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「結局●●が大事!」STUDIO ZOONマンガ編集者の持つ転職・独立時のマイルール

編集者、アートディレクターの採用を進めるべく開始したコンテンツスタジオ「STUDIO ZOON」のスペース第3回を配信いたしました!
今回は「編集者ラジオ ~怒涛のキャリア形成編〜」というテーマで、講談社で20年のマンガ編集者経験を経て第2編集部の編集長を務める村松と、KADOKAWAを経て独立し数々のレーベルを立ち上げてきた第5編集部の編集長を務める萩原の2名が、これまでの編集者として歩んできた長い道のりを振り返りました。

\スペースはこちらからいつでもご視聴いただけます/

\編集長についてはこちらのインタビューをご覧ください/

\第1~2回の配信の内容はこちらにまとまっています/
第1回

第2回


1 編集者としての道のり:村松充裕 編

萩原 今日は、STUDIO ZOONの編集長2名、萩原と村松でお送りいたします。まずは挨拶を村松さんからお願いします。

村松 STUDIO ZOON 第2編集部 編集長、村松充裕です。よろしくお願いします。

萩原 よろしくお願いします。第5編集部 編集長、萩原猛と申します。第5編集部はマンガの原作をつくる編集部で、僕はその編集長を担当しております。よろしくお願いします。

村松 よろしくお願いします。

萩原 今回はSTUDIO ZOONのスペースの第3回目です。「STUDIO ZOONはどんなところなのか」を紹介しながら、現在募集している採用のほか、そのときどきのトークテーマでお話を進めていきます。STUDIO ZOONの編集長たちは、第1編集部の鍛冶も含めて全員がバラバラのバックボーンをもっているので、自分たちの経験や想いなども含めてお話できればと思います。

今日のテーマは、『編集者の転職や独立』。今のSTUDIO ZOONはたくさんのタイトルをつくっていますが、ぶっちゃけて言うと編集者が足りません。第1回のスペースで村松さんが「STUDIO ZOONを一番人が育つ編集部にしたい」とおっしゃってましたよね。それをもとにすると、もちろんベテランの方にも来てほしいですが、編集者1~2年目の方や「やりたい気持ちはあるぜ!」といった未経験の方にも手を挙げてほしいんです。そこで、編集者として20年のキャリアがある僕らだからこそ、若い人たちに伝えられることがあると、このテーマが設けられたのではないかと想像しております。

村松 完ぺきな説明ですね。

萩原 ありがとうございます(笑)。では早速、村松さんは講談社から転職、僕はKADOKAWAから独立した経緯をもうちょっと細かくお話していきましょうか。村松さんから、どうぞ!

村松 僕は20年間、講談社で少年マンガから青年マンガを中心にマンガ編集だけやってきてたんですよね。マンガ編集ってすごく面白いんですけど、20年も続けていると「ひと周りやった感」が出てくる。でも、僕の中では「新しいことをやりたいな」という気持ちがあって。普通だったら42〜43歳の年齢になると、編集長になる雰囲気があるじゃないですか。

萩原 うんうん。

村松 でも、“編集長”っていうのが自分の中ではあんまり新しいことっていう感じがなかったんですよね。だけど『コミックDAYS』を担当していたこともあって、すでに編集長に近い仕事もしてたんですよ。なので、編集長というポジションに対しては「編集長になったらこんな感じか」「こういうことをやるんだな」っていうのが大体想像がついて、これから先が想像しやすくなったぶん、僕の「新しいことがやりたい」という気持ちとは合わなくなっていったんです。だから、これから先は仕事じゃなくて趣味に生きたほうがいいのかなと思い至って、「柔術のインストラクターを本気で目指そうかな」と考えていたんですよ(笑)。

萩原 (笑)

村松 そんなことを漠然と思っていたときに、改めてWebtoonを調べてみたら面白い状況になっていて。「この中に飛び込むのは、けっこう面白そうだぞ」と思ったんです。だけど、出版社の中でWebtoonをやるのは、なかなか難しい現実があるんですよ。なんにせよWebtoonをやるのは苦労するだろうけど、出版社の枠組みでやると考えたら “したくない苦労” のほうが多かった。たとえば、契約書も全然違う作り方をしなくちゃいけない。今までの出版の流れも考慮しつつ、全然違うものを用意すると考えたときに「役員会議を何回開けばいいんだろう」って思っちゃって。

Webtoonをつくるといっても、編集者やマンガ家さんもいるので普通のマンガをつくるときのリソースは一緒なんですよ。でも出版社でWebtoonをつくるのは、売上の面で損が大きい。仮に、講談社の編集者の10%が明日からWebtoonをやることになったら、単純にマンガの売上が10%も減ってしまう。出版社にとって、これはかなり大きな話なんです。経験値的にも市場の大きさから見ても、減った分の売上をWebtoonでつくることは短期的には難しい。やると損することが見えてるんですよ。

