見出し画像

短編小説『年寄りが消える村』

年寄りが消える

これは、私が小さい頃にお祖父さんから聞いた話です。お祖父さんがまだ所帯を持つ前の若い頃、九州の田舎を一人で旅していた時に出会った村の話です。

その村は山奥にある三十軒ほどの集落でした。他所者(よそもの)のお祖父さんにも、お茶を出してくれたり、とても親切にしてくれました。お祖父さんは、気さくで明るい村の人たちや、美味しい水や空気だけでなく、時間がゆったり流れる村の雰囲気が気に入りました。お祖父さんはその村の農家の納屋の二階を借りて、しばらく滞在することにしました。

この村ではどの家も自給自足の暮らしをしていました。段々畑で野菜を作り、山で鹿や猪を捕まえ、川ではイワナやヤマメを捕ったりして暮らしていました。唯一、米だけは適した土地がなくて、山を超えた隣り村まで、捕った獣の肉を運んで米と交換していました。

お祖父さんは、身を寄せた家の仕事を手伝いながら、裏山に登ったり、近くの川に出かけては好きな絵を描いていました。絵を描いていると、通りがかった村の人が立ち止まって褒めてくれるのが嬉しかったそうです。

村では、家の修理や道の修復には、集落の全ての家が総出で作業していました。お祖父さんも、古くなった家の取り壊しに駆り出されました。二階建てのトタン屋根の家で、機械など使わずに金槌と釘抜きだけで解体していくのです。屋根のトタンを剥がす者、壁板を剥がす者、みんな慣れたもので、あっと言う間に取り壊してしまったそうです。

お祖父さんが一番驚いたのは、取り壊す家の前にあった枯れかけた大きな欅の木を、ロープを木のてっぺんに縛り付けて、大勢でロープを引っ張ってなぎ倒してしまったことです。

取り壊し作業が終わると、庭にムシロを敷いて、この家がお礼に用意した食事やお酒をご馳走になって、集落の話題に花を咲かせて、賑やかに盛り上がったそうです。

何でも助け合うこの村の様子を見て、お祖父さんは益々この村が好きになりました。

ただ、暫くするとお祖父さんは不思議に思うことがありました。

この村には年寄りが一人もいないのです。家並みを見ても、集落自体は相当の歴史がありそうなのに、どの家にも年寄りを見かけないのです。働き盛りの夫婦と子供たちしかいません。

お祖父さんは世話になっている家の主人にそれとなく訊いてみました。

「この村は若い人たちばかりで、お年寄りはいないですね?」

家の主人は一瞬動揺した表情をしました。

「ああ、そうだね。ここじゃ、年を取るといつの間にか居なくなるんだよ」

「いつの間に?」

お祖父さんは意味がよくわかりませんでした。

「この村じゃ、年を取って来ると自分から家を出て行って、居なくなるんだよ」

「えっ?どうして?誰も引き止めないんですか?」

「ああ、みんなが寝ている夜中に居なくなるからね」

お祖父さんはとても信じられませんでした。猫が死ぬ時に自分から居なくなるという話は聞いたことがありましたが、年寄りが自分から居なくなるなんて聞いたことがありませんでした。

お祖父さんがもっと不思議だったのは、家族が居なくなることを、自然のことのように受け止めているのが気になりました。

本当か嘘か知りませんが、動けなくなった年寄りを山に捨てに行く『姥捨山(うばすてやま)』という風習があったという話を、お祖父さんは知っていました。

でもこの村では、まだ元気な年寄りが自分から家を出て行くというのです。「出ていった年寄りは、いったいどこへ行くんだろう?」お祖父さんは気になって仕方がありませんでした。

居なくなる理由(わけ)

お祖父さんはそれからも、会った村の人にそのことを訊いてみましたが、どの人も同じ答えでした。

「えっ?ああ。年をとるとみんな出ていくな。えっ?そうそう、どこへいくんだか、誰も知らねえんだ。えっ?探さねえのかって?ああ、探さねえな、みんな。言われてみれば、そうだな。どうしてだかな。昔から、みんなそうしてるからな。そうするもんだと思ってるから、みんな」

お祖父さんは他所者だからから、村の人たちにかわれているのかもしれないと思いました。それとも、他所者には知られたくない何か特別な理由があるのかとも考えました。そうだとしたら、あまりしつこく訊きまわると嫌がられるのでそれきりにしました。

お祖父さんが村に来て半月ほど経った頃、季節は丁度春のお彼岸にあたりました。世話になっている家でも、裏山の中腹にある先祖の墓にお参りに出かけました。お祖父さんも誘われて出かけました。

