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幻想的空想的妄想的ジブリ解釈・ラスト(『おもひでぽろぽろ』編)3

『おもひでぽろぽろ』の謎 〜その3〜
 
《このシリーズは、すでに視聴されている方を対象としています。ご容赦ください。》
 
 今回は、前回指摘した特徴や疑問点を部分的に考えてみました。いくつかをまとめて記載していますが、長さの関係で途中までです。次回に続きます。
 
【部分的分析による部分的解釈】
 
1)小5のタエ子ちゃんの心理二重構造の形成
 
【特徴・不明点】
13.小5のタエ子ちゃんのこだわりのシーン(分数の計算、演劇での台詞)。
 
①熱海温泉のタエ子(1泊2日の温泉旅行で、温泉のはしごをする。その結果、温泉でのぼせる)
②朝のラジオ体操のタエ子(出たいわけではないのに、1人になっても出る)
③パイナップル事件のタエ子(おいしくないのに、「おいしい」と言って食べる)
 
 小5のタエ子ちゃんの行動は、原作通りに映像化されています。そのエピソードは、この頃に見られる子どもの心理的発達の特徴を見事に表現していると言えるのではないでしょうか。誰しも、意地をはって、自分の言ったことを無理して続けて嫌な思いをしたことがあるように思います(タエ子ちゃんの場合:温泉は楽しいものだ、という思い込みから、温泉を無理して楽しんでいるように見えます。また、朝のラジオ体操は行かなくてはいけないものだ、と無自覚に思っているので行かなくてはならないのですが、決して楽しくはないのです。さらに、自分が望んだパイナップルは美味しいはずだ、とこれも無自覚に思っていて、おいしくないのに、無理に「おいしい」と言ってしまいます)。
 
④分数の計算で悩むタエ子(計算の仕方と頭の中のイメージが合わない)
⑤演劇で与えられた端役の台詞を変えたり、効果を出すために演技を加えたりしている。
 
 また、タエ子ちゃんは、自分でイメージできなかったり、納得できないことがあると、やらなくてはならない作業(割り算)ができなかったり、与えられた作業(演劇のセリフなど)を変更したりします。結果はどちらも良いものにはならなかったようです。
 
 このような場面を27歳のタエ子が思い出し、自分の子ども時代の心理的な変化に気づき始めます。自分では、心の底に感じていることに気づかず、自分が言っていることが本心だと思い込むことが、子ども時代にあったようです。
 しかし、以上のことはきっと誰にでもある(あった)ことではないでしょうか? それは、子どもだけにあることではなく、大人になっても自分の言動のおかしさに気づかないことがあるように思います。心はこのように無自覚的に、二重にあるいは三重になっていくのではないかと思うのです。
 
2)小5のタエ子の家庭での価値観と親のタエ子への対応
 
●特徴・不明点
 5.回想シーンで、タエ子ちゃんが父にたたかれた場面。また、タエ子ちゃんの演劇活動を父に否定された場面。
 6.母の対応。
 
①おかずを残した場面。作文は誉められたが、パンに挟んだ玉ねぎで叱られています。
②タエ子ちゃんに外部から演劇の役が最初に来たことを言わないように、母から言われたこと。
 
(1)父親に代表される家庭の価値観:世間体(嫌われる行動・嫌がられる姿):みっともない・はしたないという感覚
 
 アニメが始まって1時間3分後、行かない、と言ったのに、中華料理店に行きたくて、裸足で玄関外に出てしまったタエ子チャンに対して、父親は、「裸足で!」と言った後、タエ子ちゃんをたたきます。たたかれたのは、この時だけだという27歳のタエ子は、なぜたたかれたのか、分かりません。小5のタエ子ちゃんに対しては、いつもは甘い父親でしたが、この時ばかりは父親は感情的になっていたように見えます。いったい何に怒っていたのでしょうか。
 それを明らかにするには、台詞に注目する必要があるように思います。父の台詞は省略されています。何が省略されているのでしょうか。「裸足で!」の後に来るものを想像してみますと、自然と、「(裸足で)外に出るなんて、なんてはしたない!」というのは、どうでしょうか。
 現在から見ると、タエ子ちゃんの行動は、なんてことはない行動かもしれませんし、むしろ可愛らしいと感じる人もいるかもしれません。しかし、1980年頃の亭主関白時代、その頃の家庭の価値観では、芸能界もふしだらですし、いい加減な服装で外に出たり、長髪だったり、頭髪が乱れていたりするのも、汚らしいものに、みっともないものに感じられていたように思います。
 そのような時代の価値観では、自分の欲求(中華料理を食べに行きたい!)を表に出し、我を忘れて(自分の姿を顧みず裸足で外に出る)行動すること=欲望丸出しの姿、それは、つまり醜い姿、と父には写ったのではないでしょうか。この価値観は、自然と27歳のタエ子の意識の奥底に染み込んでいたのかもしれません。ここには、自分の生の欲望の姿=直接の感情表現は醜い、と無自覚に感じる27歳のタエ子が存在しているように思います。
 
(2)母親に認められるより叱られるタエ子(給食、演劇での誘い)
 
 小5のタエ子ちゃんは、算数は苦手なところもありましたが、作文は上手でした。また、演劇でも色々と工夫をする子です。劇では、端役にもかかわらず、効果を上げる工夫をしたところ、大学の文化祭での劇への参加を依頼されます。大喜びのタエ子ちゃんと母親でしたが、父親の反対にあってあえなく沈没。
 その後、その子役は、クラスの別の子のところに話がいったことが分かると、タエ子ちゃんの母親は、タエ子ちゃんの役作りを誉めることより、2番目に役が回ってきたという人の嫌な気持ちを配慮することの方を優先させてしまいます(タエ子ちゃんに、自分に最初に声がかかったことを言わないように、母親は口止めします)。
 
 上の、父親と母親の価値観は、他人に迷惑をかけないために、他人を優先させ、自分の気持ちを抑制させることに価値がある、という、いわゆる世間体優先の価値観のようです。さらに、他人様に恥をさらさないで生きる、ということにも、かなり強くこだわった生き方に見えます。27歳のタエ子にも、この価値観は、知らず知らずのうちに染み込んでいたはずです。
 
 もう少し、部分的解釈を続けたいと思いますが、長くなりそうですので、この続きは次回に。

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