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【バイリンガルの憂鬱な日常】子育てにも、言葉問題がついてくる

うちの子は、言葉を発するのが遅かった。上の息子は2才5ヶ月までまったく話さず、やっと発語したと思ったら急にペラペラとしゃべり始めた。早い子は1才~1才半で単語を話し始めるので、かなり遅い方だったと思う。

息子は繊細なタイプだったので、もしかしたらこんがらがっていたのかもしれない。パパや周りは標準語だけど、1番近くにいて、1番耳にする言葉はわたしの関西弁。どうやって発音すればいいのか悩んでいたのかも?

現に、息子は2~3才の頃、何ともいえない変なしゃべり方だった。第一子ということもあり言葉の遅れを心配していたわたしは、まぁしゃべってさえいれば何でもいいと思っていたんですけど。

わたしの地元、大阪に帰省して友人の家に行ったときのこと。
「なんで彦太郎(←息子)、かぶいてんの?」
と友人に言われ、
「なるほど!ほんまや!変なしゃべり方やと思ってたけど、まさに歌舞伎のしゃべり方!」
と、ダンナと大爆笑した。

息子さん、標準語と関西弁のイントネーションに悩んだ結果、そのどちらでもない「歌舞伎語」でしゃべることにしたようだ。歌舞伎なんか見たことも聞いたこともないはずなのに、息子は2~3才の頃、見事にずっと歌舞いていました。

時を経て、歌舞伎語が少しおさまってきた頃に幼稚園に入園。
(夫婦ともに、歌舞伎語の終焉をさみしがっていた。個性的でちょっとおもしろかったから)
今度はまた違う言葉問題が立ちはだかる。というか、ついに本丸が来たかという感じ。
いっしょにあそんでいた園の子が、関西のイントネーションが出る息子の言葉を聞いて、「いなかもん」と言い放ったのだ。

わたしはその場に立ち尽くし、関西人が関東で生きてるとこんな問題も降りかかってくるのか、とウンザリした。
同時に、何もわからずキョトンとする息子を見て、「もうわたしは、自分さえ良ければいいと思って生きられない立場なんだなぁ」とも、思った。

関東に来てから約3~4年。大阪弁全開でしゃべっていたわたし。変な空気になったりチラ見されたり、イヤな思いもいっぱいしてきたけれど、どう思われてもいいと思っていた。それよりも、標準語をしゃべるほうがわたしにとっては抵抗があったから。

だけど、息子はここで生まれ、ここで生きていく。
わたしのせいで、余計なカルマを背負わせるのは申し訳ない。わたしは大人だからどう思われてもいいんだけど、わたしのエゴで、何も事情がわからない息子に、何も悪くないことで悲しい思いをさせるのはやはり違うのではないか。

そんな経緯でわたしはしぶしぶ標準語をしゃべり始めた。しゃべりながら、(標準語をしゃべってるわたし、なんだか気持ち悪いなぁ)と思ったりしたし、「自分」が消えていくようで悲しかったけれど。
子どもを持つということは、何かを諦めることでもあると身をもって痛感し、今では立派なバイリンガルになったわたしです。

しかし息子の発語が遅かったのも、別にわたしのせいではなくただの偶然かも。たまたま繊細で慎重な子だったから、言葉も遅かっただけじゃない?
そう考えを改めようとしたら、下の娘さん、なんと2才11ヶ月まで発語しませんでした。

2才11ヶ月ってもう3才やから!
よくそこまでしゃべらずに生きたな!

娘はしゃべらずともこちらの言うことは完全に理解していて、意思の疎通も取れていたのでまったく気にしてなかったのだけれど、さすがにこのまま保育園から幼稚園へ転園するとマズイな……と思い始めた頃、ようやくしゃべり始めた。

ちなみに娘はどこでもよく寝る、息子とは正反対ののんびりタイプ。
繊細でものんびりでも関係ないのか。
というかやはり、標準語と関西弁に囲まれて育つと子どもの発語に支障がでるのかもしれない。。

……しかし今のところデータが2人なので、これは統計ではなくただの個人的な偏見です。
(ウエストランドのネタ「統計だから偏見じゃない!」より)

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