見出し画像

【コラム】🎵パリ発 能オペラ「隅田川」3月に日本初演 ─ 在仏50年の吉田さん作曲、17年越しで凱旋実現🥎元朝日新聞記者 飯竹恒一【語学屋の暦】【時事通信社Janet掲載】

【写真説明】稽古に臨む狂女役のソプラノ蔵野蘭子さん(中央)、打楽器奏者の東廉悟さん(奥左端)、青栁はる夏さん(奥右から2人目)、村上響子さん=2023年11月、神奈川県川崎市高津区の洗足学園音楽大学(撮影:飯竹恒一)

この記事は下記の時事通信社Janet(一般非公開のニュースサイト)に2024年1月23日に掲載された記事を転載するものです。

異国のパリを棲み処(すみか)にして半世紀になる作曲家は幼少時、鎌倉で蝉(せみ)やお経の声に親しんだという。ライフワークとして追い求める音楽の根幹に、母国の大衆音楽に息づく日本語を位置付けるに至る。中でも、15世紀の能の世界をベースにフランス政府委嘱で制作したオペラは、仏各地で公演を重ねて高く評価された。ただ、日本初演までには17年という長い年月がかかった。

この3月に日本初演が実現する能オペラ「隅田川」。1972年に渡仏し、パリ国立高等音楽院で現代音楽の巨匠、オリヴエ・メシアン氏(1908~92年)に師事した吉田進さん(76)が手掛けた。人さらいに連れていかれた息子を探し歩く「狂女」と「渡し守」のやり取りで展開する能楽作品は、室町時代に活躍した世阿弥の子である観世元雅によるもの。それを吉田さんがオペラにしたのは、メシアン氏から「現代の能のようなオペラをあなたなら書ける」と励まされたことが大きいという。


吉田進さん=2023年11月、東京都内で
(撮影:飯竹恒一)

吉田さんは、パリで西洋音楽と向き合う中、自身の奥底で響き続ける日本語の美しさに気づいた。一時帰国して聞いた日本独自のポピュラーソングとしての「演歌」に魅せられ、「演歌」と題した作品も手掛けたほどだ。今回の隅田川は現代日本語に訳して「能オペラ」に仕立てたが、フランス公演ではカナダ人とアルゼンチン人の歌い手がそのまま日本語で歌う異色の演出が話題を呼んだ。2007年に仏北西部カンペールで初演があったのを皮切りに、フランスで計22回の公演を数える成功を収めた。


***

フランスでの初演から17年。ようやく実現する日本初演で狂女役を担うソプラノの蔵野蘭子さんは「自分の内側から湧き上がる狂女を表現したい。自分と作品を一体化させたい」と意気込みを語った。昨年5月、狂女とその息子・梅若丸の故郷とされる京都・北白川を訪ね、梅若丸が修行をしたという比叡山にも足を運んだという。「狂女は京都からはるばると隅田川までわが子を探してやって来ました。東京に住む私が北白川まで出掛けることで、その母の思いを少しでも体得できればと思いました」と話した。

【写真説明】稽古に臨む狂女役のソプラノ蔵野蘭子さん=2023年11月、神奈川県川崎市高津区の洗足学園音楽大学(撮影:飯竹恒一)

「もっと間を取って」「木琴と狂女の歌のバランスを」。昨年11月、蔵野さんらが集まった稽古で、一時帰国中の吉田さんが直接指導に当たった。楽曲編成は古川玄一郎さん、村上響子さん、青栁はる夏さん、東廉悟さんの4人の打楽器演奏。木琴の音色がリズミカルだが、どこかもの悲しげに響く。一方、シンバルや大太鼓が激しく音を放ち、病で亡くなった息子に向け、「いま一度この世の姿を母に見せてください」などと、かなわぬ願いを口にする狂女の心境を表現する。

稽古で指導に当たる作曲家の吉田進さん=2023年11月、神奈川県川崎市高津区の洗足学園音楽大学(撮影:飯竹恒一)

