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春と変化と花粉症

季節の変わり目はどうしても気が滅入る。

鼻がムズムズする。

梅がもう花を咲かせている。

この季節独特の匂い。

この季節というのはいつでも変化を求めてくる。
入学式、卒業式、入社式、どれもこの時期に執り行われる。

これが夏ならどうだろう、
僕たちとは違う人種はきっと江ノ島のビーチで
ジーマの瓶を浜辺に横たわらせながら、
何がしかの洋楽を流し『エモい』と口々に発するだろう。

理由はない、ただ夏なのだ。

では秋ならどうだろう、
僕たちとは違う人種はきっと軽井沢で紅葉が色づくのを楽しみながら、
何がしかの洋楽を流し『エモい』と口々に発するだろう。

理由はない、ただ秋なのだ。

冬ならどうだろう、
僕たちとは違う人種はきっと白馬の雪景色の中、
スノーボードで冷えた体を温泉で温めた夜、
何がしかの洋楽を流し『エモい』と口々に発するだろう。

理由はない、ただ冬なのだ。

僕たちと違う人種はいつでも四季折々のエモさを感じている。

体に、頭に、心に蔓延るいくばくかの感情を
「エモい」の一言で片付けてしまう
その感性は一旦棚に揚げ、

僕は呟く、「ずるい、羨ましい」

春が嫌いなのはもう一つ「花粉症」

こいつには多くの時間悩まされてきた。

一説によると江戸時代、
「これからは、文明が発展する、木材がもっと必要になるだろう」と
鉄や、プラスチックやポリエステルなんか知るよしもない先人たちが、
大量に杉の栽培を始めたことが、今日の杉花粉アレルギーを巻き起こしている。
とも言われている。

しかし、中には「縄文時代と杉花粉の飛散量に変化はない」という科学者もいる。
僕たち現代人は自然に触れる機会が少ない。
先人たちがたくさん触れていた杉花粉を知らず、体が勝手に「異常だ!」と
現代仕様の僕たちのD N Aが杉花粉を門前払いする行為、
それが杉花粉アレルギーだというのだ、


きっと僕にも変化を楽しめる才能があるのだ。
だって、こんなにも変化を恐れる僕の血筋は、
先人に比べ、杉花粉を嫌がるくらいには、アップデートされていたのだ。


この説が本当か嘘かそんなことはどうでもいい、
今年は変わる、変化をしていく、


だが僕の心は弱い、


「なぜ変化を求める?」
「ここの方が居心地がいいよ?」
「停滞しようぜ」


そんな弱音を杉花粉と一緒にくしゃみで吹き飛ばし僕はこう呟く。


理由はない、ただ春なのだ。

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