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【眷属にしていいよ】ストロベリーフィールド【BL新刊試し読み】

 冷蔵庫の中の血液パックは、とうに尽き果てていた。
 おれはと言うと、馬乗りになっておれを見下ろす男の、月明かりに照らされた青白い頬を見ている。直毛の黒髪が闇夜にきらめいて、時折銀色のようにも見えた。おれを押さえつけるか細い腕はわずかに震えていて、少し長い前髪の隙間からのぞく黒い瞳は、怯えを帯びながらも、時折懸命に瞬いてこちらを見つめている。

「眷属にしていいよ」

 震える唇が、小さく言葉を紡いだ。正常さをうしなっていることは、すぐに見てとれた。こんな子供の口車に乗るほどおれは落ちぶれていない。
 おれのシャツの襟ぐりをつかむ弱々しい手をつかみ、そっと引き剥がした。

「どうして」
「それはおれのセリフだ、朝長ともなが

 朝長真幸ともながまさきは、影の薄いクラスメイトだった。制服の詰め襟が窮屈なのか、教室の隅っこで息を殺すように静かに座っている、そんな男。クラスメイトとろくに会話をしているところも見ないので、こいつがこんなに声が高いことをおれは今更知った。

間宵まよいくんはおかしいんだ」
「なにが」
「いつからぼくのクラスに居た。一学期には居なかったはずだ」
「たまに居るんだよな、おまえみたいに暗示が解けやすいやつ」

 最近、〝食事〟ができていなかったせいだろうか。
 朝長は、おれが異物である証拠をつらつらと得意げに並べ立てた。陽が出ていない日しか登校していないこと。それに教師もクラスメイトも特に疑問を持っていないこと。窓ガラスや鏡に姿が反射しないこと。不思議なくらい瞳が赤いこと。

「正体をバラされたくなければ、ぼくの血を吸うんだな」
「だれに?」

 ついさっきまで自信満々だった、黒い瞳が不安そうに揺れる。心拍数上昇、わずかな発汗。詰め襟のボタンを外そうとした指が止まる。

「おまえが何を言ったところで、誰が信じるんだろうな」

 確かに、おれが何者であるかがクラスメイトや教師にでも知れれば、少しは面倒なことになる。だが、吹聴するにも発言力のある人間でなければ意味がない。クラスカースト最下位と言っても過言ではない男には、到底無理な芸当だろう。
 朝長が不法侵入してきた開けっぱなしの掃き出し窓から風が吹き込んで、カーテンが大きく揺れた。寒い。

「ほら、ガキは家に帰れ」

 そして窓を閉めさせてくれ。

「帰らない」

 腕を引いて立たせようとするが、すぐに振りほどかれる。
 帰れ、帰らない、という押し問答をしばらくの間続けたが、朝長は頑として動かず、ついには座り込んでしまった。頭が痛くなってきた。
 暗示をかけて帰らせてもいいが、飢餓状態でむやみに力を使うのは避けたい。と言うか、そんな気力ももう残っていない。なんとかして早く帰ってもらいたいところだが、何もかも面倒になってきた。床に座り込んでいる朝長の肩が震えている。ひとまず、窓は閉めてしまおう。
 無駄な体力を消耗したくない。朝長を素通りしてベッドに体を預けると、マジかこいつ、とでも言うような目でこちらを見てくる。おれも同じ目でおまえを見てやりたい。

「……聞かないの」
「なにを」
「なんで血を吸ってほしいのか、とかさ」

 沈黙に耐えかねたのか、自分から話題を振ってくる。

「どうでもいいし、興味ない」

 さっきから、空腹を紛らわすための方法ばかり考えている。
 スマホを取り出して、フリマアプリを開いた。兎にも角にも、連絡が取れなくなってしまった取引相手の代わりに、新しい血液パック提供者を探さなくてはならない。

「据え膳食わぬは、ってやつじゃないの? 今の状況」
「あのなぁ」

 朝長はめげずに詰め襟のボタンを外して、不健康そうな首筋をさらけ出してにじりよってくる。一刻も早く、目の前から居なくなってもらいたい。

「さすがに、面識のある人間の血を吸うのはおれだって気まずい」
「そういうものなんだ」
「そ。おれはもう寝る」
「えっ」

 帰らないと言うなら仕方ない。
 強制的に会話をシャットダウンし、目を閉じる。幸いにも、新しい取引相手はすぐに見つかった。数日後には、新しい〝食糧〟が届くだろう。
 朝長は、最初は何かもごもご言っていたが、こちらが完全に無視を決め込んでいると、観念したのか、ソファを勝手に寝床にしたらしい。しばらくすると静かに寝息を立て始めた。帰らないというのは、どうやら本当らしかった。

 新しい血液パックはすぐに届いた。飢餓状態はなれっこだが、その気になればすぐにありつける〝食糧〟を横目に飢えをしのぐのは相当きつかった。
 包みを開けて、血液パックを手に取る。久しぶりの食事に喉が鳴る。おれがそれに口をつけ始めると、朝長が横で小さく「ほんものだ」とつぶやいた。今まで本物だと思ってなかったのか。失礼な。
 朝長は我が物顔で冷蔵庫からプリンを取り出して食べ始めた。おれが口しのぎにストックしていたものだ。

