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3歳の娘を育児中のワーママです。自分が不登校だったときのことや、子育てについて書いてま…

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3歳の娘を育児中のワーママです。自分が不登校だったときのことや、子育てについて書いてます。

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不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話 あとがき

「不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話」を読んでくださりありがとうございました。 軽い気持ちで書き始めたものの、色々と思い出していくうちにだんだん辛くなってきて涙してしまうこともあり、書くのやめようかなと思うこともありましたが、書き終えることができてよかったです。 特に面白い話があったわけでもありませんが、不登校児でも未来を諦めなくていいということが伝われば良いかなと思っています。 私が受けたいわゆるいじめは、世の中に存在しているいじめに比べれば大したことないかも

    • 不登校の弊害

      私が不登校だったのは中学2年の春〜3年の卒業までなので、2年弱程度の話ではありますが、義務教育9年のうちの2年弱というととても長い。 まあ、2年生の後半からはフリースクールのような学校に行き始めたので、完全に学校という場所に行っていないのは半年もないくらいではあるのですが、とにもかくにも、学校に行かなくなったことは私の人格形成に大きな影響を及ぼしたことは間違いありません。 小学生の頃は友達と遊ぶことが好きで、自分から遊びに誘うことがよくありました。 当時は別に断られることも

      • 学校って

        不登校について書いてる時にすごく感じたことがあって、精神的に未熟な時期の頑張り次第で未来が決まるのって、とても酷だなと。 あまりうまくまとめられませんでしたが、読んでいただけたら嬉しいです。 いわゆるお受験で私立の小学校や中学校からある程度同じレベルの子たちが集まる学校に行く場合は別として、基本的にはみんな自分の住んでいる地域の小中学校に入学すると思います。 その場合、そこに集まる子供達は、誤解を恐れずに言えば本当にピンキリ。 もちろん私立でもピンキリでしょうが、公立の方が

        • 娘の笑顔が見たいから

          新型コロナウイルスの感染が拡大して約1年が経ち、大人だけに限らず子供たちの生活にも多大な影響を及ぼしています。 色んな“初めての“経験をしたり学んだりする機会やをたくさん奪われているわけですから、大人よりも子供への影響の方が甚大なのではと思うほどです。 うちの娘も例外ではなく、何もなければ水族館や動物園、公園や屋内施設に遊びに行ったりしたかったですが、公園に行くことすら憚られる世の中になってしまいました。 そうなると、いかに家の中で楽しく遊ぶかを考えるようになります。 “遊び

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        不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話 あとがき

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑧

          そんなこんなで、X学校に通うようになってからは、人間関係で悩むことはほとんどなくなり(何もなかったわけではないがここでは割愛)、勉強に集中できるようになった。 大学のような感じで、それぞれ選択した授業に出席していて、毎日顔を合わせるわけではなかったし、みんな目的がはっきりしていたから。 不登校児とか、受験に失敗した人といった、既定路線から外れてしまった人たちが集まっていたから、それなりに問題を抱えている人もいて、途中で来なくなってしまう人も中にはいた。 私と同級生が二人入学し

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑧

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑦

          フリースクールのようでフリースクールじゃない学校(X学校)に行くと決めたものの、いくつか課題もあった。 一つは下宿先。 さすがに中学生で一人暮らしはできないので下宿先を探していたが、中学生を受け入れてくれるところがなかなか見つからなかった。 それはそうだ。中学生、しかも女子。 何かあっても責任が取れない…ということだったのだろう。 何件か当たって、本当は受け入れてないけど特別にいいですよと言ってくれるところがあったので、そこに決めた。 もう一つは、学費。 X学校は高校受験のた

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑦

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑥

          学校へは行かなくなっていたが、Nちゃんという友達がたまに家に遊びにきてくれていた。 Nちゃんとは同じ年に保育園に入園して、小学生の時も同じ習い事をしたり、よくお互いの家に遊びに行ったりしていて仲が良かった。 中学に入学してからも1番仲が良かったのはNちゃんで、学校に行けなくなった私を心配して家に遊びにきてくれていたのだ。 2年生になって1〜2ヶ月で学校に行かなくなったが、行かなくなってしばらくしてNちゃんが「今度宿泊学習があるから一緒に行かない?hanaちゃんが来てくれたら

