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【全文無料】 あきらめる話 「絶望の先の希望」 ※4月3日追記有り

今回あきらめる話を書きます。

このことは案外大切なことと思います。
とはいえ、あまり語られない話でもあります。

それってこんな理由かな。
そもそも挑戦する人と挑戦しない人との2種類に分かれるとしたら、
挑戦する人はやり続けることで成功できるのであきらめる必要がない。
挑戦しない人はそもそもしないので、あきらめる必要がない。
つまり、挑戦してもやり続けなかった人が諦めたわけだ。
あきらめることは、ネガティブだし、大きな声で語る話でもない。
そんなわけで、あきらめるという決断はあまり語られない。


当初私も、自分で受け入れられなくて、情けなくて、恥ずかしくて、しばらく葛藤してました。

それでも誰か一人に伝わるなら発信し続けようという思いがもともとあり、
書きにくいことだから有料記事にしようと思ったものの、
なるべく多くの人にと知ってもらうためなら(苦笑)
一番高い有料記事だけど、無料で全文読める形がいいかなあと考えました。

そんなわけで
ピンときた方は是非お読みください。



1 栗城史多という先例


上で述べたとおり、
当初私も、自分で受け入れられなくて、情けなくて、恥ずかしくて、しばらく葛藤してました。

そんなときふと思い出したのは、栗城史多(くりき のぶかず)さんのこと。

https://www.kurikiyama.jp/

彼はあきらめない選択をしたことで、最後までエベレスト登山に挑戦して亡くなりました。


彼の生き様から挑戦する人が増えた!
このことは事実で、影響力を与えた今でいうインフルエンサーでした。
かく言う私も多大な影響を受けていた。


反面、彼は本当にエベレスト登山が好きだったか?
と言えば、決してそうではなかったのではないか。

もっとはっきり書けば、
「もうやめたかったのではないか?」

でも、ビジネスやらSNSやら色々な思いの果てに、引くに引けなくなってしまったことが推察される。

参考までに
栗城氏について書いた本「デスゾーン」(河野啓・著)の感想note


2 では私は?


私も栗城氏ほどに目立ちもしなければ、何者でもないけど、氏と同じように似たような背景で「炭焼き」を志していた。

しかし、私の身の回りの現実が、私自身を省みるきっかけをつくった。

およそ半年弱ほどお世話になった場所
※リンクは削除。

突然に言われた

「◯◯◯◯◯◯◯◯」(文字数は◯の数と合わせてません。想像してね)
・・・・

なんて顛末の詳細はこちら

と言うわけで細かくは割愛するが、察して頂きたい。

お世話になった方なので悩んだ。

話し合いをしたが、違和感が残った。
それでも、その人を信じたかった。
だから、変にその人の言う通りにしないといけない気になっていた。

その後、さまざまな人と話す中で、客観視できた。

「もう終わりにしよう」

NOと言っていいと、私自身の正直な心を伝えることを自分自身に許した。

違うところで生きていこうと決めた。
また、学習塾を始めたいと思ってもいたがそちらもゼロにした。
こんな状況ではできなかったから。(その部分では迷惑もかけてしまった)

当初、実家に帰ろうとしたものの、実家も手狭になるのでそれは実家の方から断られた。

そこで、声をかけてくれたところで働くことにした。
荷物を運び出して、住まいも決められそうだ。


私自身の本音にも気づくことができた。

炭焼きは自己承認欲求だったということ。

これには我ながら絶望した。
なんだか嫌になった。

今まで言って来たことが
ガラガラと音を立てて崩れる。

アイデンティティがなくなってしまう感覚だった。
でも、自分に嘘をつくことよりマシだった。

そして
栗城さんと一緒だったんだ。と私は思う。
栗城さんの生き方も素晴らしいけど、私はそちらは選びたくない。

そして、承認欲求を満たすためなら別のことをしたらいいと考えを改めた。
いま学んでいるNVCの考え方から影響を受けた。
全ての行動の奥にニーズがあり、それを満たす行動は選択できるってところか。

受け入れがたかったけど、受け入れるしかない。

つまり、あきらめた。


3 最後に


あきらめるの語源は、明らかに見るということだという。
もう何年も前にこんな色紙を描いてもらったこともあった。

結果としてその通りになった。


さらに、栗城史多氏について調べていくうちに、面白いことを栗城氏が語っていたことを知る。

「楽しくなければ下山しろ」

栗城氏の山の先輩から教えてもらった下山の判断基準だという。
私自身はまさに楽しくなくなってしまったから、下山することに決めた。

一方の栗城氏は果たしてこのインタビュー時(亡くなる1年ほど前の2017年)に楽しかったのだろうか? 