そんな中で「僕がやりたいからWebtoonをやる」っていうのは厳しいなと思っていたところ、STUDIO ZOONの総合プロデューサーである冨塚(※1)さんと会ってお話したんです。最初に会ったときの印象は、金髪で背が高くて全身黒づくめ、、、「これはお金とビジネスの話をされるぞ」と警戒していたのですが、冨塚さんが「僕はマンガの力を信じてまして……」とおっしゃって。「めっちゃピュアなこと言うやん」って、そのギャップにやられちゃいました。

萩原 わかるな〜(笑)。

村松 「作家の隣に立ち、共に成長・挑戦していけるようなWebtoonをやりたいんですよね」という内容の話をしていて、僕は「いいやん!」と思った。いろいろな話をしてみて、柔軟なところも感じられたのも良かった。事業がちょうど今からスタートするタイミングだったし自分でも設計できるんだと思ったときに、「いいな。よし、じゃあ会社を辞めようかな」って。

萩原 話を聞いてから、「よし、会社を辞めよう」と決めるまではどのくらいかかったんですか?

村松 正確に言うと、退職することを先に決めていたんですよ。自分の性格的に「Webtoonをやりたい」と思った時点でやらなきゃしょうがないんですよね。「自分がやりたいと思っているなら、やらなきゃしょうがないやつだ」「やらないとストレスで死ぬやつだ」っていう感じ。だけど、Webtoonを会社でやろうとすると、めちゃくちゃ難しいと気づいたときに「辞めるしかないやん」って思ったんですよ。じゃあ、どこで、どういう形式でWebtoonをやろうかなと考えたんですけど、いくつかの企業から話を聞かせてもらったときに「STUDIO ZOONが一番いいな」という結論になりました。

萩原 僕たちは、いろいろな編集部や編集者をみてきているじゃないですか。そのぶん「自分がそこにいたらどうか」と考えますよね。自分が編集部にフィットするかしないかって、ある程度までは大体予測がつくと思うんですよ。その中で、いろいろな決め手があったかもしれませんが、他の編集部よりも明らかにSTUDIO ZOONのほうがよかったポイントはどこですか?

村松 1つだけ選べと言われたら、鍛冶(※2)さんがいたことですね。現役のマンガ家が編集長をやっているという時点で、クリエイターの気持ちがわかる人がちゃんと編集部にいるのが伝わってきました。そこが一番大きなポイントでしたね。

スペース時の2人

2 編集者としての道のり:萩原猛 編

萩原 僕、編集者のキャリアは20年と言ったんですけど、実はエンタメの経歴って20年もないんですよ。僕が最後にいた出版社はKADOKAWAなんですけど、退職してからもう7年も経っています。そもそも僕がKADOKAWAに入社したのが30歳のとき。その前は幻冬舎コミックスっていう会社の、新書ノベルスの編集部にいました。その後、KADOKAWA、というか当時は富士見書房という会社でしたが、そこに業務委託社員として入社しました。ぶっちゃけ前職から待遇は下がっているんですが、『富士見ドラゴンブック』というTRPG(※3)レーベルにどうしても入りたくて、「えいっ!」って飛び込むような感じで挑戦を決めたんですよね。TRPGを仕事にできるチャンスなんて人生で何回もないだろうから「『ドラゴンブック』が募集しているんだったら何がなんでも受けなきゃ!」くらいの気持ちでした。だから、幻冬舎コミックスに不満があったから辞めたわけでもないんです。まあ結局、会社の人事がいろいろあって、残念ながら『ドラゴンブック』レーベルにいられたのは1年ちょっとでしたが。『ファンタジア文庫』編集部に呼ばれて突然副編集長になって……。僕はKADOKAWAに7年しか在籍してないんですけど、その間に5つのレーベルに在籍してるんですよ。

村松 おぉ〜。

萩原 『ドラゴンブック』から『ファンタジア文庫』を経て、『富士見L文庫』というキャラクター文芸のレーベル創刊に携わり、そこの編集長になりました。その後、会社合併などで富士見書房がKADOKAWAの中に入ったところで、『カドカワBOOKS』というレーベルの創刊に携わり、ここでも編集長をやりました。あとは『カクヨム』という小説サイトの立ち上げも行い、こちらでも編集長。7年間でこれくらいやると、さすがに疲れましたね(笑)

村松 そうですよね。

萩原 辞める前の2年くらいは、ちょっと頭がおかしくなってたのか、ふと「1人で会社を背負えるかやってみよう」みたいなことを思っちゃったんです。2つくらい編集長を掛け持ちしながら、一人で何冊つくれるかに挑戦したくなって、年間で40冊くらい小説をつくったんですよ。ヒット作も出せたし、メディアミックス作にも携われたんですが、そこまでやってライトノベル業界にとんでもない変化を起こせたかと言ったら、残念ながらそんな実感はなく、むしろ敗北感のほうが強く残った。「なんで変えられなかったんだろう」と考えたとき、ふと、自分が書籍、小説という媒体に縛られすぎていたからではないかと思いついたんです。例えばアニメやマンガは、配信も含めると世界80億の人が見られる土壌がある。でも、小説って、日本語でびっしりと書かれているから、そのまま読める人は1.2億人だけ。作家さんの才能はすごいのに、それを受け取る側が1.2億人しかいない。それじゃ足りない、そこをなんとかしないと世の中は変えられないのでは、と思ったんですよ

