見出し画像

幻想的空想的妄想的ジブリ解釈・ラスト(『おもひでぽろぽろ』編)4

『おもひでぽろぽろ』の謎 〜その4〜
 
《このシリーズは、すでに視聴されている方を対象としています。ご容赦ください。》
 
 前回から、妄想的解釈を部分的にまとめています。長くなりそうでしたらので、前回は途中で終わりましたので、今回は続きです。
 
【部分的分析による部分的解釈・続き】
 
3)列車と車のイメージの比較
【特徴・不明点】
3.27歳のタエ子は、映像の中では一度も過去の小5のタエ子ちゃんを見つめていないこと。過去の小5のタエ子ちゃんは、現在の27歳のタエ子を見たり、触れたりしています。
8.回想シーンと現実シーンが主であるのに、回想でも現実でもないシーンが少なくとも2つあること。山形への列車の中にいた時に自分の部屋で寝ているシーンと、トシオの車の中にいるのにワラをつんだ馬車に乗っているシーン(28分55秒後、1時間52分6秒後)。
 12.回想の小5のタエ子ちゃんと現実の27歳のタエ子が列車の中で出会うことの意味は?(列車に意味があるのか)
 
(1)二人のタエ子の出会い・列車の中の出会い方(はじめ:向きが逆、2度目:過去から現在へ)
 
 列車の中で小5のタエ子ちゃんと27歳のタエ子は、2回出会っていますが、はじめの出会いでは、2人はお互いを見ることはありません。27歳のタエ子は、小5のタエ子ちゃんを連れてくるつもりはなかった、と言っていました。つまり、自覚的には、連れてきていないのですが、無自覚的な無意識のレベルでは、タエ子の深層心理にべったりとくっついているようです。しかし、この時点では、2人には距離がありそうです。
 2度目の列車の中の出合いでは、小5のタエ子ちゃんは、27歳のタエ子を支えているように見えます。いや、タエ子ちゃんだけではありません。過去の登場人物すべてがタエ子を見つめ(過去の意識すべてが現在へ向かい)、現在のタエ子の行動をプラスの方向に向かわせているようです。
 
(2)車による新しい出会い(山形駅)と最後のシーンでの車(見送り:現在のタエ子、車の中)
 
 これはもう、完全に妄想でしかないように思うのですが、列車と自動車ではイメージが大きく異なるように思うのです。列車は、決められた線路の上しか移動できません。行き先は決まっています。自分の決断があるとすれば、行くか行かないか、途中で降りるか乗り続けるか、くらいです。人生という列車では、すでに家庭生活にいる時点で、普通の人はそこに乗り込んでしまっていると言えるかもしれません。列車は、まず決められた道を示しています。それに従うしかありません。すでに列車に乗っているとすれば、乗り続けることは、いわば、過去からの継続です。
 しかし、自動車は、行き先を自分たちで変更できます。同じ行先でも、違う道を選ぶこともできます。途中で休むことも、止めることも、自分次第です。ここでは、行くも自由、止まるも自由、決めるのは自分なのです。未来を見据えて、自分で選ぶ世界が待っています。
 このように妄想してみると、途中に出てきた回想ではない不思議な2つのシーンの傾向がぼんやりと見えてくるように思います。
 1つは、山形に行く途中で思い出しているのは、自分の部屋のベッドにいて、さらに、過去の小5のタエ子ちゃんの時代を思い出している自分です。そこでは、過去のさらに過去を志向しているようです。昔の自分ばかりが出てくるのです。
 それに対して、トシオの車に乗っている時に、ワラを乗せた馬車に2人で乗っているシーンは(1時間52分5秒後)、2人の未来を夢見ているのでしょうか。過去の回想シーンではありません。これまでにない、未来志向のシーンです。
 また、このアニメの一番最後にトシオと一緒に自動車に乗って遠ざかっていくシーンでは、小5のタエ子ちゃんは、自動車を見送って終わります。自動車を未来のイメージと結びつけるとすれば、過去のタエ子ちゃんは未来の車の中のタエ子を見送るしかなかったのかもしれません。過去のタエ子ちゃんが現在のタエ子の行動を左右することは、もはやないように思います。
 
