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幻想的空想的妄想的ジブリ解釈(『アーヤと魔女』編)1

『アーヤと魔女』の謎 〜その1〜
 
《このシリーズは、すでに視聴されている方を対象としています。ご容赦ください。》
登場人物
 アーヤ・ツール〜 魔女の娘。赤ちゃんの時に、子どもの家に預けられる。10歳の時に、魔女のベラ・ヤーガに引き取られ、呪文作りにこき使われる。
 ベラ・ヤーガ 〜 魔女。アーヤを子どもの家から引き取り、こき使う。アーヤに命令し、呪文作りの下働きや掃除をさせる。
 マンドレーク 〜 魔法使い。いつも、イライラして気に入らないと巨大になり怒る。小説を書くが、酷評されたり、自分の好きなものを否定されたりすると烈火の如く怒り、不機嫌になる。
 カスタード 〜 子どもの家でいつも一緒にいる男の子。子分のような存在。少し臆病。
 トーマス  〜 しゃべる黒猫。アーヤの味方になるが、怖がり。
 
【はじめに】
 2022年の12月31日でしたか、突然テレビに1時間22分のジブリアニメが放送されました(『となりのトトロ』とほぼ同じ長さ!)。いつものジブリの絵とは異なり、CG作品でした。監督は宮崎吾朗監督で、このアニメには原作がありました。今回の解釈・分析では、下で述べますように、原作との違いも材料として取り上げたいと思います。
 以下の文章は、前このアニメの感想として書いたものを、少し編集し直しています。以前、このアニメを見た人たちのコメントをいくつか見ましたが、好意的なものはあまり多くありませんでした。ジブリ作品に似つかわしくないという印象を与えているようです。なんだか残念な気がしまして、今回、この分析・解釈で少しでも汚名返上となるといいと思っているのですが、どうなることやら(かえって悪化してしまったら、どうしましょう)。
 さて、今回は今までのように、謎を列挙する、ということがうまくできません。といいますのも、明確な謎のようなシーンが描かれていないからだと思われます。しかし、アニメの内容(台詞も)には、いくつか妄想的に考えられるものがありそうです。例えば、「魔法」は、このアニメでは確かに魔法として描かれていますが、それがアーヤの使う言葉とどう関わっているのかを考えてみますと、面白いことが分かってくるように思うのです。
 また、今回は内容の分析については原則(作品内部の分析・解釈)通りなのですが、妄想は原則をはみ出し、このアニメの原作とアニメを比較する試みをしてみました。それというのも、宮崎吾朗監督と宮崎駿監督やジブリとの関係が、このアニメの構成と重なり、そのことが妄想を膨らませそうだからです。実は、このアニメは、宮崎駿監督のアニメとは異なり、かなり原作に忠実に作られています。吾郎監督は、その原作の内容の始めと終わりに独自のシーンと、アーヤとカスタードの読書、そして音楽を追加しているのみで、台詞もほぼ原作通りなのです。この作り方と追加の部分から何が想像できるのか、かなりの邪推・妄想かもしれませんが、いろいろと試してみたいと思います。
 というように、あるのかないのか分からない謎の話なので、このことを考える前提として、まずは、物語の概略をみていきましょう。その後で、今回は原作との違いに触れておきます(情報提供)。物語自体はわりあい分かりやすいのではないかと思いますが、子ども向きとタカを括っていますと足を救われそうですので、ゆめゆめご油断めさるな、です。
 