村松 うんうん。

萩原 じゃあ、単純に小説のメディアミックスをどんどん進めればいいかというと、そこにも違和感があって。「小説ってメディアミックスの材料だっけ?」と思っちゃって。そのとき、「あくまで『小説』という媒体に全力を尽くすのか」、それとも「アニメやマンガ、ゲームなども含めた『エンタメ』、もっと具体的に言うと “小説じゃない媒体” に小説家の才能を活かすという仕事を頑張るのか」と初めて悩んだんですよ。もともとTRPG出身の編集ですから、小説を絶対視しているわけではないですしね。でも、実際に本以外の事業をやろうとなると、村松さんがおっしゃったように、出版社の中でやるのが難しかった。

村松 そうですよね。

萩原 出版社の小説編集者の立場で、新しいジャンルの事業に真剣に手を伸ばすのはなかなか厳しく、「これはもう、辞めるしかないかな」と思いました。それに、会社を辞めればレーベルの区切りがなくなるので、すべての作家さんに声をかけられる。作家さんの才能を、小説の枠を超えて、アニメやゲームなどの世界に直接連れていける。何より、周囲を見渡したときに、本をつくりたい編集者はたくさんいたんです。だから、自分まで本をやらなくても大丈夫だって思えたんですよね。

村松 すごくわかります。

萩原 でも、「本じゃないところに作家を連れていきたいって編集者はあんまりいないんだな」と分かったとき、漠然と「それが実現できたら何かを変えられるかもしれない」っていう希望を持てたんです。僕は新しいレーベルを複数立ち上げましたし、いくつかのヒット作にも関わらせていただきました。でもそれだって、自分以外の誰かもたくさんやっていること。それに気づいたとき、会社を辞めることを決めました。
あ、そうそう。KADOKAWAを離れて独立するに当たって、自分の中で決めた3つのルールがありました。1つが、「本の編集には手を出さない」。出版社って、全国の書店さんに本を刷って並べるというシステムにおいては、本当に洗練されている。退職し、そのシステムに直接触れられなくなった人間が本をつくったとして、現役と同じようなクオリティが出せるイメージが、少なくとも7年前の僕にはなかった。

村松 うんうん。

萩原 「本じゃないことをやろう」と決めて、最初に僕が考えたのがアニメとゲームだったんですよ。小説をメディアミックスする中で関わることが多かったですし、自分や担当する作家さんの関心も高かったので。ですので、独立してからの七年間、僕はずっとアニメとゲームのジャンルをメインにやってきました。幸い、去年は有名IPにも携われましたし、ヒット作にかかわることもできました。もちろん、作家さんの力が大きいのは間違いありません。その中で知ったのは、アニメやゲームなど、出版と隣接していると思っていた業界の方々も、実はどうやったら作家さんとコンタクトが取れるのか、わからなかったということ。なので、僕のような両社の橋渡しをするような存在は、みんなに喜ばれました。だから、独立した7年間でやれたことには、それなりに達成感もありますし、満足もしてるんですよ。ただ、満足はしたんですけど……重たいんですよね。ゲームもアニメも、企画を作ってから世に出るまで何年もかかるんです。自分も43歳になって、ぎっくり腰を患うようになり、今でも20本近いアニメやゲームに関わっているんですが「1年くらいの短いスパンで世の中に届けられる企画をやりたいな」と思いはじめまして。

村松 なるほど。

萩原 とはいえ、自分の中では「本はしばらくやらない」と決めていた。そこで、目についたのがWebtoonです。電子という媒体でマンガを出す、その原作者として才能ある小説家にお願いする、というのは可能性がありそうだなと考えたんですよ。そして、ちょうどそのタイミングで、STUDIO ZOONの冨塚さんから僕のところに話が来て。渋谷の寿司屋で初めて会ったんですけど、冨塚さん・鍛冶さんという、いかついビジュアルの2人が座っていたので、第一印象は「さすが渋谷、やべぇとこに来たな」でした(笑)。まあ、僕は縦ストライプのスーツを着ていたから、向こうも向こうで「やべぇの来たな」と思っていたかもしれない(笑)。

村松 (笑)

