見出し画像

短編小説『究極の無駄』

ある哲学者の誕生

報われなかった過去を恨む、一人の男がいた。

母子家庭で育った彼は、一人息子のために働き詰め、最後は病気で死んでいった母親の恨みを果たすことに囚われていた。

大学だけでなく、哲学科の講師になるまで育てることができて、あの世で母親はきっと満足しているに違いないと、普通は思うものだがこの男は違った。

この男は、母親が何の楽しみもなく、苦労だけして死んでいったと思っている。本当のところ、母親の恨みと思い込んでいるのは、自分自身の他人への嫉妬であった。

「もし母子家庭でなかったら、もし家にお金があったら、自分はもっと成功したに違いない」

「あんな奴が、どうして成功しているのか?俺の方が才能があるのに」

他人の成功を執拗に妬む気持ち。それを無意識的に隠したかった。異常に高い自尊心が、母親の不遇を隠れ蓑にさせていたに過ぎなかった。

「苦労した母親に、もっと楽をさせてやりたかった」

自分を不運と思い込んでいるこの男は、溢れる不満と嫉妬を克服しようと、解決を倫理に求めた。満足できない心を鎮めるために、己の人生を正当化して解釈しようと哲学の道を選んだ。

学問の研究に進んだのは、母親への恩返しの意味もあった。アカデミックな職業は、無学な母親の名誉になるに違いないという思いがあった。その道の高みに昇る前に、母親はこの世を去ってしまった。母親の死は、この男の独りよがりの夢を奪った。

母親に自分の成功を見せることができなくなった。男のこの恨みは、他人の成功への妬みという形を借りて、くすぶるように燃え続けた。

母親を亡くした今、自分の恵まれなかった過去と、他人の成功が、この男にとって一層恨めしくてならない。

今、この男の胸の中には恨みと嫉妬しかなかった。それは、人間への恨みと嫉妬であった。

「人間など、無駄なものでしかない」

人間の存在自体が無駄なものだと証明できれば、恵まれなかった自分の過去も、他人の成功も意味のないものにできる、とこの男は思った。

人間そのものが無駄な存在であれば、人間同士の優劣など意味のないものにできる。自分と成功者との格差を無効化できる、という理屈だ。

ここに、『人間は究極の無駄である』という命題を掲げ、それを証明することに燃える一人の哲学者が誕生した。この男に敬意を表して哲学者と呼ぶことにする。

無駄の証明

哲学者は、人間が究極の無駄であることを証明するために、一般的に無駄であると考えられているものと人間を比較することにした。その無駄なものより人間の方が無駄であるなら、人間が究極の無駄であると証明できると考えた。

「誰が考えても無駄なものとは?」

哲学者はしばらく考えた。考えた場所がトイレだった。

「そうだ、糞はどうだろう?糞は無駄の最たるものじゃないか?」

哲学者は糞と人間を比べてみた。糞より人間の方が無駄かどうか?

「糞はどこから作られるのか?糞を作るのは人間だ。人間は言わば糞製造機ということができる。そうなると、どうしても生産物の糞より、製造主の人間の方の価値が高くなってしまう」

糞より人間の方が無駄であるとは証明できそうもない。ここで哲学者は考えた。

「人間より糞の方が無駄というのはまずい。一つでも人間より無駄なものがあっては、俺の欲しい証明ができなくなる」

哲学者は最初から躓(つまず)いてしまった。しかし、哲学者の根の深い恨みを晴らすことへの執着心は、簡単に諦めさせなかった。

「絶対的な無駄ではなく、無駄を相対的に序列化すればいいのではないか?」

つまり、糞よりも無駄なものを見つけて、それよりも人間の方が無駄だとわかれば、人間は糞よりも無駄だと証明できるのではないかとう論法だ。哲学者はこの三段論法を、独創性を加味して『一般無駄相対性理論』と名付けた。

「糞よりも無駄なものは何か?その前に糞とはそもそも何だろう?」

哲学者は糞について考察してみた。今まで糞について特別考えたことなどなかった。哲学者の頭の中で、ご飯を食べている時も、学生に講義している時も、糞のイメージがちらついて消えなかった。

「どうして糞は嫌われるのだろう?食べた物のカスというだけなのに。何しろあの臭いが嫌だ。そうだ、くさいということは毒素が混ざっているからだろう。それに大腸菌のような悪い菌も入っている。だから簡単に言えば、糞は臭くて汚い。こんな無駄な糞よりも無駄なものなんてあるだろうか?」

哲学者はトイレで大便を排泄しながら考えた。

「そういえば、昔は糞を畑に撒いていたこともあった。そのせいで、腹の中に回虫が湧いたものだ。国によっては、糞を乾燥させて燃料にしたり建築材料にしたというのを聞いたことがある。糞も利用価値があったということか。そうだとすれば、全く利用価値のないものが他にきっとあるはずだ」

哲学者は、全く利用価値のない物はないかと考えた。

昨晩は安くて硬い牛肉を食べすぎたせいか便秘気味だった。哲学者が力んだ拍子に屁だ出た。

「そうだ、屁だ。屁は糞より無駄だ。屁は臭いだけでなく、二酸化炭素やメタンなどの有害な成分も含んでいる。さすがに、屁を有効利用したということは聞かない。確実に屁は糞より無駄な物だといえる」

これで、屁より人間の方が価値が低いことを証明すれば良いことになる。そこで哲学者は屁と人間を比較してみた。

「屁の一番の特徴は臭いことだ。臭くない屁というものに出会ったことがない。臭い人間も中にはいるが一般化できない。臭さでは屁より人間の方が劣っているとも言える。屁は臭いという一つの個性を持っている。人間は臭いという一点では個性化できない。人間の個性は多面的である。個性の単純性に置いて、人間は屁よりも劣っている」