【あらすじ】
 いつもの青い背景にジブリのトトロシーン(!ジブリのしきたりに従っています)が出ると、女性の歌が聞こえ、「EARWIG」と手書きで書かれたカセットテープを赤ちゃんが持っているシーンから始まります。そのテープには、「MAGIC」という表示。
 夕暮れ時、黄色のシトロエンに追いかけられる女性。バイクに乗って逃げているが追いつかれそうになります。近づいてきたシトロエンの前の部分がカニのように動きはじめ、前のバイクを捉えようとします。バイクに乗っていた女性が自分の髪の毛を抜き、口に加えると、その髪の毛が生き物のように動き出し、増え始めると、その女性が後ろの車に放ちます。ミミズのように蠢く髪の毛が後ろのシトロエンのフロントガラスに張り付き、前が見えなくなり、画面が真っ暗になるとシーンが変わります。
 場面が変わって、石垣のある門の近くにバイクが止められているシーンです。門から中を見るとお墓が見えます。そのお墓を通って、その女性が敷地内に入り、「聖モーウォード 子どもの家」という建物に向かっていきます。その建物の前で、その女性は赤ちゃんに話しかけます。
「ここの部屋はどこもピカピカ。大きな窓もたくさんあって、気持ちいいし、それにシェパーズパイが美味しいの。いーい。あんたはここにいるのよ。よそに行ってはダメ。後はうまくおやりなさい。アヤツル」
赤ちゃんは、真剣な顔つきで、そのテープを持ったまま聞いています。その女性は、伝言の紙を、赤ちゃんを包んでいたスカーフ(?)に挟み込み、赤ちゃんを建物の戸口の前に置いて消えます。
 戸口の前で泣く赤ちゃんを園長先生と付き添う女性が見つけ、抱き抱えます。付き添う女性がスカーフ内の伝言の紙を読み上げます。
「仲間の12人の魔女に追われています。逃げ切ったら、この子を返してもらいにきます。何年もかかるかもしれませんけれど。この子の名前は、アヤツルです」
 この赤ちゃんも魔女かも、という付き添いの女性に対し、「魔女なんてこの世にいるはずかない」と園長が言います。赤ちゃんは園長に抱き抱えられ、すっかりご機嫌になり、三人が建物内に入ります。建物に入ると、中の職員の人たちが子どもたちと一緒に、何事かと現れてきます。園長先生が、「この子は、アーヤ・ツールよ」と紹介すると、アーヤは、出てきた人たちを見回し、愛嬌たっぷりに、笑顔を振りまきます(!アーヤは赤ちゃんの時から周りとコミュニケーションできます)。
 その後、成長したアーヤは、しばらくこの子どもの家で楽しく生活していましたが、魔女(ヤーガ)と魔法使い(マンドレーク)がアーヤを引き取りに現れ、アーヤは魔女の家で生活することになります。なかなか魔法を教えてくれない意地の悪い魔女とのやりとりや、いつもご機嫌斜めの魔法使いとの扱いにもアーヤは慣れてきて、次第にアーヤのたくましい行動が魔女たちの心を溶かしていく、といった物語でしょうか。
 
【原作との違い(原作者は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズ)】
 原作を読みますと、このアニメにはいくつか原作にないシーンがありました。まずはそれを検討材料として以下に挙げてみます。
 
1.出だしのバイクと車の追いかけっこ(アーヤのお母さんの登場)。原作の日本語版の絵には、赤ちゃんをホウキに乗せて飛んでいる魔女が、12人の魔女に追われて逃げている挿絵が描かれています。それを拡張したのでしょうか。
2.子どもの家にアーヤを連れて行くところと、最後に迎えに行くところ(アーヤのお母さんの登場)。
3.初めの方で出てきた、幽霊パーティとそれを目撃したおじいさん(ご近所のジェンキンスさん)の話。
4.アーヤとカスタードが子どもの家で本を読んでいるシーン。アーヤはコナン・ドイルの『バスカヴィル家の犬』、『恐怖の谷』、カスタードはR.A.ハインラインの『レッド・プラネット』を読んでいました。
5.EARWIGというロックグループとその音楽(アーヤのお母さんの登場)。
6.アーヤがシトロエン内にラジカセを見つけるところと、そのラジカセでテープを聞くところ。
7. ヤーガが「りっぱな」人たちから電話で注文(自分の孫を主役にするため、他人の子どもをバレエの発表会で主役から下ろす呪文)を受け、その人たちについて発言するシーン「まったく、どいつもこいつも」。
8.マンドレークがEARWIGという音楽を演奏するシーン。
9.マンドレークが作家であり、作品(小説?)を書いていて、アーヤがどうやら手助けしている様子。
 最後のエンドロールに、魔法を習い呪文をヤーガと一緒に届けるアーヤ、その後の作家としてのマンドレーク、カスタードとの海水浴シーン、アーヤがアドバイスしてヤーガの誕生日に花を送るマンドレークなど、家族のような関係になった後日談が描かれていますが、これも原作にはありません。
 というところで、今回はここまで。次回からどのような妄想が可能なのか検討します。

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