不登校だったけど今は幸せに暮らしてる35歳の話④

真面目でちょっと熱めだった1年生の時の担任は、三学期に入った頃に学校を去って行った。
私たちのクラスがあまりに荒れていたので精神的に追い詰められてしまったのだろう。
ホームルームや授業中に、時に涙を流しながら、君たちのやっていることは良くないことだということを訴えてくれていたが、彼らには響かなかったようだ。
たしか赴任して1年目だったはずなので、半年ほどで学校を去ることになってしまった。
当時の先生は今の私より若かった。
まだ若くて、はるばる関西から北海道の田舎に赴任してきて、不安と期待が入り混じっていたはず。
そんな期待を打ち砕くことになってしまって申し訳ないなと、今は思う。
こんなクラス嫌だ嫌だと思いながらも、何もできなかったから、私も先生を追い詰めてしまったうちの一人かもしれない。
先生からはその後クラスに手紙が届いた。
私たちの未来に期待しているという内容だったと思う。

最初の担任が学校を辞めた後、優しいおじいちゃん先生が私たちのクラスの担任になった。
Aや他の男子たちが騒いでも怒ることなく優しく諭して、反論されても「そうかぁ」と受け止める、本当におじいちゃんのような先生だった。
そのくらいの時期だったと思うが、私ともう1、2人、私の母校出身の女の子が“悪口のあだ名“のターゲットになった。
隣の小学校出身の男子とはほとんど話したことがないのに、何か気に入らないことがあったのかなかったのかわからないが、とにかく次のターゲットを作りたかったらしい。
めんどくさいことになってしまった。
なにせ隣の小学校出身の男子たちとはほとんど話したことがなく、反論できるような間柄ではなかったし、そのあだ名が本当に私のことを指しているのか確証がなかった。
でもそういうのは空気感でわかるものだ。
視線だったり、私が何かした時にその悪口を叫んだり。
それでも私には友達がいたから、気にしないようにして学校に行っていた。

悪口は一つではなくいくつかあった。
私だなと気づくものもあれば気づかないものもあったが、隣の小学校出身の女子が教えてくれたりもした。
いくつかある中の一つに、私の苗字を婉曲したようなものがあった。
最初私はそれに気づいていなかったのだが、こういう理由でそう呼んでるらしいというのを隣の小学校出身の女子に教えてもらって、それでなんというか、心が折れてしまった。
苗字をバカにされている=私の家族までバカにされているようで、耐えられなかった。
それからというもの、学校に行くのがどんどんしんどくなっていった。

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