートというのはその仕組みや制度を超えていけるものだと思います。私はどうしてもそういう作品にアツさを感じます。そもそもこんな文章を書いたりもしてしまう面倒くさい私は、商業作品のような分かりやすさよりも、それを超えたリアルさにバンドとしての生き様やカッコ良さを感じるし、ロックだと感じます。この『GHOST TOWN』でも、この曲にあるのはやはり「アンサー」ではなく「リアル」なわけです。

美容師を目指したあいつも モデルになりたかったあの子も
医者を志した彼も みんなみんな幽霊になった

 ここで言う「幽霊になった」というのは、志半ばで諦めてしまった、という意味ではないと私は思います。むしろ、美容師にもモデルにも医者にもなっている気がします。
 白と黒を決めかねながらも思考を続けてもがきながらもリアルを生きていた感じが、教室というバーチャル社会で何かを目指していた時にはあったんだと思います。ただ、29歳の今周りを見てみると、そんな素晴らしきリアルを生きている人は少なく、リアルを示すはずのロックバンドも、気づけば分かりやすいアンサーばかりを供給している。そんな「素晴らしきリアル」みたいなものが失われた様子を称して「Ghost Town」と言っているのではないでしょうか。

ここじゃないどこかへ逃げ出そうぜ
僕がまだ僕でいるうちに
…ここじゃないどこかってどこだい?
Run Run Run…

 そんな「Ghost Town」には、素晴らしきリアルに価値を見出していた僕らも、気を抜いたら飲みこまれるかもしれません。アンサーが決まらない不安を抱えながらも、白と黒を決めきらないで思考し続けるからこそ素晴らしきリアルを感じられると思います。ただ、社会人をやってるとどこかのタイミングで、暫定のアンサーで満足なんだと自分を思い込ませて安心したい心理は働くと思います。これはまさに29歳とかをはじめ、20~30代そこらで社会人やっていたら思うことなんじゃないですかね。
 素晴らしきリアルと不安を抱え続けながら走ることに疲れて、本当はそうなりたくなかったのに仮のアンサーに甘んじてしまうのは、ロックの精神とは異なるものだと思います。
 その精神を実現したいのなら、心臓の真ん中まで社会人ゾンビにならないうちに、逃げ出すしかないかもしれません。ただ、その逃げた先にもゾンビは蔓延っているかもしれないし、そもそも逃げる先が見つからないこともあるかもしれない、せっかく逃げてもすぐにアンサー甘んじゾンビになってしまうかもしれない。それでもやっぱり、素晴らしきリアルを追い求めるならどこかに走り続けるしかないんだろうなと思います。そうして走り続けている不安定な様こそ、まさにロックだと思います。

 そんなところです。ちなみに曲調はスティービーワンダー(原曲)やレッドホットチリペッパーズの『Higher Ground』を彷彿させる感じですよね。

 アルバム『二十九歳』では、曲と歌詞は分離して作ったと言っていますが、『Higher Ground』の歌詞にも似た感性がある気がしています。歌詞の1節目も「People keep on learnin'」といった感じで。「my highest ground」に辿り着くまで、ずっと何かの途中であるのが、やっぱり本当のリアルなんだと思いました。以上。

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