萩原 でも、実際に話を聞いたら「この見た目なのにクリエイターの可能性をすごく信じてるじゃん」って思って。ビジネススキームが〜みたいな話が最初に出てきたら断ろうと思っていたんですけど、「クリエイターさんのやりたいことをちゃんと形にして、世界に届けたい」という想いにすごく共感した。そもそも僕は、作家さんの才能を1.2億人以上に届けたくて会社を辞めた人間なので、彼らを優先的に考えてくれる姿勢がいいなと思えたんです。なので、とりあえず僕の1年くらいは預けてもいいかなーと。もうそろそろ1年が経つんですけど、あと1年くらい預けてみようかなと考えています。

村松 「本をつくりたい編集者はたくさんいるから、自分はそれをやらなくていい」って思えた、というのを聞いてすごくわかるなって思いました。僕も「自分一人くらいWebtoonをやってもいいよね」と思ってたので。マンガが好きで、優秀な編集者はたくさんいるし「別に僕までやらなくてもいいか」と。
逆にマンガの編集を離れてWebtoonやるって話をすると、すごく否定されることもあるんですよ。マンガ編集者から面と向かって「それは間違っていると思います」と言われたり。でもWebtoonを選んだからといって、僕はマンガもマンガ編集を続けることも否定しているわけでは当然ないし。僕一人くらい違うことしても良くない?と思うことはありますね。

萩原 わかります。僕の場合、KADOKAWAに在籍していたころにレーベルを3つつくったんですけど、メンバー全員がすごく優秀なんです。当時20代〜30代が中心のメンバーでしたが、30歳で入社した当時の自分よりもずっと優秀。だからこそ、辞めやすかった。彼らに任せておけば安心できて、自分が編集部をなんとかしなくちゃダメになる、なんて思わなくてよかったから。これは自慢なのですが、僕の立ち上げたレーベルは、未だに全て残っているんですよ。しかも、すべてのレーベルが継続して新しい作品を生み出していて、当然僕が一切関わっていない作品が今の看板タイトルになっているのって、すごく気持ちいいんです。完全に代替わりしているということじゃないですか。まあ、一方で、僕は同じ編集者には負けたくないという気持ちもあるから、今の編集部メンバーよりも面白そうな仕事ができていないと「負けたな」と思ってしまうんですけどね。いつか首をとられるとは思いますが、今ではないと思っているので(笑)。

村松 かっこいいですね。

萩原 当時の同僚や部下とは今も連絡を取り合っているので、その活躍も聞いています。現役で活躍している彼らも、未だに僕のことを「さん」付けで呼んでくれる。だからこそ、いつの間にか「あいつ消えたな」と思われるようになってしまうのは、まじでショックだなと思っていて(笑)。だから、いつも彼らにそんな風に言われないような仕事をしようと思っています。
……村松さんは、この一年で、講談社時代も含めて「あの頃がよかった」と感じることはありますか?

村松 講談社時代もよかったですけど、今もいいですよ。たとえば、カルチャーのギャップに苦しむみたいなことも全然ない。いい感じで仕事ができていますね。

3 自分の決めたルールで「魂」をもつことの大切さ

萩原 先に話した通り、僕は会社を辞めるときに自分でルールを決めました。その経験からお話すると、働く会社やジャンルを変えようという人は、何かしらのルールを自分の中に持っていたほうがいいと思うんですよ。そうでないと、水は低きに流れるように、目の前の胡散臭い話に飛びついてしまうので。意思の強い人だったらルールなしでもやれるかもしれませんが、たいていの人はそうでないので、ルールを決めたほうがいい

村松 なるほど。

萩原 出版社を辞めて独立した以上は、作家さんたちに、出版社では実現させにくい仕事を提案できないと、自分がつらくなるなと思って。それを全うするにあたって、さっきも言った通り、3つのルールを決めたんですよ。1つ目は「本はしばらくやらない」。2つ目が「作家さんから直接お金をもらうような事業はやらない」、3つ目が「リアルな場所をつくる」でした。コロナ禍の前から「人と会って話がしたい」という作家さんが多かったですし、出版社から離れたことで新しい作家さんと知り合う機会が減ってしまうことへの危機感もありました。そこで、作家さんが集まる場所をつくり、そこで出会った方々たちに新しいお仕事を提案する。僕はその仕事の報酬から上前をもらって生計を立てる。これが僕の決めた働き方です。

村松 僕の場合、はっきりとは言葉にしてなかったんですけど、自分の気が向かないことはしないことです。そこは徹底して守っている気がします。それだけかな。

萩原 それは大事。僕ら編集者は、どこか自分と気が合う人や、自分と一緒に組んで楽しいと思ってくれる人と仕事をすることが多いじゃないですか。作家さんも、そういう編集者を選びますよね。村松さんが気が乗らないことって、たぶん村松さんの担当作家さんも気が乗らないことだと思うんですよ。

村松 そうなんですよね。だから気が乗らないことをやっちゃうと失礼になるし、無駄な時間をとらせちゃうなという感覚が強い。やる気があるものだけをするほうが成功確率は高いと思うし。

萩原 独立とか転職とか考えている人の中には、たぶん今馴染んでいるやり方ってあると思うんですよ。そのやり方を全部捨てちゃうとパフォーマンスを発揮できなくなるので、これはこれで大事にしたほうがいいのですが、だからといって固執しすぎると、それはそれでハレーションを生んでしまう。別の場所でうまくやるためには、かつて自分がいた場所の「魂」みたいなものを1つ2つくらい継いでいく、というバランスがいいかなと思ってます。そして、持ってきた魂以外は、ちゃんと郷に従ったほうがいい。その「魂」が、自分で決めたルールの中に入っていればいいんじゃないでしょうか。

4 結局は「人」が大事!

