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老いについて思う–父のこと②【Rika's Subject】

それはそれ、これはこれ

老いについて思う–父のこと①で、自分の親をボロクソに言った。

「介護は育ててもらった恩を返す番」というのも聞いたことがある。
わかる。わかる。わかるんだ…。

家族のためにせっせと働いてくれて、不自由の無い生活をさせてもらった。
小学生から習い事もたくさんしていたし、高校までは公立だったけど、大学は私立に行かせてもらった。

幼い頃は、「いつも怒るお母さんよりお父さんが好き!」と言っていた。
日曜大工でシルバニアファミリーの家を作ってもらった。
絵を教えてもらった。
算数の宿題を教えてもらった。
我が家はずいぶん長い間車を持っていなかったから、自転車の後ろに乗せてもらって公園に行ったなぁ。

でもね、「それはそれ、これはこれ」なんです。
感謝はすれども介護はまた別の話
なんです。

直接介護していないお前(=私)が言うなという感じだが、一緒に暮らして手を動かしている母親も同意見だったりする。
愛情のキャッチボールの無い一方的なお世話、しかもこの先良くなることは無いお世話は、確実にMPを擦り減らされる。

燃え尽きたのは自己責任なのか?認知症は自己責任なのか?

父は元々クリエイティブな人だった。

幼い頃、モナリザを模写したクロッキー帳を見つけた。父が描いたそれは、お手本のように巧かった。
昭和のカラオケ黎明期に(たぶん月賦で)マイクとカラオケセットを買い、家でよく歌っていた。
字も巧かったし、毎年の年賀状は干支の動物を彫刻してスタンプを作っていた。

歳をとるごとにそれらはやめてしまって、働き、週末に付き合いでゴルフをするだけの人になってしまった。
そして58歳で早期退職をする。

リタイア後の父は、ほとんど何もしない人になった。
楽しみは月1回のバス旅行。1泊か2泊で近県の温泉旅館に行く。
もう1つの楽しみは、公民館などでやっているアマチュアオーケストラのコンサートを聴きに行くこと。
ただ、旅行とコンサート以外はほとんど家にいて、母以外の誰とも会わない。

母が「何か趣味をしたり、ボランティア活動とかしないの?」と訊いたことがあった。
父はそれに「もう何もする気は無いんだ」と答えたそうだ。

私は、人類は暇を極めたらいい加減に飽きて何かを始めるものだと思っていた。
しかし、父は認知症を発症するまで10年以上もずっと暇を満喫していた。

いっぱい働いて燃え尽きてしまったのだろうか。
私たち母子が燃え尽きさせてしまったのだろうか。
父は本当はどうしたかったのだろう。
今、父に聞いても答えはもらえなそうである。

そして思う。
燃え尽きたのは自己責任なのか。
認知症になるのは自己責任なんだろうか。

(続く)


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