本人が一番わかっていたのかもしれない。


絶望的な話にもなったかもしれない。
でも、常に絶望の先にしか希望はないとも思う。

感情を大きく2種類に大別するならば、愛か恐れかだ。
私は常に恐れから行動してきた。

でも、周りを見回すと
愛から、
というより楽しさから、
あるいは好奇心から
動いている方が多い。

私なりに好奇心から動くことに挑戦してみよう。

また、新たなお仕事も全く初めての業種。こちらも挑戦だ。

多かれ少なかれ人生は挑戦だ。
ある意味、明らめて挑戦しよう。


あきらめるからこそ見える世界もある。
開ける地平もある。
そこに希望を見出そう。

今後は勤めに出る。
初めての業種なので、最初は大混乱かもしれない。
それでも信頼する方からのお誘いだったので、目指す方向性は共有できている。事務的なことからなんでもやりたい。
さらに、「つなぐ」ことを決めていることにも魅力がある。どこも後継者継承に困っているところばかりだからだ。親族以外に受け継ごうとする会社は案外少ない。面白いモデルになりうるとも思う。

そして仕事をしながら、令和漢詩や小説等の文学を書いてみようと思う。
現代に足りないのは、フィクションかもしれない。夢見る余地があまりに少なくなってしまったから。

それは絶望の先に見える希望でもある。

どんな時も希望を持つ事からはじまる。
その希望は良い条件を与えられるから持てるわけでは無い。
むしろ、絶望の中にこそ希望を見つけることが多いようだ。

今回私は良い経験をさせてもらった。

絶望にのたうちまわった。
うちひしがれた。
そこから見える世界も描いてみたい。

世間一般の希望では無いのかもしれない。

それもいい。

もし誰か一人でも勇気付けられることができたら、
それでいいではないか!


最後に
よく言われる話だが、
これからの人生を考えると
今日という日は
どんな人にとっても
一番若い。

いつだって人生はおかわりアリだ。

これは辻仁成の名言。私はまたオカワリしてみよう。


お読み頂き、ありがとうございました。






4 【追記 4月3日】自己受容の先に


長くなりますが、お付き合いください。


まさにぴったりの話を見つけた。たくちゃんメルマガより以下引用。


たった一つの小さな「コツ」があなたを変える

【今日のコツ】

自分を癒し満たしたとき、
ほんとうの自分を生き始める。


共に生きる皆さんへ

こんにちは、野澤卓央です。

今日もメルマガをお読みくださり

ありがとうございます。

◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦


人生最初の目的は、
自分を癒し満たすこと。

つまり、自己受容。


自分が自分であっていい、
この世界は安全だと脳の深いところが
感じると生存本能が鎮静化する。


生存本能は危険を感じるたび、

自分の身を守ろう、居場所を作ろう、
自分の価値を認めてもらうと動き出す。


生存本能は自分の一部ですが、
自分の本体、本当のわたしではない。


生存本能が安心し鎮静化すると、

人から強く、よく見られようとしたり、
人との関わりを避けるなどの

身を守るために反射的にしていた
克服、回避の行動が減っていく。


すると、

内側に心の平安が訪れる。


どんな場所でも人とでも安心して、
本来のわたしでいられると、

自分の周りに平和と調和が訪れる。


まずは、

自分を受容することで、

生存本能に乗っ取られ
反射的にしている

不快な現実を作り出す
克服、逃避行動に気づき、

悩み苦しみのループを終わらせる。


そこから本当のわたしを生きる、
与えられた命を活かす道が始まる。

◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦◦

引用ここまで


引用リンクはこちら

https://ameblo.jp/chiisanakotsu/entry-12735240619.html


私が上で書いた承認欲求は、
自己受容のためだとしたら、
私は長いこと遠回りをしてきたようだ。


大事なことなので、繰り返そう。

まずは、

自分を受容することで、

生存本能に乗っ取られ
反射的にしている

不快な現実を作り出す
克服、逃避行動に気づき、

悩み苦しみのループを終わらせる。


そこから本当のわたしを生きる、
与えられた命を活かす道が始まる。

気づいたところからはじめよう。
これからの人生で今日は一番若いのだから。


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