庭先に咲いていた花を何本か切って、線香と水、そしてお酒やご馳走の入った重箱を、家族が手分けして持って行きます。

家族の一人ひとりが墓に水と線香を手向けて、しゃがんで拝みます。それが済むと、墓の近くの見晴らしの良い所にゴザを広げて、用意したご馳走を食べたり、お酒を飲みます。みんな、これが楽しみで墓参りに来たように見えました。

お祖父さんも家族の中に混じって、春のひと時をのんびり過ごしていると、隣に座った家の主人が、お酒で赤くなった顔を向け、お酒を注ごうと声をかけてきました。

「どうした?全然飲んでないじゃないか。ほら、グッといって、グッと」

「あ、は、はあ、どうも」

お祖父さんはアルコールは苦手な方でしたが、一杯ぐらいはと、酒が注がれたコップを口に運びました。

「なんだ、いける口じゃないか、さ、もっとやって、もっと」

家の主人は酒臭い息を吐きながら、またコップに酒を注ぎました。仕方なくお祖父さんもコップの酒を飲み干しました。

「いい飲みっぷりだ。若いもんはそうじゃなくちゃな。よし、よし・・・。あっ、そういえば、年寄りのこと訊かれたよな?前に?」

「ええ」

「あれな、あれはな、子供のことを思ってな、それで、親がな、子供のことを思って家を出ていくんだよ」

家の主人は相当酒が回ったらしく、とろんとした目をしながら苦しそうな息を吐いていました。お祖父さんは黙って聞いていました。

「年を取ると身体がいうことを効かなくなるだろ、そんで、役に立たなくなって、寝たきりにでもなれば家族に迷惑をかけるだろ?そんで、家族にな、迷惑になる前にだよ、子供や孫のことを思ってな、自分から居なくなるんだよ・・・わかったか!」

そう言うと家の主人は鼻水を手の甲で拭きました。お祖父さんには、家の主人の目から涙が出ているように見えました。

「本当の話だったのかな・・・」

お祖父さんは思いました。山のところどころに、山桜の白い花が咲き始めていました。

感謝

誘われて墓参りに付いていったお祖父さんは、食事にひと通り手をつけると途中で座を抜けました。家族団らんの中に、自分がいつまでも居るのは場違いに感じ始めたからです。

「でも、年寄りが居なくなるんなら、お墓は要らないような気もするけど・・・」

お祖父さんは帰る途中で、またお墓に寄ってみました。墓石の周りを調べると、普通はあるはずの葬られた人の名前や享年、亡くなった日付などはありませんでした。世話になっている家の墓だけでなく、まわりの墓を見ても、亡くなった人の記録は墓石に刻まれていませんでした。

お祖父さんが居る墓地は、七軒ほどの家のお墓がまとまって設けられていました。他にも二軒の家の家族がこれからお参りをするところでした。お祖父さんはその様子を遠くから眺めていました。

小さな子に親がお参りの仕方を教えています。

「いいかい、ご先祖様のおかげで暮らしていけるんだよ。ありがたいと思って拝むんだよ。そう、もっと頭を下げて、そう、手を合わせて、そう。今度は花に水をやって。そんなにやらなくていいよ、こぼれてるから、もういいよ。ほら、お線香もあげて、そこに。そう、ご先祖様も喜んでるよ」

子供が終わると大人たちがゆっくりと拝み始めます。お祖父さんは、こんなに時間をかけて拝むお墓参りを初めて見ました。別の家のお墓参りも同じように長い時間をかけて、お墓に向かって拝んでいました。

お祖父さんは思いました。この村の人たちが暖かくて優しいのは、先祖に対する感謝がそうさせているんだと。自分たちの幸福は、先祖のおかげなんだと思うから、他所者にも優しいんだろうと思いました。

父の後を追う息子

お墓参りから数日後、ある出来事がありました。この出来事は、お祖父さんが村を離れる時に、近くのバス停まで自転車で送ってくれた近所の青年が聞かせてくれた話です。

集落の一番はずれにある家には、五十代半ばの両親に、三十近くになる息子が暮らしていました。

その息子は最近父親の様子がおかしいと感じていました。お彼岸のお墓参りも、いつもより元気がないように見えました。母親も口数が少なくなったような気がしていました。

お墓参りから何日かした夜、小便に起きた息子は、玄関の引き戸が静かに閉まる音を聞きました。

「こんな夜中に変だな・・・」

不審に思った息子は、玄関にあるはずの父親の靴がないのに気づきました。

「まさか!」

まだ夜中は肌寒い時期でしたが、息子は寝間着のまま父親の後を追いかけました。庭を出た父親の照らす懐中電灯の灯りが揺れています。

そっと後を追う息子の心の中は複雑でした。小さい頃から親や周りの大人たちに聞かされていました。家を出ていく年寄りの後を追いかけてはならないと。それはまるで神仏に触れるような、おそれ多い罰当たりなことに思われました。

