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信ずるは易し、疑うは難し

一般的に「信じる」ことは尊く、「疑う」ことは良くないこととされているように感じる。

しかし何かを「信じる」ことは意外と簡単で、安易なことだと思うのだ。例えば何かの宗教に属していて、その教団の経典に書かれていることが絶対だとする。

であれば、自分では何も考える必要がなくなる。なぜなら経典が絶対だからだ。迷ったらすぐ経典を開けば、そこに答えが書かれてある。何も考えなくていい。経典に書かれてあることが正しいか間違っているかはどうでもよい。経典は絶対なのだから。それはとても楽だ。思考停止で済む。

しかし「疑う」ということは、自分でゼロから調べて、自分で考え。そして自分で答えを出さなければならない。どちらが楽で、どちらが困難か明白だ。

何か不安に陥ったり、心が傷ついたり。悲しい思いをしたり。酷く疲れていたり。そういった、心が落ち込んでいるときほど、人間は安易に何かを信じてしまう。

心の片隅に、多少の迷いがあったとしても、信じることで楽になりたいという思いの方が勝ってしまうからだ。

苦しい時間が長く続けば続くほど、人は早く楽になりたい一心で、安易に信じてしまうことがある。

しかし、それは本当に信じていいものなのかどうか、疑うことも必要だ。

「疑う」ことは悪い事ではない。それは人間としての本能だから。目の前に出された一つの答え。それが本当に正しいのかどうか、一方からだけでなく相対的に考える必要がある。

しかしそれは、しんどい。疲れる。難しい。

皆が信じているあの答えこそが、正しいのではないかと思えてくる。そうだ、あの答えが正しいのだと、自分に言い聞かせたくなる。

しかし、考えることを辞めてはいけない。常に相対的に考え、疑い続けながら、自分が本当に正しいと確信できる答えを探し続けなければならない。

本当に正しい「答え」はそう簡単に手に入りはしない。難しい。疲れる。苦しい。

けれど諦めてはいけない。考えることを、辞めてはいけない。

誰かが提示してくれた答えを「信じる」のは簡単だ。なぜなら自分で考える必要がないのだから。

自分で答えを探して見つけるのは「難しい」。なぜなら全て自分で動いて、考える必要があるのだから。

「信じて疑わないこと」と「疑いながら考え続けること」
貴方にとって、本当に必要なものはどちらか。

俺はずっと、考え続ける。

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