村松 萩原さんがSTUDIO ZOONに興味を持ったきっかけは、冨塚さんですか?

萩原 冨塚さんもそうなんですけど、実は鍛冶さんの方が大きかったんですよ。鍛冶さんって、すごく面白い存在だなって思っていて。僕、クリエイターが編集者になるのって、実はあんまり好ましく思っていないほうなんです。僕自身が、ちゃんとそこに線引し、役割分担をしたいって思う人なので。だから、編集者とクリエイターの両方を名乗っている人に、僕はたいてい警戒から入るんですよ。でも鍛冶さんは、クリエイターの熱さと編集者のクレバーさが、両立している人で。「こんな人いるんだ」と驚きました。彼をみて、僕は自分の固定概念が変わりましたもん。

村松 そうだったんですね。

萩原 Webtoonは分業制で効率よくつくるもの、という言説に、実は僕はピンときていません。アニメでもマンガでも、もちろん最終的には多くの方の力を借りますが、核になるクリエイターの信念や強い想いこそが大事なんだと思っています。僕は、クリエイター個人の熱を軽視したくないんですよ。鍛冶さんに会って、彼がつくるもの、ひいてはSTUDIO ZOONがつくるものには、きっとそれが残るんだろうなって。そんな鍛冶さんに自分が担当する作家さんの物語をもっていくのって、ワクワクするなーって思えたんです。エンタメって、結局は「誰と組むのか」がすごく重要になると思っているので。

村松 そうですよね。

萩原 「いい作品をつくるコツは?」と言われたら、僕は「いい相手と組むこと」と答えます。僕が担当してきたアニメはおしなべて映像クオリティが高いと言ってもらえるのですが、もちろん私は絵を描けませんし、そこに責任も負っていません。ただ、組む相手がいいだけなんです。組んだ作家も、プロデューサーも、スタッフも、みんなよかった。僕は人を見る目だけはあるつもりなので、鍛冶さんと組みたいなと思えたのはSTUDIO ZOONに興味をもつきっかけとしては大きかったです。「この人のところにもっていくマンガ、ワクワクするじゃん」って感覚は、大事にしておこうと思ったんですよね

村松 今、実際に萩原さんが担当している原作を鍛冶さんがコミカライズしていますけど、クオリティがすごく高いですからね。「すげぇな」と思いました。

萩原 ありがとうございます!僕もネームの段階から「す、すげえな」と思いました。もうちょっとすると、今聞いていただいているみなさんにも「こういうクオリティです」っていうものが出せますので、お待ちください。

村松 萩原さんの話を聞いていると、僕もそうでしたけど、会社を辞めるときの理由はやりたいことがあったからという理由が一緒。しかも、STUDIO ZOONに興味をもったきっかけも、結局は人だなっていう点も共通していますね

萩原 最後の決め手になるのは、人ですよね。人と仕事をして、人に届けるものをつくっているので、結局はそこしかないんだろうな。システムがあるからうまくいくっていうことは、実はあんまりないなって気がするので。

村松 システムはあとからちゃんと付いてきますからね。

5 編集者にキャリア形成は必要ない!?

萩原 「マンガやノベルなどの編集者やそもそもどうやってキャリア形成するの?」という質問が来ています。キャリア形成か。

村松 キャリア形成って考えたことありますか?

萩原 ない。

村松 ないですよね。

萩原 ただ、キャリア形成とは違いますが、僕は「世の中にそれがあったらワクワクする。でもまだ出てない」というものを作れる機会は逃さないようにしてきました。チャンスって、前触れなく降ってくるものじゃないですか。会社にいても、急なポジション欠けとか、新規事業の募集とか。僕の場合は、新しいレーベルをつくるときがそうでしたけど、そのときに、今あるレーベルで偉くなるより、自分のレーベルを持つ方がワクワクするなと思ったんです。なので、迷わずそこに行こうとしました。チャンスって待っているときは長く感じるんですけど、目の前のことを全力でやってると、ある日突然ポンっと転がってきたりします。それがチャンスなのか、わからないんですけどね。それでも、自分のキャリアに突然分かれ道ができたときには、あんまり保守的にはならないよう心がけていましたね

