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「ぼくとアールと彼女のさよなら」(2015)ネタバレあり

基本情報

『ぼくとアールと彼女のさよなら』(Me and Earl and the Dying Girl)は、2015年にアメリカ合衆国で製作されたコメディドラマ映画。ジェシー・アンドリューズ(英語版)の小説『Me and Earl and the Dying Girl』を原作としており、アンドリューズは本作の脚本も務めている。監督はアルフォンソ・ゴメス=レホン。出演はトーマス・マン、オリヴィア・クック、RJ・サイラー(英語版)。日本では劇場公開されず、ビデオスルーとなった。-Wikipedia

ログライン
人生に目的意識を持たず無難に過ごそうとしてきた主人公はお母さんに言われ、白血病になった隣の少女のお見舞いに行く。その少女との交流を通し、自分の人生の意味を見つけようとする。

ストーリー
・人から聞いていた、少女との映画製作の話が中心かと思いきや、それ以前の二人の交流がメインだった。
・英語だが以下のサイトの分析がとても参考になった。
グレッグは高校生活をそつなく過ごすため、全てのグループと上辺だけ無難に付き合って過ごしていたが、レイチェルと出会ったことでそれが崩されていく。アールのことも友達ではなく、同業者と呼び、相手から「友達ではない」と言われないように前もって対策をしている。全ての根源は彼の自己肯定感のなさから来ているが、レイチェルはそんなグレッグのことを肯定する。
https://youtu.be/o9AREEy4Xlo

演技・演出
・今まで主人公ナレーションは邪道だと思っていたけど、主人公が観客に語りかけることでとても強い結びつきになることもわかった。
・病気は重いテーマになりがちだが、二人の軽い、冗談めかしたやりとりによって、暗さをあまり感じさせない演出、幼い恋愛要素が多め。
・お父さんの要素はあまりうまく噛み合ってなかったかも。
・アールがいることにより、少女がいないところでの主人公の気持ちをうまく引き出すようになっていた。
・脚本風の区切り方も良かった。
・先生がいう、「その人が亡くなってから、もっとその人を知ることになる」というテーマは必ずしもそうだよね、とはならないけど、(その直後にアールが「先生のお父さんの話がつまらなくて出てきた」とバッサリいくところもちょうどよくバランスをとっていると思う)最後のレイチェルの部屋を観ているうちにだんだん染み込んでくるように思う。
・ヒロインは「レディ・プレイヤー・1」のオリヴィア・クック。

撮影
・取り立てて印象的ではないが、ヒキの街の印象や、それぞれの自作映画のテイスト、最後の少女が残した物のインサートはとても良かった。
・と思って2回目に見ると、カメラワークが豊富で飽きさせないものになっいたと思う。
・二人が最初にレイチェルの部屋にいるところはワイドレンズで狭い部屋なのに二人の距離感がとても開いて感じた。
・最後、レイチェルが意識を失ってナースを呼ぶとき、自作映画の美しい背景があるおかげで、手前の死の悲惨さとの対比がとても際立っていてすごく効果的だった。また、光を失ったレイチェルの眼がうまく表現されていた。

好きだったところ
・ヒロインの部屋の最後の細かい工作の数々。単純に見てもすごいし、映画的だし、少女が毎日コツコツをそれを作っていたんだということがよくわかる。そのモチーフも白熊(後悔するホッキョクグマ)やパラパラ漫画のアーチェリー(プロダクションのロゴ)など、グレッグが話したことややってきたことに全て関連づいているのがよかった。
・グレッグがレブロンジェームスの話をしたあと、確かめるように「レブロンジェームスは・・」と説明しようとして、レイチェルが「レブロンジェームスくらい知ってるわ」と打ち消すところ。

自分だったらどう撮るか/盗めるポイント
・二人の軽い口調のやりとり、最後まで嘘をつくナレーション。病気を扱う上で、そこを意識させないようにうまく日常を取り込むこと。
・悲惨なシーンほど、美しく描くことでより対比が強まる。

画像引用元:https://morning-john-9.hatenablog.com/entry/2017/01/29/225513

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