見出し画像

幻想的空想的妄想的ジブリ解釈(『アーヤと魔女』編)3

『アーヤと魔女』の謎 〜その3・最終回〜
 
《このシリーズは、すでに視聴されている方を対象としています。ご容赦ください。》
登場人物
 アーヤ・ツール〜 魔女の娘。赤ちゃんの時に、子どもの家に預けられる。10歳の時に、魔女のベラ・ヤーガに引き取られ、呪文作りにこき使われる。
 ベラ・ヤーガ 〜 魔女。アーヤを子どもの家から引き取り、こき使う。アーヤに命令し、呪文作りの下働きや掃除をさせる。
 マンドレーク 〜 魔法使い。いつも、イライラして気に入らないと巨大になり怒る。小説を書くが、酷評されたり、自分の好きなものを否定されたりすると烈火の如く怒り、不機嫌になる。
 カスタード 〜 子どもの家でいつも一緒にいる男の子。子分のような存在。少し臆病。
 トーマス  〜 しゃべる黒猫。アーヤの味方になるが、怖がり。
 
 前回から、アニメについての想像、空想、妄想を少しずつ紹介していきましたが、今回もその続きです。
 
【考えてみました・その2】
●原作との違い
 原作にないシーンを見てみると、アーヤのお母さんに関わるところと、EARWIGの音楽に関連するところ、マンドレークの作家の部分が付け加わっています。また、アーヤとカスタードが本を読むシーンも追加されています。それぞれアーヤはコナン・ドイル、カスタードは、R.A.ハインラインを読んでいます。アーヤはエンドロールでも、コナン・ドイルの『恐怖の谷』を読んでいて、推理小説の話もアニメ中でしています。カスタードは初めの方で、施設の棟に上がる時、火星人の話でハインラインの名前を出しています。
 音楽と本について、ジブリアニメは原作にないシーンを描き込んでいて、何かの意味を持たせているようです。
 
●EARWIGと音楽
 EARWIGの音楽が流れる時に、またそれ以後に何が起こっているのかを見てみましょう。
 EARWIGは「アヤツル」と言う意味です。アーヤがこの音楽を鳴らす時、また、背後でこの音楽が鳴っている時、何が進行しているのかを見てみますと、その後のヤーガへの反撃が準備されていることが分かります。いわば、権威やしきたり、強制に対する反撃や抵抗の音楽のように見えます。
 物語の最初に、アーヤの母がバイクに乗って移動している時に、赤ちゃんのアーヤがEARWIGと書かれたテープを持っていて、EARWIGの歌が流れます。アーヤの母は、魔女たちのしきたりから逃れる最中です。
 また、ヤーガに手が生える呪文をかけるために、ヤーガの人形に手をつける場面で、EARWIGの音楽がなっています。
 
●アーヤの「アヤツル」手続き
 「アヤツル」というと、どうも人をモノのように、あるいは子分のように操作し、他人を自分の欲望を実現するための手段にする、というように受け取られがちです。しかし、この「アヤツル」という言葉は、「良好なコミュニケーションを実現し、自分の生活環境をより良くしていく」というような意味に置き換えることが可能です。そう置き換えると、良好なコミュニケーションはどのようにしたら実現するのだろうか、ということを考えるヒントになるように思えます。そこで、アーヤが実行していることを列挙してみましょう。
 
・良好な関係を築く相手をよく観察する。
・相手の発言や行動をよく観察して、何に興味があるのか、何が得意なのか、また何を望んでいるのかなど、相手の特徴を把握する。
・そのために、相手がどのように行動しているか、どのような発言をしているかを注意深く見たり聞いたりして、情報収集をする。人間観察の匠!(もちろん、まだ子どもなので、自分の世界に浸り、相手の言うことを聞き逃すことはありますが。)
 
 アーヤが読んでいる本は、推理小説で、しかも、シャーロック・ホームズの『バスカヴィル家の犬』、『恐怖の谷』です。ホームズの推理の土台となるものは、観察です。そこから新しい情報が生み出され、次の探偵行動の基礎になります。
 アーヤは、相手の興味あること、相手の得意なことの話題を提供します。相手を否定したり、邪魔扱いしたりせず、発言によって行動を共にするように促すのです。
 ヤーガはアーヤに命令するだけで、理由も説明しないし、相手の意思も確認しません。しかし、アーヤとトーマスが共同作業する時は、共に一つの方向に向かうような心情(自分を守る、ヤーガに一泡吹かせる)が前提になっています。それ以前に、カスタードとの行動も、カスタードとの心理的共有が行動の基盤にあるので、子どもの家をアーヤが去る時は、カスタードはとても悲しんでいます。カスタードだけではないでしょうけれど。
 