村松 うまく整理できないのですが、若い時はポンって突然配属されて「ここでこれやるんだ。がんばろう」と思ったところから、急に異動が命じられて「次はこれなんだ」みたいな感じが続く。ある種、自分でコントロールできないじゃないですか。だけど、そのことをやっているうちに、自分なりの仕事ができることが増えると、今度は「会社の中でこういうこともできるよね」と目線が高くなってくる。僕の場合は『コミックDAYS』を立ち上げたことでした。そういうことができるようになってくると、次は会社の枠におさまらなくなってくる。「今こそこの球を拾っておかないといけないけど、会社では拾いづらいっす」みたいな。結果、僕は会社を辞めるしかなくなったけれど、そこは萩原さんのケースと似てるかもしれない。

萩原 チャンスや転機に相対したときに、疼いた自分の心には忠実でありたい。「自分はこういうキャリアを目指すんだ」と予め決めている人もいるかもしれませんが、自分はちょっと違っていて。今改めて、自分が通ってきた道を振り返ってみると「そこに自分のキャリアがあった」って感覚なんですよね

そういえば、『よかった探しをする』という癖が自分にはありますね。毎日、何となく『今日はこれがあってよかったな』という出来事を探すんです。無理矢理にでも。

村松 ほうほう。

萩原 辛かったことだったり、失敗したなと思ったりしたことでも、何とかこじつけて、今の自分を構成する要素として大事だった、 あの経験があったから今日うまくいった、全部「よかった」ことだったと、後付でもそう思うことにしようと。僕にとっては、そういう「よかった」の積み重ねがキャリアなのかもしれない

村松 いいこと言いますね。

萩原 嫌だったことを嫌なものとして、メモ帳に書き連ねるのは簡単じゃないですか。でもそれより、メモ帳にはよかったことをとにかく書こうと思って。

村松 たしかにそうですね。「これをやったから編集者として一人前になれる」みたいなのってあんまりないですよね。

萩原 ないですね。ヒットするときも、外すときも。別に外すと思って作品を送り出してないですし。一方、ヒットしたときはヒットしたときで、いろんなことが一気に押し寄せてきて、自分のキャリアなんて考えている暇はない。もう、手一杯じゃないですか。目の前にあることを、一つずつこなすしかない。

村松 ただ、例えば総合商社となると若いときからキャリア形成について考えている人が多い気がします。僕はキャリア形成なんて考えたことがなかったからすごく疑問に思っていたんですけど、事業がたくさんあるから考えざるを得ないのかなって。自分が望んだ環境にいくためには、「自分は一体何になりたいのか」を人に説明しなきゃいけない。自分で答えを持っていないといけないから、キャリアのことをずっと頭の中に置いておかなきゃいけないのかもしれません。でも、出版社だったら編集者か営業をやるしかないじゃないですか。編集部に配属されたら、編集者になるしかない。だからキャリアとか考える必要ないんですよ。

萩原 やることはもう目の前にあるから。

村松 目の前のことを頑張るだけだから、ある意味ラクだなって。事業や組織の在り方で人のマインドや文化がかわるんだなっていうのは、すごく感じましたね。

萩原 そういう意味では、今の作家さんも「自分のキャリアをどう形成していくのか」という岐路に立たされているかもしれないですね。マンガ家さんも、今は横読みのマンガのほかに、たとえばWebtoonやキャラクターデザイン、ソーシャルゲームのイラスト、小説の装画・挿絵など、いろいろなお仕事がありますよね。文字書きもそうで、小説はもちろん、ゲームシナリオにマンガ原作、映像脚本などの仕事がある。昔よりも、実は小説家の仕事の選択肢って、増えていると思うんですよ。

村松 「なぜ自分がこれをやるのか」を自分の中で説明できる言葉が必要になってきていますね。

萩原 作家さんたちも、キャリア形成に悩むのかもしれませんね。でも、彼らに選択肢を与えるのも僕たち編集者の仕事。「こんな選択肢もありますよ」と提示したり、今は別のものがやりたいと言われたら「こっちも気が向いたらお願いします」と、いつも選択肢を示せるようにしておきたいですね。

6 歳を重ねても変化を恐れるなかれ!

村松 質問をいただいているので読み上げます。「現在はフリーで働いているのですが、今後10年、20年と働き続けられるのか不安です。体力はもちろん、センスや需要など、新しいものがどんどん世の中に増えていく中で、時代についていけるのか。あわよくば先頭を走っていたい……。そのあたりのお考えをぜひお聞きしたいです。よろしくお願いします」。これはもう、わかりすぎますよね。

萩原 そうですね。フリーじゃなくても、そう思っている編集者は多いじゃないですか。この質問、村松さんよりも僕のほうが身につまされているかもしれません。というのも、ライトノベルって、ジャンルとしてマンガよりも幅が狭いんですよ。ライトノベルを読んでいる人よりも、たぶんマンガを読んでいる人のほうが、純粋に数も多いし多様性がある。作家さんにも、「自分はいつまでライトノベルを書けるのか」と悩む方、多かったです。ずっと書いていたいけど、今のライトノベルって、20年前のライトノベルとは形がまったく違う。マンガは層が厚いから、そうならないんですよ。