4)疑問形の台詞の意味
●特徴・不明点
 4.途中に出てきたタエ子のいくつかの質問の特徴は?
(1)「なぜ小学5年生なのだろう?」
(2)「なぜ一度だけたたかれたのか」
(3)「握手だけ?」
 
 アニメの途中で、27歳のタエ子は、疑問を示していました。それは、素朴な疑問でもありますが、しかし、一つは、素朴だけではすまない問いです。
 小学5年生という年齢がどのようなものなのか、身体的心理的な意味は何か、という問いは、自分に対する、というよりも、自分も含まれるかもしれませんが、一般的な人の状態を問うているように見えます。
 一度だけ父にたたかれた、というのも、なぜだろうという問いが出てくるのは自然でしょう。しかし、それは、自分の行動より、父の心理状態や価値観が問われているように思います。
 ただし、なぜ怒ったのだろうか、という問いは父の問題ですが、自分の行動の何が父を怒らせたのか、という問いになると、少しばかり、自分の問題に移っていきます。残念ながらは、アニメのこの時点では、自分の心理的な問題や価値観の問題にまで踏み込む会話がまだ成立していません。依然として、第三者的な発言なのです。
 それに対して、最後の「握手だけ?」という問いは、トシオと握手してほしい、と思っているタエ子の心理のさらに奥底に踏み込む問いです。自分で自分の心を覆い隠していることに気づこうとしているように見えます。隠れている自分の奥底の心理を掘り起こそうとしている問いではないでしょうか。
 
5)阿部君のシーン(自分に対する目)
●特徴・不明点
 9.回想の阿部君が現実の雨の中と橋の上に現れたこと。(他のシーンで27歳のタエ子は過去の小5の自分を見ることはなかったが、阿部君は27歳のタエ子を見つめていた。1時間40分25秒後)
 10.阿部君の話が27歳のタエ子から語られたこと。(回想シーンの形式をとらなかった)
 
①現実の27歳のタエ子が、小5の頃の阿部君に語りかけている。
②語りは、自分の言葉を自分で聞く行為(回想は頭の中で思い出しているだけだが、話すことは誰かに聞かせているし、聞かせていることに気づきながら自分でも聞いている、という行為)である。
 
 1時間40分25秒後に、夜、雨の中、外に出て歩いているタエ子に向かって、阿部君が現れます。まず、「お前とは握手してやんねえよ」と、声が聞こえ、雨が降り始めた夜道に阿部君の姿が現れるのです。雨は現実です。阿部君は、回想です。その2つが合わさっているのです。
 その少し前から、タエ子は自分のこれまでの発言や行動を自覚的に語り始めます。自分自身と向き合い、その姿や心理を自覚的に評価しているのです。
 しかし、その行為はまだ不十分で、自分の奥底の心理には、まだ達していなかったのでしょうか。阿部君に対する気持ちと、まだ向き合っていなかったというのでしょうか。阿部君の存在は、タエ子の心の奥底にある心理との格闘の始まりを表しているかのようです。
 阿部君の言葉は、小5のタエ子ちゃんに向かったものでしたが、それが27歳のタエ子に直接響いています。ついに、自分の奥底の心理に向き合う時が来たのかもしれません。
 自分と向き合い、自覚的に自分の気持ちを掘り起こした結果が最後の回想シーンとなって現れているように思います。その最後の回想シーンでは、小5のタエ子ちゃんは、唾を吐きながら、わざと嫌な格好して阿部君の真似をしていました。自分こそが嫌な人間なのを自分で自覚しようとしているかのようです。
 この時、タエ子はトシオの自動車の中にいます。今を忘れて過去へのめり込む回想のタエ子から、トシオと話をしつつ、対話の現実から、これまで隠されていた自分をあらわにして、トシオにその自分を共有してもらおうとするタエ子へと変化している途上のように見えます。
 中心となる主体が変化しつつあります。トシオとの、この対話の中では、過去のタエ子がそのまま現在のタエ子になったのではありません。そこでは、自分の中にいるあの頃の昔のタエ子ちゃんと対峙しつつ、昔の小5のタエ子ちゃんの姿を掘り起こしながら、現在の自分を見つめているタエ子の姿が浮かび上がってくるようです。
 
 部分的解釈は、まだ不十分ですが、長引いていますので、いよいよ、次回は、まとめに入りたいと思います。さて、うまくいきますかどうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?