印象的だったのは、吉田さんが取材に「本当の主役は母親でも渡し守でもなく、人間の喜びや悲しみを黙って見守る隅田川です」と話したことだ。仏音楽学者パスカル・テリアン氏は、吉田さんの作曲の経緯を分析しつつ、「打楽器四重奏は多様な形を取る主人公であり、登場人物を取り巻く川や自然、亡くなった子どもの魂、あるいは都鳥を象徴している」(The percussion quartet is a polymorphic protagonist, symbolizing either the river or the nature that surrounds the characters, or the spirit of the dead child, or else the bird Miyako.)と指摘している。

私自身、古巣の新聞社のパリ時代の2007年にカンペールの初演を見たが、力強い歌声もさることながら、打楽器が刻む柔らかなテンポが今も忘れられない。今回、蔵野さんとバリトンの大塚博章さんが響かせる日本語の歌声が打楽器とどう共鳴するのか、注目したい。


***

ところで、今回の日本初演が実現する原動力となったのは、過去に吉田さんの作品「花鳥諷詠」を演じた縁もある蔵野さんだ。公演活動の傍ら教鞭(きょうべん)を執る洗足学園音楽大学(神奈川県川崎市)が学園創立100周年記念の演奏会やイベントを計画していたことから、その一環で今回の日本初演を実現できるよう尽力した。4人の打楽器演奏者が集まれなくても稽古が円滑に進むよう、同大出身の牧華子さんが「稽古ピアニスト」の役目を引き受けてくれるなど、「大学関係の皆さまをはじめ、多くの人たちのエネルギーを集約して実現の運びになった」と話す。

【YouTube動画説明】杉並ミュージックブランチコンサート 吉田進作曲 花鳥諷詠(高浜虚子の俳句)〜ソプラノとピアノのための ソプラノ 蔵野蘭子 ピアノ 水谷稚佳子

実は、日本公演の実現を目指して、かつて吉田さんと一緒に奔走したフランス人がいる。フランス公演で演出を手掛けたミシェル・ロスタンさん(81)だ。東京、横浜、金沢など日本各地を回り、可能性を探った当時の経緯について、こんな説明をしてくれた。

「この作品を日本の人たちに知ってもらうため、公演ツアーをぜひ実現したいと思いました。さまざまな温かいパートナーとの出会いがあったものの、残念ながら成功には至りませんでした」(Je souhaitais vraiment qu’une tournée permette au public japonais de connaitre cette œuvre. Mais bien que ce projet ait rencontré divers partenaires très chaleureux, il n’a pu hélas aboutir.)

ミシェル・ロスタンさん(ミシェル・ロスタンさん提供)

この点、吉田さんが痛感するのは、芸術家を取り巻く日本の環境だ。今回の能オペラは、そもそも大々的な宣伝をして大金を稼ぎだすような性質の作品ではないかもしれない。しかし、熱意ある人たちの草の根の努力や大学の記念事業というタイミングなくしては、日本初演が成立し得なかったという現実もあった。
 
もともと、この作品はフランス政府委嘱。吉田さんは「私が仮に日本にいるフランス人で、モリエールの劇をフランス語でオペラにしたいと思ったとして、日本政府がお金出してくれるかというと、『国へ帰れ』と言われるだろう」と話す。祖国の日本に拠点を移さないまま今に至っていることの背景なのだろう。

***

ここで、ロスタンさんについて触れるべきことがある。2003年、息子を病気で亡くしたことだ。その辛い体験を基に、2011年に「Le Fils」 (Oh ! Éditions)と題した小説を書いた。息子が主人公の作品はフランスの著名な賞である「ゴンクール処女作賞」を受賞した。filsはフランス語で「息子」を意味するが、「ぼくが逝った日」(白水社、田久保麻理訳)と題された日本語訳も出版された。下記の通り、吉田さんと隅田川が登場するくだりがある(カッコ内は原文)。
 
「さらにわからないのは、僕が髄膜炎を発症する2年前、2001年に依頼し、いまススム・ヨシダが作曲を進めているオペラ『隅田川』だ。自分はなぜ、あの作品を依頼したのだろう、あれもまた子どもの死の物語じゃないか。無意識は迷走し、親父は自分の妄想に囚われのままだ。」(Et pourquoi, en plus, a-t-il commandé en 2001, deux ans avant ma méningite, un autre opéra - Sumidagawa que Susumu Yoshida est tout juste en train de composer, et qui sera une fois encore le récit de la mort d'un enfant ? L'inconscient rôde partout, papa est cerné par son délire.)

