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楽しく学ぼう日本の歴史2401

みなさん、こんにちわ!
今年、初めての「歴コラ」となりますね。
今更ですが
「新年、明けましておめでとうございます!」
この企画、昨年の四月から始まりまして
今回で「10回目」を数えます。
前回は、流れで青森県の特集をしましたが
今回は、北海道の特集をすることに
なりました。

北海道って、基本的には
日本の歴史において
表舞台に登場するのって
他の地方に比べて遅いですよね?

僕も、あまり覚えがなくて
戊辰戦争での五稜郭のお話くらいしか
覚えがないんですよ。

そこで、いきなりですが・・・・。

第一問!
さて、ここで問題に入りたいと思います。
この日本で、北海道について記録されている
最古のものは、いつの時代でしょうか?
①658年:奈良時代
②1185年:平安末期
③1582年:戦国時代

正解は①の658年
奈良時代ですね。
北海道について、記録されているもので
一番古いものは「日本書紀」に記録されて
おり、阿倍比羅夫(あべのひらふ)が遠征を
行ったと書かれているらしいです。
「渡嶋蝦夷(わたりしまえみし)」や
「後方羊諦(しりべし)」という言葉が
当時の北海道について出てくる言葉なんですが
道南や、道央を指して
当時は、「渡嶋(わたりしま)」と
呼ばれていたみたいですね。

さて、またまた、ここで問題です!
この「渡嶋」ですが、現代では
「渡島」と変わっております。
実は、読み方も変わってるんですね
さて、なんと読むのでしょうか。
①としま
②おしま
③こしま

答えは、②の「おしま」です
元々、青森県の「津軽氏」と
「南部氏」が、この地を「おしま」と
呼ぶようになってから
そのように呼ばれるように
なったみたいですね。

ところで、少しばかり
時代を遡ってみようかな
って思いますが
日本列島、または本州では
紀元前2世紀ぐらいに
稲作が大陸から伝達してきたという形で
縄文時代から弥生時代に
移り変わってきましたが
北海道では、気候が寒く
本州の文化の中心地が西日本だったと
いうこともあり、
本州の文化が、北海道に
伝わりにくい状況であり、
稲作が行われた形跡はなく
縄文時代が、そのまま続いていた状態で
狩りなどを中心とした生活を
そのまま継続しておりました

そして、本州では
奈良飛鳥時代と言われた時代になると
北海道では、狩りだけではなく、
麦やひえなどの穀物を育てるまでとなりました。

また、北海道の北部の方
稚内の方かな?
独自のオホーツク文化というものが
生まれて
アザラシや、サケなどを取って
生活を営んでいたみたいです

日本では、13世紀ころに当たりますが
鎌倉時代から、室町時代へと
移行するころに、やっと、日本人も、
北海道の、渡島半島に進出するようになり
ちょうど、そのころ
北海道では、オホーツク文化や
続縄文文化を受け継いだ
アイヌ文化が登場いたします。

みなさんも、アイヌという言葉は
聞いたことがあると思います。

さて、ここで、問題です。
第三問:「アイヌ」という言葉は
何を意味する言葉でしょうか?
①神 ②人 ③魂

答えは、②人 です。

第四問
ちなみに、ちょっとしたクイズですが
①の「神」は
アイヌ語で、何と呼ばれているか
ご存知ですか?
三択なしで、答えてくださいね


答えは「カムイ」です

本来の意味は
「神格を有する高位の霊的存在のこと」らしいのです

そして、この言葉を聞いて
少し反応された方もお見えになると思いますが
実は、アイヌの方々を題材にした漫画が
あるんですね。

そうです。知る人ぞ知る
「ゴールデンカムイ」です
映画や、アニメにもなっていますが
週刊少年ジャンプにおいて
2014年から、昨年の4月まで
連載されていたそうですね。
実は、僕も本作品に関しては
あまり知らないのですが
調べていくと、時代背景として
明治時代あたりを描いているらしく
戊辰戦争や、日露戦争、そして
ロシア革命なども題材に取り入れられて
いるということですので
なんか、その言葉を目にするだけで
ワクワクしてきます。