しかし、その時の息子は、まだ親を失いたくない気持ちの方が強かったのです。

前を歩く父親の心中も複雑でした。まだ嫁をもらう前の息子を残して家を出ていくつらさ。孫の顔を見てみたい願いを捨てていく悲しさ。息子のために妻を残していく寂しさ。しかし、先祖代々子孫の幸福の為に守られてきた風習を、自分の代で途絶えさせてはならないという義務の気持ちの方が強かったのです。

本来なら夫婦揃って家を出る習わしなのですが、この家の場合、息子がまだ独り者のため、妻を残したのです。妻も苦しかったはずです。息子のためとはいえ、夫一人を送らねばならない申し訳なさがありました。

「後のことは頼んだぞ。いい嫁をとってやるんだぞ。お前はしっかり孫の顔も見てから来いよ」

夫はそう言い残して、泣き崩れる妻を後に家を出ていったのです。

楽園

後を付けられているとも知らない父親は、暗闇の中を懐中電灯を頼りにいくつもの山を超えました。その辺りは息子も村の人も行ったことのない遠い所でした。

「父ちゃんはどうしてこんな所を知っているんだろ?」

山の中のけもの道のようなところを休まず歩いてきた父親は、ゆるい坂を登りきったところまで来ると、立ち止まって上着の内ポケットから、一枚の紙を取り出して確かめているようでした。

父親が周りを見回していると、道の脇に生えている笹の茂みの中から、頭巾のような布をかぶった男が顔を出しました。

父親は驚くこともなく、その男の手招きに応じて笹の茂みをかき分けて入って行きました。

息を殺して見ていた息子も、音をたてないように、そっと茂みの中へ入って行きました。笹の茂みの先は、ブナやナラの木が所狭しに茂っていて、息子は落ち葉を踏む音に気を付けながら、二人を追いかけました。

更に進むと開けた所に出ました。空は少し明るくなってきていました。先を歩いていた男は、遠くを指さして父親に何か話しかけました。二人は指さした方にまた歩き始めました。

少し遅れて息子も開けた場所へ出ると、そこは広い盆地が見渡せる山の中腹で、眼下に集落が点在しているのが見えました。先の方に、男と父親が山を下って集落の方へ向かうのが見えます。

男と父親が集落の入り口まで来ると、いつの間にか大勢の人が集まって来ていました。息子は気づかれないように、木の陰に隠れながら近づきました。

人垣の中から白髪の老人が前に出てきて、父親に話しかけました。

「よく来てくれた。道は迷わなかったかな?」

「ええ、送られてきた手紙に入っていた地図でなんとか」

「よく決心してくれた。歓迎する。さ、先ずは向こうで身体を休めるといい」

父親はその老人に頭を下げると、案内してくれる者について集落の中に入って行いきました。父親を迎える集落の人たちも、微笑みながら取り囲んでいます。

よく見ると、集落の人たちはみんな年寄りばかりでした。息子は父親が心配でした。

「ここはどこだろう?父ちゃんは、これからどうするんだろう?」

息子は集落がよく見渡せるところまで山の斜面を登りました。集落は大きな庭を取り囲むようにカヤぶきの家が並んでいます。

家の周りには色々な花が咲いていました。家の外側は畑になっていて野菜がたくさん育っています。更にその外側は梨や葡萄、桃や林檎などの様々な果物が大きな実を垂らしているのが見えます。

「あっ、ミカンやバナナまである。こんな季節になんでも実っている。もっと向こうは水田みたいだ。黄色く頭を垂れた稲穂が風に波打っている。何でもある。ここはまるで天国みたいだ」

息子が集落の景色に見とれていると、庭には白いムシロが何枚も敷かれ、その上に山盛りにされたご馳走の大きな皿が何枚も並べられていました。お酒の入った木の樽もあります。

「あっ、父ちゃんだ」

ご馳走を囲むように集落の人々がムシロの上に座りはじめました。父親は座の中央に先程の老人の横で座っています。やがて老人の掛け声とともに宴会が始まりました。父親を歓迎する宴のようです。父親も笑顔で感謝をしています。

息子はこの様子を眺めながら涙を流していました。

「父ちゃん、良かったな、こんないいところへ来て。どうか、達者でな。俺も、もっと頑張るよ」

そう言うと、息子は山を登り、来た道を帰って行きました。

村へ帰った息子は、それまで怠けていた畑仕事や家の仕事を自分から進んでやるようになったそうです。そして、「早く一人前になって、嫁をもらって、子供をいっぱい作って、母ちゃんを安心させてやるんだ」と言っているそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?