「おまえさ、もういい加減帰れば」

 身体中に栄養が行き渡って、揺り戻しで少し頭がクラクラしたが、気持ちに余裕が生まれてきた。全く帰る気配のないクラスメイトに、そろそろ口を出したくなってきたのだ。

「人間は、一匹居なくなるだけでも大騒ぎするだろ」

 行方不明、誘拐、失踪。人間は社会の中で生きている。面倒くさいしがらみに縛られて生きる姿は同情しないでもないが、勝手に棲みついておいて巻き込まれるのは理不尽極まりない。

「しないよ」

 だから、そんな心配しなくていいよ、と、朝長は表情を消して言った。決して心配して声をかけたわけではなかったのだが、なんにせよ、このままこうしているわけにもいくまい。時刻は夜。

「じゃぁまぁ、買いものでも行くか」
「は?」

 ここ数日、朝長はまともな食事をとっていない。当然だ、おれと朝長では主食が異なる。
 人間用の食糧も口しのぎとして少量ストックしているが、あくまでも一時しのぎのためだけに置いているので、すぐに尽きるし、何より人間が摂取するにはあまりにも栄養が偏っている。元々よくはないが、朝長の顔色もより悪くなってきている。
 スーパーに陳列されている新鮮そうな野菜を選んで手に取ると、「料理とかできるんだ」と朝長がつぶやいた。

「何年生きてると思ってる」
「え……百年くらい?」
「さぁな」

 永遠に続くようにも思えるような時間を過ごすうち、退屈を紛らわすために人の世に紛れて、次第に人間のように暮らすようになった。その日暮らしの狩りは疲れるし、住処がなくては休まらない。圧倒的に人間が支配しているこの社会をうまく生きるには、人間のふりをするしかないのだ。いつまで続くかわからない日々を過ごすなら、細く長い安定供給が大切なのだから。

「じゃぁ、なおさらぼくの血を吸えばいいじゃん。それこそ安定供給ってやつ?」
「安定供給する気があるような体躯には見えないな」

 〝食糧〟とするかどうかは置いておいて、勝手に死なれても困るし、せめて十分な栄養を与える必要がある。

「人間はすぐ死ぬからな」

 必要な材料をそろえて、キッチンに立つ。退屈しのぎの一環として覚えた料理だが、こういうときは役に立つのだ。
 まずは肉だ。塊肉を豪快にぶつ切りにし、油を少量しいた鍋に入れて(おれが食えなくなるのでニンニクは入れない)、軽く焼き目がついたら、いったん皿にでも取り出しておく。同じ鍋でタマネギが飴色になるまで根気強く炒め、そこに一口大に切った根菜を加え、油を行き渡らせる。水を入れて、沸騰したら野菜が柔らかくなるまで煮込む。一度火を止めてルーを割り入れて溶かす。とろみがついたら、焼いた肉を戻し入れて一煮立ちさせ、味見をしながら隠し味に醤油を回し入れる。炊いておいた米飯を器に盛り、できあがったものを上からかければ、人間の子供がみんな大好きな食べ物のできあがりだ。

「子供はみんなカレー好きだと思ってる?」
「好きだろう?」
「好きだけどさ」

 じゃぁいいだろ。
 二人分のカレーライスとサラダと水を食卓に並べる。さて、とそろって席についたところで、何をやっているんだおれは、という気持ちがわいてきたがもう遅い。
 目の前に座る朝長が、手を合わせた後、スプーンでカレーをひとすくいして口に運んだ。
 他者と絆を育む最短ルートは、食事を共にすることだ。同じ釜の飯を食うとはよく言ったもの。理解していたはずなのに、施さずにはいられなかったのは、この数日で、おれも少なからず絆されてしまっているからかもしれない。
 情がわいてしまうから、深入りしないようにと決めていたのに。

「……おいしい」

 ――餌付けしてどうする!
こわばっていた朝長の表情が、ゆるんだように見えた。
 緊張が解けたのか、カレーライスを食べ進めながら、朝長は〝なんでもない身の上話〟をぽつりぽつりとこぼし始めた。
 仕事ばかりでろくに家に帰ってこない両親のこと。夫婦仲は冷え切っていて、お互い外に恋人を作っていること。特別な才能に恵まれず、平凡で仕方がない自分のこと。誰かの手作りの食事なんて、もう何年も口にしていなかったこと。十数年の人生のうち、親に褒められた記憶が一切ないこと。両親の離婚が決まったこと。自分がもっと愛される子供だったら、家族は離れることがなかったかもしれないと、どうしても考えてしまうこと。

「よくある話だけどさ」

 そんなふうに、朝長は自嘲的に話を締めた。

「きみに眷属にしてもらえれば、特別になれるような気がしちゃったんだよね」

 このままつまんない人生過ごすよりも、ずっと楽しそうじゃん? なんて茶化してスプーンを揺らす指は、少し震えている。

「……無理して笑わなくていい」

 なんだか見ていられなくて、思わずそう声をかけてしまうと、朝長は大きく目を開き、そして、堰を切ったようにさめざめと涙をこぼし始めた。
 どうやら、もう手遅れだったみたいだ。


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