自給自足が最強?!説

政治経済学の体系をまとめた事で有名な、道徳哲学者アダム・スミスは分業が生産力や経済パフォーマンスを進展させたと分業について『国富論』最初の方で述べている。
分業が確立される前は、農家をやっている人が自分で道具を作ったり修理したり家を建てたりして、ほ
ぼ全部を独力でやっていた。時に農家だったり職人だったり、大工だったり、衣服屋さんだったり、何役もこなすのである。
それが、例えばピン作り工場だと。ある人が金属を切る、別な人が丸くする、別な人が形を整えるなどして(引用が正確ではありません、すみません)、一人が最初から最後まで全工程やるよりも細分化された作業を何人かで分担する方が作り出されるピンの量が何百倍にもなるという。比較的最近だとフォード車の生産方式やトヨタのカンバン方式が有名である。
スミスは工場内だけでなく、世の中も哲学者や農業従事者、製造業などの職業に分かれる「社会的分業」にまで進む。ただ、面白いのは、分業の世の中をスミスは見ながらも、当時に貿易などで利益を上げようとする重商主義は「富裕への自然の道」に反しているとして、農業に基づく生活が一番良いと彼が言っていることである。
農業自体はそれほど甘くはないと思うが、たぶん一生涯農業に従事しなかったスミスは、農業に携わる中で自然が人々にこころの穏やかさを与えるという、ややポジティブな考え方を提示している。
現在は、さらに職業が細分化されて、家の蛇口が壊れたり家財に不備が出たら個人の手に負えなくなった。
ただ、筆者の尊敬する森暮らしの方々は、ほぼ独力でやっている。小屋の整備はほぼ自分でやったり、草取りや機械のメンテなど自分で行うのである。
電気はソーラーパネルから発電していたり、薪ストーブの薪は自分の敷地内から調達する。
まさに、持続可能な生活なのである。自然に生きていて体力的にキツイ時もあるかも知れないが、ストレスのない「笑顔」が印象的である。

専門家にお金を払う代わりに、自分の労働力で物事を解決する。

誰にとやかく言われることなく、自分が人生の決定権者であるという、ほぼ自給自足が最強であるという命題は、スミスの描いたストーリーとは別のテーゼを与えるかもしれない。

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