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑥

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑤

          苗字を婉曲したあだ名を付けられてからというもの、元々嫌だった学校がますます嫌になった。 小学生の頃は、一時期友達に無視されたりしたことはあったが、物心がついてきた頃によくある一過性のものという程度だったから、あまり学校に行きたくないと思ったことはなかった。 休むのは体調不良の時だけ。 でも中学のこの時期からは、毎朝起きるのがしんどく、たまに休んだり、たまに保健室に行くようになっていた。 元来真面目で気にしぃな私は、学校を休んだり保健室に行ったりすることに抵抗があった。 休んで

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話⑤

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話④

          真面目でちょっと熱めだった1年生の時の担任は、三学期に入った頃に学校を去って行った。 私たちのクラスがあまりに荒れていたので精神的に追い詰められてしまったのだろう。 ホームルームや授業中に、時に涙を流しながら、君たちのやっていることは良くないことだということを訴えてくれていたが、彼らには響かなかったようだ。 たしか赴任して1年目だったはずなので、半年ほどで学校を去ることになってしまった。 当時の先生は今の私より若かった。 まだ若くて、はるばる関西から北海道の田舎に赴任してきて

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話④

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話③

          出身小学校が同じ者同士は付き合いが長く、あだ名で呼び合っていた。 あだ名を付けて呼び合うのは別に珍しいことでもなんでもなく、もちろん私の母校出身の人たちもあだ名で呼び合っていたのだが、隣の小学校出身の男子たちは悪口をそのままあだ名にしたもので呼び合っていることが多く、私は居心地の悪さを感じていた。 各々が普通のあだ名と悪口のあだ名両方持っている、そんな感じ。 悪口といっても悪ふざけで呼び合っているような感じではあったが。 隣の小学校出身の男子の中に、ボス的な存在のAという生

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話③

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話②

          そんなこんなで始まった中学生活。 担任の先生は関西人だった。 北海道の田舎で暮らしてるとほぼ北海道というかその地域出身の人にしか出会わないから、関西人はとても珍しかった。 熱血というわけではないけど、気持ちが熱く、言葉が丁寧だった記憶がある。 真面目な先生だったんだろう。 思春期真っ只中の中学1年生にとっては、その真面目さ、熱さが、ちょっと鬱陶しくもあり、でも私は割と慕っていた。 クラスメイトは、人数が増えたとはいえそんなに多くはなく、隣の小学校出身の女子とは私の母校出身の

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話②

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話①

          山間の畑が広がる田舎で、私は生まれ育った。町内に保育園一つ、小学校一つで、保育園から小学校へはほとんど面子が変わることなく上がるので、みんな仲が良かった。 小学校も各学年一クラスで6年間ずっと一緒。 6年間も一緒だとさすがに途中でいざこざもあったりしたけど、時間が経てばまた仲直りしてなんやかんや楽しく過ごしてた。 中学生になってもなんやかんや楽しくやっていくんだろうと思っていた。 でも中学は少し状況が違った。 私の通っていた小学校プラス隣町や2つ隣の町の小学校から一つの中学

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話①

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話 はじめに

          前回のnoteで書いた通り、私は中学時代不登校でした。 若い頃はそのことがコンプレックスで、本当に仲のいい友達以外には言えなかったけど、歳を重ねるうちに、そんなこともあったなぁと思えるようになり、前からやりたかった【不登校の経験を人に伝える】ということに、この場を借りて挑戦してみようと思います。 なぜそんなことをやりたいと思ったかというと、自分が子供を産み母になったからというのが大きいと思います。 当時はあまりそこまで気が回らなかったけれど、子供を産んだ今、私の母や父が私が

          不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話 はじめに

          働くことの原動力

          私は中学のとき、不登校だった。 軽いいじめと学級崩壊気味だったのが嫌で嫌でしょうがなかったのが原因。 不登校になって家に引きこもりながら、あー私中卒になるのかな、私の人生これで終わりだな、と漠然とした不安と諦めが頭の中をグルグルと回っていた。 そんな私にも当時、CAになりたいという夢があった。従姉妹の綺麗なお姉ちゃんがCAを目指してると言うのを聞いて、私もなりたいな、ぐらいの軽めの気持ちではあったけど。 田舎の学校だったけど、成績はクラスで1、2ぐらいによかったから、

          働くことの原動力