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小説『Hope Man』第13話 童夢

龍一は中学生になった。


記憶の中ではロクな事が無かった小学校までの自分。

ここから良い事がある!なんて気持ちは1mmも持っていない。

ただただ平穏に、なんとなく過ごさせて欲しい…と言う希望しか持ち合わせていなかった。


市立北星中学校


龍一はこの学校へ通うことになる。

出来たばかりの新しい学校でとても綺麗だった。

とは言え、別に最新の機能があるわけでもない、最新型の体育館でもない、普通の四角い、どこにでもあるあの姿をした中学校だった。


この頃龍一の住む霜月と言う名の町は、隣でも番地が全く違うと言う、郵便配達殺しの町となっていたので、町を2つに分けると言う回覧板が回ってきたが、龍一にとっては別に愛すべき町でもないのでどうでも良かった。その後霜月は二分され、龍一の町は【葉月】と名前を変えた。とてもエレガントでお金持ちが住んでいそうな響きだったが、龍一の家は誰が何と言おうと貧乏だった。


ただ、絵を描き続けていたのは龍一にとって救いだった。

手を切り刻むのもやめた、なぜなら手が痛くて絵が描けないから。

理由は単純だったけれど、顔中傷だらけにする前に、外的な痛みに気付いたのは大きい、これを成長と言うなら随分と遅い成長だ。


この頃から龍一は夢を持ち始めた。

『絵をお金にしたい』

それは1円でも良かった、自分の絵がお金になる、それをとにかく味わってみたかった。と同時に、自分の絵を認められたかったのだ。


だが龍一は自分の絵に悩んでいたのも事実だった。

中学生ともなると絵の上手い人間は普通に現れる、その中でトップを取るには今以上のモノを描かなくてはならなかった、そしてそれを広げてくれる仲間や手段も必要なのだ。だがまずは絵の技術の向上だ。しかしそれがどういうことなのか龍一には分からなかった。ふと、あの時先生に復讐を誓った時の事を思い出した。『そうだ!大きい本屋さんに行ってみよう』龍一はこの街に新しくできたスドーヨーカドーに自転車で向かうのだった。


自転車と言えども3km以上あるので30分程かかった。産業道路と呼ばれる交通量の激しい大きな道路に沿って走るわけだが、割と緩やかな登りがずっと続くので結構キツイ。だが途中途中に眺めの良い場所もあり、立ち止まって見惚れる時間もまた龍一は好きだったのだ。


ヨーカドーに辿り着き、本屋さんを目指す。人を縫うように歩き、しかも掠りもせず紙一重でかわすのが龍一はとても上手かった、一定の距離がある段階でこちらが避ける動作を見せると向こうも意識する、なので龍一はギリギリまで動かず突っ込み、相手が『あ、避けなきゃ』と思うギリギリの瞬間でスッとかわすのだ、格闘技のトレーニングを欠かさず、きちんとシャドウをしている効果とも言えよう。


先ずは地下の本屋さんを物色。表紙だけで手に取って開いてみる。パラパラとめくり、目に止まらなければ自分には必要が無いと判断していた、それは龍一の勘でしかないのだが、そもそもイラストにはタッチもあるわけだ、描く側が『これだ!』と感じなければ意味が無い。よく『読めば面白いよ』と言われる事があるが、絵が苦手なら読む気になれないのは正直なところあるわけで、読めばと言う段階まで行けないのだ。龍一の今日の作業は面白い本を探しているわけでもないから読む必要はない、絵だ、絵だけに集中したらいい。


龍一は2階の本屋さんに向かったが、ここでもしっくりくる絵には出会えなかった。『そうそう見つかるモノじゃないのかな、こんなに本であふれかえっているのに。これ売れなかったらどうするんだろう』などと余計なお世話をやいたりもした。


落胆して外へでた龍一は隣が大きな百貨店『長乃崎屋』だと言う事に気が付いた。

『あ、そっか!』

そう言うと、距離は長いのに感覚がやたら短い信号を小走りで渡るのだった。右折左折をしたい車がなかなか行けないのでいつもイラついている大人がクラクションをビービーと歩行者に向かって鳴らす無法地帯。龍一はそれに対し、全く聞こえない顔でゆっくり歩くのが好きだった、いや、優越感とでも言うのだろうか。心の中で龍一は『ざまぁみろ』と笑うのだった。