村松 たしかに。

萩原 そういう現状があると、作家さんには「僕はライトノベルを書き続けたいんだけど、僕が書いたものがライトノベルといつまで呼ばれるんだろう」という不安が生まれる。それは僕らも一緒です。僕がつくっていたライトノベルも、いつかはライトノベルじゃなくなるときがくるかもしれない、そう考えながら編集をしていました。でも結局は、僕はジャンルはなんであっても、自分が好きな作家さんと一緒に仕事がしたいんだなという答えに行きついた。作家さんと一緒に仕事ができるんだったら、ライトノベルじゃなくてもよかったんです。さっきも言ったように、作家さんの選択肢を増やすことが僕たちの仕事だと思っていますが、一方で、編集者の選択肢も増やしたほうがいいんじゃないかなと最近は感じています。その中で「WEBのマンガっていいな」と思ったのは、掲載できるマンガの数が多いから、様々なジャンルの作品を並べられること。ここなら「なんでもできるな」って思ったんですよ。

村松 たしかにマンガって枠組みだったら、なんとか手を変え品を変えやっていくと、自分の中の成功法則にしがみつきさえしなければ道がどんどん拓けていきますね。

萩原 枠を超えたくなったときは別だけど、その枠の中でもたぶんいろいろなことができるはず。

村松 年齢を重ねたとしても、それに合わせて「50代になったら50代の人にうける」みたいに、自分と同じ受け方をするマンガをつくればいいですし。

萩原 そういう意味で、変化は恐れなくていいと思うんですよね。30代にしかつくれないものもあるし。僕は43歳ですけど、この年齢でようやく「この脚本の面白さがわかるな」っていう瞬間がやってきたんです。

村松 マンガ編集の場合、黄金期って30代だと思うんですよ。20代で経験を積んだり作家さんとのつながりもできたり、30歳くらいには経験がついてくるけどセンスもまだ若いから、やっぱり30代ってボーナスステージだなと。基本的には40代から衰えが出始める。

萩原 わかります。

村松 だから、40代で編集長になってマネジメント側に行くのは理にかなっているんですよ。もちろん自分の年齢に合わせてやり続けることもできるんですけど、それがやっぱりできなくなる。30代のときにつくったヒットの作り方が自分の中で公式化されちゃって、40〜50代になっても10〜20年前のヒットのやり方を続けてしまうと、残念なことになっちゃう。やはり自分を破壊し続けないといけないし、大変ですよね。

萩原 それを楽しいと思えるかどうかですよね。ただ村松さんの話で考えると、一回成功を出さなければ、そもそも公式化しないじゃないですか。

村松 そうですね。

萩原 だから、がんばってヒット作を一回出せとしか言いようがないと思うんですよ。なぜなら、ヒット作は狙って出せるものではないので。ヒットが出せるようになるまで、しがみつく。一回ヒットしたら、いったん公式化したあとにもう一回それを壊す。でも壊しても強いものは残るじゃないですか。残った柱は、大体もう一回使えるんですよ。残った柱をもう一度つくって、また壊すと、次に残った柱はもっと大きくなる。これの繰り返しかなと思うので、とにかく最初のヒットを拾うのが重要。

村松 そこまではただひたすら頑張るのみですね。

萩原 僕は、編集者は継戦能力が大事だとよく言うんですけど、そのためには、片手にはちゃんと市場を見極めた企画づくりを握っておくことが大事。自分や作家さんたちのやりたいものも大切だけれど、冒険ばかりしているとチャンスがまわってこなくなる。だから、ちゃんと守った戦い方ができる右手と、攻め手の左手の両方を、ちゃんと持っておくこと。まず右手があると、けっこう長く現場に立てるので、その間に左手を成長させられるように「がんばれ」と応援したい(笑)。

村松 すげーわかる。

萩原 「じゃあどうやってヒットを出すんですか?」と言われると答えるのが難しい(笑)。でも、答えは1つだけあります!

村松 お!すごい!教えてください。

萩原 いい作家さんと会うことですよ。これしかないじゃないですか。

村松 そうですね。間違いない。

萩原 いい作家さんと会うには、さまざまな作家さんとたくさん会うことが大切。いい作家さんを選んで会うことはできないので。

村松 それに尽きます。年齢を重ねてヒットを出しにくくなる理由ってもう1つあって。体力がなくなってきて、昔のように新人を含めて不特定多数の作家と会うことを勝手に減らしちゃうんですよね。さらに減らすときにハードルを上げると、自分の再生産みたいになっちゃう。だから、自分を壊してくれるような出会いをずっとつくっておかなきゃいけない。