ここまで思索をめぐらした時、哲学者は愕然とした。

「そうだ、屁も糞と同様に、人間から排出された産物だった。この点で、製造主である人間に支配されている。人間の方に優位性を認めざるを得ない」

哲学者は、糞の時と同じ思考の過ちを繰り返した自分に腹が立った。

「くっそー」

哲学者は人間とは直接関係のないもので、無駄なものはないかと考えた。家の中のものを見渡して見た。どれもこれも人間が作り出したもので溢れていた。当然だった。

そして、家から外へ出て街を歩きながら眺めた。歩道に沿ってそびえる街路樹。白い雲と青い空。電線に休む鳩。しばらく歩くと橋の下を川が流れている。自然は何を見ても、人間よりも無垢で美しく、人間より無駄とは思えなかった。

哲学者の頭の中に一つの図式が浮かび上がった。人間は、自然よりも無駄なもので、糞や屁よりも無駄ではないもの、という中途半端な人間の序列であった。

哲学者の絶望

哲学者は自分が情けなかった。人間が究極の無駄であることを証明できなかっただけでなく、人間より劣っているものを糞と屁以外に見つけられなかったことが惨めだった。

哲学者の前を、肥満気味の婦人が柴犬を連れて歩いていた。柴犬が植え込みの横で素早く糞をした。携帯を覗いていた婦人は、犬が糞をしたことに気が付かずに行ってしまった。哲学者の前に湯気の立つような糞がころがっている。

哲学者はその茶色い糞を見て腹が立った。まるで犬の糞に馬鹿にされたような気がした。哲学者は、その糞を拾って飼い主に投げつけてやろうかと思ったが止めた。哲学者は立ち止まったまま糞を見つめた。

「この犬の糞は人間のものではない。つまり序列から言えば人間の糞より無駄なものだ」

哲学者は、人間の序列が一段上がってしまったことに悔しさを覚えた。すると、哲学者の頭にまた序列の図式が浮かんだ。

「犬の糞よりネズミの糞の方が劣るだろう。ネズミよりもゴキブリの糞の方が劣るはずだ。ゴキブリよりノミの糞の方が更に劣るに違いない」

序列の図式が更新されていくに従って、反対に人間の序列が上がっていく。

「俺の目指した命題は完全に否定されてしまった。人間は究極の無駄だと証明しようとした俺の目論見は崩れ去ってしまった」

希望を失って呆然としていた哲学者の足に、子供の乗った補助輪の付いた小さな自転車がぶつかった。不意を突かれた哲学者は前に押されて犬の糞を踏んでしまった。

「すみませーん」

子供の後ろから自転車に乗った母親らしい若い女が謝った。哲学者は下を向いたまま耐えた。

「駄目でしょ、ちゃんと前を見なくちゃ。すみませーん」

そう言って、母親と子供は通り過ぎて行った。哲学者の右足の靴の底に、ベットリと張り付いた犬の糞は、まるで「お前より自分の方が価値がある」と主張しているように感じられた。

「そうだ、もしかしたら俺は犬の糞よりも価値がないのかもしれない」

哲学者は、靴の底の糞を歩道で擦り取りながら考えた。

「そもそも人間一般と、俺自身が同等という前提は間違っているかもしれない。あんな命題を証明しようとした俺自身は、犬の糞以下の究極の無駄だったのだ。人間が無駄なのではなくて、俺だけが無駄だった・・・」

その思いに至った時、哲学者には絶望しかなかった。

哲学者の死

生きる目的を失った哲学者は、家に帰る気にもなれず街をさまよった。

今日に限って、頬に当たる風が優しかった。風に揺れる街路樹の欅の葉の揺れる音が音楽の様に聞こえる。西の空に傾いていく茜色の夕陽が鮮やかに遠くの山際を照らしていた。

「無様な俺を完璧な自然が哀れんでいる。むしろ嘲笑ってくれ。人間を無価値なものにしようとした企みは、見事なまでに俺自信の無価値を暴露してしまった」

哲学者にはもう生きていく意味がなくなってしまった。人間を無価値なものにさえすれば、自分の不幸な過去と他人の成功への嫉妬心を消し去ることができると信じていた。

「このままでは、俺の中に燃えたぎる地獄の炎のような憤懣(ふんまん)を抑えることができない。誰もこの薄汚い炎を消すことができないだろう。ああ、苦しくてたまらない・・・」

哲学者は夜の街を行く宛もなく歩き続けた。それから三日間、哲学者は夢遊病者のようにさまよった。

「俺こそが、俺こそが究極の無駄だった・・・」

何度も同じことをつぶやきながら、哲学者は今、町外れの森の片隅にある動物園の中に居た。頭の中を駆け巡る糞の面影が、哲学者の深層心理の中にあった動物園の獣の糞を連想させてしたのかもしれない。

哲学者の目の前の柵の中ではアフリカゾウが歩き回っている。ゾウの尻から大きな糞の塊が落ちた。

「糞だ、糞だ、俺は糞以下の無駄な人間だ!」

哲学者は発狂したように走り出した。

「糞だ、糞だ、俺は糞以下だー!」

哲学者は、放し飼いにされているライオンの柵の前まで来ると、高い柵に飛び移り、あっと言う間に柵を乗り越えてしまった。

柵の内側に落ちて仰向けに唸っている哲学者の方に、ライオンが何頭も集まって来る。柵の周りで大勢の悲鳴が上がる。ライオンの群れに取り囲まれ、哲学者の姿が見えなくなる。骨の砕ける音と共に、辺りの地面に真っ赤な血が流れた。

自分を究極の無駄と悟った哲学者だったが、少なくとも獣の腹の足しにはなったのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?