館内はとても大きくて広い、歩き回って喉が渇いた龍一は2階のヨツバヤと言うレストランで50円のメロンソーダを飲んだ。お金のない中学生にはヨツバヤのメロンソーダ50円は本当に有難かった。ベンチに座ってメロンソーダを飲み、モモをパン!と叩いて『よし!』と言って立ち上がった。


地下に向かうと本屋さんが1件あった。

フラフラと歩きまわっていると、見たことが無い本を見つけた。


『童・・・夢・・・?』


それは、大友克洋先生の「童夢」だった。

初めて見るその大きさと重さにドキドキした。

『なんだこの・・・でかさと厚さは。。。』


ゆっくり開くと、老人の顔の見開きだった。


『俺と同じペンを使って、こんなものが描けるものなのか!』


心で思っている事をそのまま口に出していた龍一。


しかしその本の金額も凄かった。

財布を開いて全財産を出してみる、1・・・2・・・3・・・


『うおおおおおギリギリ買える!!!!』


と、店内で心の声をそのまま叫ぶ。

龍一は心に衝撃を受けた漫画【童夢】を手に入れるのでした。


駐輪場はまさに自転車地獄でした。

この街にこんなに自転車があるものかと思うくらいには自転車だった。

その中で自分の自転車を探すのがまず一苦労。

駐輪場のスタッフが勝手に動かしてしまうからである。仕事なのは分かるけれど、スタッフによってはわざと遠くに運んで困らせる人も居たので大変でした。両サイドに自転車が並び人が歩く事なんか考えられていないスペースに龍一の自転車があった。引っ張り出そうとするが、ペダルが隣の自転車にひっかかり、ブレーキが隣の籠に挟まり、もうてんやわんやだった。ガチャガチャやっていると、強めに声をかけられる。


『おいこら、俺のチャリに何してんだ、どこ中よ!ボケが』


振り向くと、ボンタン履いた中学生が3人立っていた。

喧嘩になる・・・そう予測した龍一はこの状況を瞬時に分析した。


自分の自転車はこの際置いていくしかない、前方はおばちゃんが道を塞いでいる、後方にはヤンキー3人。見たところ、先頭に居る1人以外は雑魚、となればこの狭い通路は役に立つ、なぜなら雑魚でも回り込まれたり、3人同時に来られたら危ないからである、この通路幅であれば1人が限界、となればタイマン。自主トレとは言え日々のトレーニングを欠かさなかった龍一にとってはさほど怖さは感じていなかった。


むしろ『勝てる』としか思わなかった。


相手よりも早く踏み込んで得意の刺すような前蹴りを相手の胃袋の少し横、肋骨の下あたりにめり込ませる。龍一の前蹴りはいくつかパターンがあり、この蹴りはつま先を内側に曲げて踵を刺し込むタイプだった。上半身は突きを打つ構えのまま前蹴りを打ちこむので、相手には突きが来るように見える。だから素人にはいとも簡単に前蹴りが通るのだった。声にもならないうめき声を発した3人組の先頭は後ろに転げる様に倒れた。それが邪魔で雑魚2名はこっちに来れない、今だとばかりに大事な本を脇に抱え、おばちゃんをすり抜けて走って逃げた。


龍一は余計な喧嘩はしない、要領が良いのだった。


隠れた龍一は、他校の3人が居なくなるのを待って自転車で帰った。


家に帰って早速龍一は童夢を開いた。


夢を見ているようだった、凄い、凄すぎて言葉が無かった。

何度も何度も穴が開く程1ページ1ページを凝視した。

線の引き方、線の使い方、この線はなぜ必要なのか、この線が無いとどうなるのか、ここの影が出す効果とは・・・全部のページが龍一には大切な資料となった。

来る日も来る日も童夢を眺めた。

恐らくだが、童夢をここまで読んでいる人間は世界中どこを探しても龍一しかいないだろう。

龍一は幸せを感じていた。

こんな素晴らしい作品に出会えたことが嬉しくて仕方が無かったのだ。

毎日毎日、暇さえあれば何度も読んでついには本がボロボロになってしまい、ある日龍一は2冊目の童夢を買った。


龍一はついにペンを取った。


龍一の絵のスタイルがここで一気に変わったのだった。

いや、スタイルが完成したのだ。

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