●大人批判と人との関わり方
 この『アーヤと魔女』は、痛烈な大人批判がある一方、そうした変な大人やダメ大人と付き合わなければならない場合に、どのように行動すればいいのか、ということをかなり楽観的に描いているかもしれません。実際には現実にそうした親や教師に苦しんでいる子どもたちからしたら、そう簡単に自分達の問題を解決できるとも思えないけれど、ひとかけらの希望を提供してくれてはいるのではないかと思われます。
 アーヤの図太さは、なかなか真似できないかもしれないですが、アーヤのような観察力、発言の仕方は、少しだけ真似できるような気がします。アーヤとは違って、周りを見る力を失うと、そして人間に興味を失うと、自分に降りかかった生活の問題、人生の問題は、自分を押しつぶすことになるでしょう。しかしアーヤの力の十分の一くらいでも、実践できると、現実が少しだけ変わり、そして、自分が少しだけ変化できるような気がするのです。「心が変われば、言葉が変わる。言葉が変われば、行動が変わる。行動が変われば、習慣が変わる。……」というように。
 
●アーヤの「魔法」
 このアニメでは、アーヤの特技は、人間関係の改善であり、それが魔法を使う人を相手にしても、付き合い方を変える力を持っている、ということでしょう。
 アーヤの力は、魔法使いをも凌駕することになります。魔法を使う人をもコントロールする力と言えるでしょう。アーヤの力は、問題解決力そのものであると考えられます。それは、人間関係を改善する魔法であり、魔法のうちでも最強のもの、ということが分かります。
 ベラ・ヤーガは、魔法と命令で人を支配しようとします。また、マンドレークも魔法と怒りで人を支配しているように見えます。しかし、アーヤは、違います。魔法の真似事をすることもありますが、本来の能力は言葉と行動のみです。
 ヤーガに魔法を依頼する大人たちの人間性と能力は、ヤーガにさえ呆れられるものですが、仕事のため表面的には、仕方なくお客様扱いして丁寧に対応しています。このアニメで登場する大人たちは、子どもの家の職員の人たちは別にすると、人間的にも能力的にも問題があるように見え、そういう世間の大人たちを魔法使いは魔法を使ってコントロールしています。さらにその魔法使いをもアーヤは言葉と行動でコントロールするのです。アーヤの力は、まさに魔法を凌駕する問題解決力であると考えられます。
 
【まとめ(になっている?)】
アーヤはたくましい! 好ましくない人間関係を自分のプラスにする方法
 
・今回は、CGになっていましたが、内容はジブリ! 「アヤツル」は、赤ちゃんの時から、周りの人をあやつっているみたい(赤ちゃんのアーヤのあの笑顔は要注意)。他のアニメとは質の違う作品ですね。
・「あの子たちはお人形さんなんかじゃあないわ、生きてるのよ! 眺めて楽しむもんじゃないわ」
という言い方から、子どもたちは大人のオモチャや所有物ではなく、生きて意志があり自己主張する、わがままな存在!ということが見て取れます。
・このアニメでは、アヤツル主体は、大人ではなく、子ども! 園長先生も子どもの家の料理長も、ヤーガもマンドレークもアーヤは操ります。アーヤに象徴される子どもは、アヤツル魔女そのもの!(私たち大人は知らない間に、アヤツラレている?)
・「アヤツル」その仕方も、相手の意志や願望、欲求を無視して強制するものではなく、言葉や行動を巧みに利用して、相手の望み、才能、欲求を実現させ、自分との関係を良好なものにして、今度は逆に自分の望みを叶えてもらう、というようなものです。
 以上のように、アニメの細部や内容について、いくらでも語ることができるすごい作品!
 時期が遅れていましたが、その年の素敵なクリスマスプレゼントでした!
 
【おまけ】
・アニメの最初にトトロのジブリマークが出ていること。
・原作に忠実に作成されていること。
・全編CGで作成されていること。
・音楽が「抵抗」「反撃」などの問題解決状況で使われていること。
・これまでのジブリの音楽とは異なり、ロック調に感じられること(すみません、クラシックファンで、ロックのことはあまり分かっていません。誤りでしたら、ご容赦。)
・追加の部分を含めて、宮崎吾朗監督の世界が作られていること。
 
 さて、この作品、宮崎吾朗監督がアーヤで、ヤーガとマンドレークが宮崎駿監督とジブリスタッフ、というような関係で妄想してみると、興味深いです。
 だいたいこれまでのジブリ作品は、原作があってもアニメはその通りにはなっていません。というより、かなり変形して、むしろ独自のジブリワールドを作り上げているように見えます(『魔女の宅急便』、『ハウルの動く城』、『おもひでぽろぽろ』など)。しかし、この作品、ほとんど原作通りなのです。
 また、これまでのジブリ作品は、CGはごく一部だけで、むしろ手書きの良さの方が強調されています。それに対して、このアニメは、徹底的にCGです。ですからどうもジブリらしくない、という印象になっています。
 音楽も、これまでの印象とはかなり異なります。「抵抗」や「反撃」の印象ですが、このアニメの最初の部分に、トトロマークが出ているということは、ジブリの世界にいることを意味しているように思います。ジブリの世界の破壊ではなく、新しいジブリの世界を作り上げること、新ジブリワールドの創造でしょうか。
 これまでのしきたりやおきてに従う魔女たちと違って、新しい魔法使いになろうとしているアーヤこと、宮崎吾朗監督は、宮崎駿監督らのジブリの呪いと呪文から解放され、独自のジブリの魔法を作り上げることができるでしょうか。それは、新しいジブリの世界・アニメを創造することになるような気がします。アーヤ共々うまくいくことを願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?