 
ロスタンさんによると、息子の死後、事情を思いやる吉田さんから、いったんは隅田川の仕事から身を引いてもらってもよいと打診があったものの、ロスタンさんは迷いなく続けたという。それに関連して私に寄せてくれたのが、次のくだりだ。
 
「痛みで狂った父親としての私の一部が、このオペラが描く痛みに狂った母親と一緒に舞台上で激しく生きていたことも認めなければなりません。 私は自分自身の経験から、子どもを失うことの痛みと私の感情が明らかに観世元雅の能、そして、吉田の作品と共鳴するのが分かっていました」(Je dois aussi avouer qu’une part du papa fou de douleur que j’étais alors a vécu sur scène intensément aux côtés de la maman folle de douleur dont il s’agit dans cet opéra. Je savais d’expérience propre, hélas, la douleur qu’était la disparition d’un enfant et mes émotions trouvaient évidemment des échos dans le nô de Motomasa Kanze puis dans l’œuvre de Yoshida.)
 
意味深だったのは、ロスタン氏が届けてくれた一連のメッセージの中に、「私自身の本の執筆には独自の物語があり、それは特に痛みについても、死後もまだ生きられるという事実についても、偽りたくなかったというこの執筆の挑戦に結び付いています」(L’écriture de mon livre a son histoire propre, liée en particulier au défi qu’était cette rédaction où je ne voulais tricher ni sur la douleur ni sur le fait qu’on peut vivre quand même après pareille mort.)という一文があったことだ。
 
ふと思い出したのは、 吉田さんが隅田川について、「母の再生」が暗示されていると説明していたことだ。それをくみ取ったかのように、仏紙ウエスト・フランスは「…だれもがこの沈黙と悲しみの川の浅瀬を渡る。対岸に亡霊を見て、心安らかに戻ってくる」(… chacun franchisse le gue de cette rivière de silence et de douleur...et s'en revienne apaisé après avoir vu les ombres sur l'autre rive.)と評した。吉田さん自身、隅田川のフランス公演の最中、自身の母の訃報が届いたという。
 
ところで、吉田さんは、5年がかりでフルオーケストラのオペラ「地獄変」(芥川龍之介原作)を完成したところだという。歌手8人が歌い上げる全3幕、計1時間半の大作で、「台本執筆と作曲で計7年、人生の10分の1を費やしました。日本語を音楽化するという僕のライフワークの総決算です」と説明する。吉田さん自身も再生しながら、日々の営みに身を投じてきたということだろう。

隅田川 (墨田区ホームページより) クリエイティブ・コモンズ・ライセンス 表示2.1 日本 ライセンス

東京湾に注ぐ隅田川は、私自身が幼少時に過ごした土地のすぐ近くを流れる。15世紀も今も、変わらず流れている。その悠久の時空があるからこそ、死を乗り越え、再生できると信じられるのかもしれない。吉田さんはこうも言っていた。「自分が死んだ後のことを考えて作品を作っています。自分が死んだ後に、生きた証しを残したいのです」

***
 
能オペラ「隅田川」は3月16日午後4時半、神奈川県川崎市の洗足学園音楽大学シルバーマウンテンで上演される。詳細は同学園サイト(https://www.senzoku-concert.jp/concert/2952/)、問い合わせは日本初演実行委員会(operasumidagawa@gmail.com)へ。

飯竹恒一(いいたけ・こういち)
フリーランス通訳者・翻訳者
朝日新聞社でパリ勤務など国際報道に携わり、英字版の取材記者やデスクも務めた。東京に加え、岡山、秋田、長野、滋賀でも勤務。その経験を早期退職後、通訳や翻訳に生かしている。全国通訳案内士(英語・フランス語)。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?