また、機会があれば読んでみたいですね。

他の話題
・アイヌの方々は、言葉はあるが
文字を持たなかった
 伝承(言い伝え)で文化が引き継がれてきました
・日本による同化政策により
 元々、存在していたアイヌの地名が失われそうに
なりましたが、日本人の中にも、アイヌの文化の
素晴らしさを残したいと考える人物がいて
その人の、働きかけによって、アイヌの言葉で
残された地名がたくさん存在します。

札幌、稚内、登別、石狩、小樽などが
その一例ですね。

アイヌの方々の文化には独特のものがあり
今回は、あまり詳しいことは調べることが
出来ませんでしたが
民族衣装や、踊り、ユーカラと呼ばれる「歌」
などがあり、また、アイヌ独自の
食文化もあるみたいですね。

ここで、またまた、話題を変えたいと
思います。

実は、北海道から、オホーツク海を超えて
さらに北へ行ったところに
ロシア領の、サハリンと呼ばれている島が
あります。
一時期は、日本の領土だった時もあり
当時は、日本名で「樺太」と
呼ばれておりましたが
そこに、世界で唯一、日本人の名前が
残されている地名、または
「海峡」があります

ここで、第五問です。
その海峡の名前はなんでしょうか?
①津軽 ②山田 ③間宮

答えは、③間宮です。
この問題は、三択にしようか
ちょっと迷いました。
ご存知ない方にとっては山勘に
なっちゃいますもんね。

飛行機などがなく、上空から
地形の確認が出来なかった当時は
船や、徒歩などでしか
地形の確認が出来ませんでした
江戸時代に、日本地図を作った
伊能忠敬公から、測量の技術を学んだ
間宮林蔵が、
極寒であり、そして、未知の土地である
サハリンが大陸と陸続きではなく、
島であるという推測を立てて、
船で一周することによって、島であることを
確認した人物であります。
最初は、幕命により行動しておりましたが
最終的には、林蔵が単独で行ったため
鎖国当時の日本にとって
法に触れる恐れもあった行為であったとも
言えます。

林蔵が生きていた当時は
1770~1844年ですが
江戸時代後期、間もなく幕末を迎えようと
していた時代でした。
当時、ロシアの南下が目立って
きていたこともあり
調査が急務ということもあり
幕命により、調査を行ったということですね

シーボルトは、その功績を評価しており
基本的には、タタール海峡と呼ばれている
海峡ですが、一番狭いところを
「Str. Mamia seto 1808(間宮の瀬戸)」
と記して認めていたということですね

もともと、北海道は
先ほど、紹介したように
「渡嶋(わたりしま)」とか、
「蝦夷地(えぞち)」とか、
「松前藩」とか、様々な呼ばれ方を
してましたが
明治時代に入り、ここで
「ほっかいどう」と言う名前が
登場いたしますが
「北海道」とは、違う漢字が
使われておりました。

第六問!
「北海道」の原型となった
元々、名付けられた時に使われていた
漢字は何でしたでしょうか?
①北甲斐道
②北貝道
③北加伊道

答えは、③北加伊道 です
そうなんです。当時は
北の海 っと言う意味では
なかったんですね。

なぜ北加伊道にしたかというと、
ほっかいどうのカイはアイヌ語で
アイヌ人のことを指す呼び名だったのです。
なぜ、「加える」と「伊」を
用いたかは調べることが
出来ませんでしたが
北加伊道という名前の中にこの地は
アイヌ人の土地だという思いを
込めていたことがうかがえます

そんな、心暖かい方が見えたんですね。

ホントは、もう少し、詳しく
北海道の歴史について
お調べしたい気持ちもあったんですが
今回は、これで終了したいと思います。

みなさん、ありがとうございました

次回は、岩手県の歴史 です!

スタエフにて、今回の議題について
ワイワイしてます

https://stand.fm/channels/60638927be8d4428b9ab66cb/announcements/65a65234ed24f489bdcf40c7








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