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ワニを電通案件と呼ぶにはあまりに無理があるいくつかの理由

「100日後に死ぬワニ」の炎上問題、そのメカニズム自体は

https://honeshabri.hatenablog.com/entry/cleansing_of_twitter

上記ブログの解説がしっくりきたのだが、その加速度的なバイラルに一役買ったのは、本件が"電通案件"であるとされたことにある。

しかし、タイトルの通り本件を現時点で”電通案件”と言い切るのはいささか無理がある。その理由を以下に示す。

電通案件の根拠

以下のまとめを参考にすると、根拠は以下3点といえる。

1. twitter公式を管理している株式会社ベイシカの取引先に電通東日本がある。

2. いきものがかりとのコラボYouTube動画のクレジットに電通(及び関係会社の)プランナーが含まれている。

3. メディアミックス(書籍化、映画化、グッズ化の3点)が100日目更新の直後に発表されたこと。

※YouTube動画のいいね!数や、twitterの工作員は真偽不明なため割愛。そもそも電通でなくともこうした工作はできるので、電通案件であるかどうかの証左にはならない。

根拠の薄弱さ

さて、根拠1はtwitterアカウントの管理者(であり100日後に死ぬワニの商標登録者)である株式会社ベイシカの取引先に電通東日本という電通の地域子会社が含まれる、ということだ。

地域子会社というのは、電通九州や、電通関西のようにそれぞれの地域のクライアントに対応する形で組成された子会社のうちの一つで、電通東日本は、東日本地域(東京以外、北関東含む)のクライアントを担当する。当然電通本体と協力関係にあるが、独立してサービスを提供する別会社である。

電通を、日本を牛耳って流行り廃りをあらゆるメディアを使って産み出す悪の秘密結社と捉えると、あまりに規模の小さい組織である。100歩譲って、電通東日本を経由して電通本体が株式会社ベイシカに本件を発注したと考えることもできなくはないが、そこまでしてカモフラージュを行うのなら、そもそもベイシカの取引企業の記載にも目を配っていることだろう。


一方根拠2には、電通本体の人間が関わっている。しかしミュージックビデオの制作に広告会社のクリエイターが関わることはそんなに珍しいことではない。本件もいきものがかり水野氏の配信によると、水野氏が知古の電通のクリエイターに相談を持ち掛けたということである。いきものがかりはソニーミュージックというメジャーレーベルの所属であり、電通や博報堂といった大手代理店とのつながりは深い。今回ADとして記載されている小杉幸一氏は博報堂出身である。

MVに電通スタッフが含まれているということはプロジェクト全体に電通が関わっていることを示唆はしない。むしろ今回、制作側のスタッフ名しか出てこないことは、本MVが独立した企画であることを示唆している。恐らく受発注の流れは、ソニーミュージック→電通だろう。


結局今回の話は、仮に電通が主体的に関わったとするのなら、プロデューサーと呼べるプレイヤーが見えてこないのだ。そして、根拠3である各種メディアミックスの発表が、何の配慮もなく100日目の配信直後に出されたことこそ、優秀なプロデューサーの不在を物語っている。もちろん人次第ではあるが、電通が総合的にプロデュースするのであれば、もっと周到におこなわれるだろう。というか、情報の出し方がどうにも素人臭いのである。

そもそも、電通が主体的に関わってるのなら、彼らは何のために動いているのか?そこが見えないことこそが、本件が"電通案件"でないと思う最大の理由である。

"電通案件"って結局何なのか?

では、"電通案件"とは何を意味しているのか?そもそもそんなものあるのだろうか?

電通は広告代理店である。年間売上1兆を超える彼らの最大の儲け口は、メディアコミッションである。つまり、メディアの代行として広告枠を企業に販売し、その利ざやをとるビジネスである。クリエイティブやプロモーションのセクションもあるわけだが、それらは極論すれば枠を売るためのおまけをつくるための手段だ。

と考えたときに、"電通案件"と唯一言えるものは、オリンピックである。

オリンピックで電通は専任代理店としての役割を持っている。つまり独占的にオリンピックの放送内の広告枠を企業に販売できる。さらに、アメリカの放送局NBCに当地での独占放映権を販売代行している。莫大なコミッションが動くビジネスである。

だからこそ電通は、オリンピックを善なるもの・素晴らしいものとして、あらゆるセクションを総動員しあらゆる情報の商流で喧伝し、政治的なロビーイングを駆使し盛りあげる。

それは明確に、儲かるからだ。

翻って本件はどうか?書籍化、グッズ化、映画化の3点セットである。

当然書籍化は出版社の範疇である。グッズ化は商標管理者の範疇であり、今回は株式会社ベイシカに帰属する。では映画化はどうだろうか?映画に人が入れば、製作委員会に名を連ねることで一定の分配はある。

ここは製作委員会の内訳が明らかになれば多少見えてくるものはあると思うが、こんな事例もある。

現在公開中の映画「一度死んでみた」は、電通のクリエイター澤本嘉光が脚本を書いているが、電通はかろうじて製作協力に名を連ねる程度だ。社員が関わっていてもこんな程度。それは、儲かるかわからないからである。


結局本件は、電通としては映画くらいしか儲け口がなく、それすらもはっきりしたことは言えない以上、"電通案件"として組織的に工作を行う理由がないのだ。なにより、twitterで指摘していた人もいたが、3か月前には海のものとも山のものとも言えなかったコンテンツに電通という巨大組織が体重を乗っけることは物理的に難しい。恐らく今回の案件は、作者と商標を管理する株式会社ベイシカとが主体となって進める中、出版化、映画化などのメディアミックスが多方からきた、というのが真相だろう。そして、情報のコントロールをプロに任せなかったゆえに、あのような結果になった、と。


だが、ここまでのすべてをひっくり返すことになるが本件が電通案件で"ない"と100%言い切ることはできない。それは、

上記の本を読む限り、利益度外視で酔狂なことをする人間が電通にはどうやらいそうだからだ。メンタンドンドン、もしくはペイオペラクレスで検索してみてほしい。

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