萩原 僕は『いま売れている/売れていない』を基準に、作家さんと『会うか/会わないか』を決めることは絶対にやりません。人間は、歩いていて道で転んで頭を打った翌日からとんでもないものを書き始める可能性だってあるはずなんです。僕はその可能性も信じているので。そして、作家さんに限らず、人に会うことは大事。僕が鍛冶さんや冨塚さんと会ったのも『人と会う』ことの一環でした。自分の持っている作家さんのアイデアや原稿を預けてもいい相手を見極める必要があるし、もちろん作家さんのほうも見極めなきゃいけない。たとえば、作家さんとのエピソードに「僕がつまんない提案とかずっとするようになったらいつでも切ってください。その代わり、あなたがつまらないものしか書かなくなったらあなたを切ります」という話があるんです。そこに嘘はなくて、村松さんからみて「萩原はでかいこと言ってるけど何もしないな」と思われたら、もうだめだなと思っています。僕は常に誰かに採点されている意識があるんですよね。

村松 修羅ですね。

萩原 修羅道です。僕はボードゲームが好きなので、点数を稼ぐことが好きなんですよ。今いいこと言ったからプラス3点かな、なんて。

7 マンガ・ラノベ・Webtoon業界の今後

村松 最後に、今後マンガ・ラノベ・ウェブトゥーン業界はどう変わっていくのかをお話したいと思います。「業界がおそらくこうなっていくのではないか」という所感など、萩原さんどうですか?。

萩原 僕はさきほども言いましたが、媒体の選択肢が増えると思っています。電子マンガ専門のレーベルが増えている一方、紙媒体もまだまだ健在です。さらに小説でいえば、紙媒体で書籍を刊行しなくても、投稿して読んでもらうだけでPVに応じたインセンティブ、お金がもらえるサイトも複数あります。マンガも小説も、今後はもっと選択肢が増えると思いますね。だからこそ、編集者は作家さんの個性を活かした企画を、さまざまな選択肢の中から提案できるかが大事。編集者が媒体ごとの特徴を理解していれば、作家さんにとってベストな提案ができます。「こういう物語をやりたいのなら、この媒体でこう見せるのが最適ではないか」と提案できる編集者が求められている気がします。

村松 鍛冶さんがマンガ家と編集者を兼任している理由の1つに、『選択肢を増やしたい』という想いがあるんですよ。クリエイター目線の考え方ですが、マンガにもさまざまな潮目の変化みたいなのがある。たとえば、あるジャンルで描くのが厳しくなると、逆に右肩上がりになるジャンルもあるんです。WebtoonはWebtoonで、またぜんぜん違った潮目があるじゃないですか。

萩原 そうですね。

村松 その中で「マンガ家さんが描く媒体を選べる世界線になればいい」っていうのが、鍛冶さんがマンガ家と編集者を両立するモチベーション。編集者の目線で言うと、僕は20年間マンガ編集を担当してきて、紙媒体とWEB媒体のどちらもみてきた。紙媒体とWEB媒体では、すでに売れ方の筋が違うのも情報としてはある程度知っている。さらにWebtoonをやってみて、いろいろなデータなどに触れると、どんな媒体で作家さんそれぞれの力が一番増幅されるのかが大体わかるんです。僕が講談社を辞めるとき、お世話になっている作家さんたちに挨拶にいくと「なぜ辞めるのか」と聞かれて。「Webtoonをやるんですよ」と答えると、中には「Webtoonに興味があるんですよね。わたしもやります」と言ってくれた作家さんもいたんですけど、僕は「いや、あなたは紙媒体のマンガをやったほうがいい」って返したこともあったんですよね(笑)。

萩原 (笑)

村松 「あなたは紙媒体のマンガで描いたほうが力を発揮するから、紙のマンガをちゃんとやったほうがいい」と言ったケースもあるし、逆に「あなたはWebtoonをやったほうが儲かる可能性がある」という作家さんには気兼ねなく声をかけました。編集者が “地図” をわかっていると、選択肢や世界線が増えていく。水先案内人みたいになれば、力が衰えてきても「こっちじゃ」と道を示すことができるのかなと(笑)。

萩原 ファンタジー世界の古老のように、杖でプルプルしながら「こちらに進むのじゃ」ってね(笑)。

村松 「こっちじゃ」って手を引くおじいさんになれば、編集者としてなんとか長く活躍できるのかという気がします(笑)。そう考えると、編集者はとりあえず情報を一通り把握しておくことが大切かもしれません。

萩原 そうですね。作家さんは、目の前の創作に集中していると、他の情報が入りにくくなる。だからこそ、編集者が作業中の彼らの目となり耳となり、広くチェックしておくのも大切ですよね。そうすれば、「○○さん、この映画は見ておいたほうがいいですよ」とか「この記事、今の作品に役立つと思いますよ」とかいった情報をお伝えできます。そこから新しい企画に繋がったりすることもある。こういったこともまた、編集者の役割のひとつなんだろうなと思いますね。

(※1)冨塚のインタビューはこちら

(※2)鍛冶のインタビューはこちら

(※3)TPRGとは

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