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中国の歪みと、日本の責任

「中国史とつなげて学ぶ 日本全史」という本を読みました。

その名の通り、日本の歴史を中国史(あるいはアジア史)と関連づけたうえで、改めて振り返るという主旨の本です。日本国内の出来事を振り返っているだけでは見えてこない客観的な事実の提示により、むしろより日本の解像度が上がっていく感覚があり、たいへん興味深く読みました。

日本から始まった中国の近代

前半は日本が国家としての体裁を中国からコピーすることで形作り、またそこから日本がどのようにアジアの中で独自性を得ていったかが描かれています。また、近年に至っても続く日本と中国の「政冷経熱」(政治的には対立しているが、経済的にはお互いを必要としている)が、付かず離れずを繰り返しながら保たれている様子についても概説されています。

その前半部分も面白いのですが、どちらかというとこの本の力点は後半に置かれています。すなわち近代、日本でいえば明治維新以降、中国でいえば清朝末期からそれが打倒され、中華民国が成立して以降の両国の関係です。

この本のユニークなところは、「日本が中国に残した大きな禍根」として、戦争による被害や犠牲の他に、「国民国家」(ネーション・ステート)という概念・システムが、日本を経由して中国に伝わったことを挙げている点です。

そもそも近代中国の始まりである辛亥革命は、東京に留学していた当時の反体制派によって主導されました。

孫文に代表される革命派の留学組は、日本語の語彙で「国民国家」や「民主」について学びました。それらの語彙は、日本にとっては明治維新以来の「脱亜入欧」の流れの中で外国語から日本語に訳されたものでしたが、ともあれ孫文らはそれらの概念と、彼らがその目で見た日本の姿を規範として「民主的な」革命を起こし、共和制を掲げる中華民国を成立させました。

つまり中国の近代の成り立ちには、日本というクッションを通して西洋的な概念を理解することが不可欠だったといえます。

しかし、もともと中国は多元的な人々を各時代の王朝が一つにまとめ上げてきた歴史を持つ国家であり、「国民国家」や「民主」という概念でまとめ上げることが難しいという背景があります。「国民国家」という概念で無理な単一化を強いられた革命後当時の中国は混乱し、不安定化しました。

同時に、日本の方にも「脱亜入欧」による西欧化をやろうとしたツケが回ってきました。経済的に未熟、かつノウハウを持たないまま無理に西欧の真似をして世界に版図を広げようとした結果、日本は帝国主義という無謀に突き進んでいかざるを得なくなりました。

そして皮肉なことに日本は、同じく国民国家という概念との葛藤に苦しむ中国と、日中戦争という形で衝突することになってしまいます。その後の二国間の対立とそれが残した禍根は、いまの僕たちが知っている通りです。

それぞれの意味で「身の丈に合わない」国民国家化を進めた結果と、それが生んだ軋轢が、今に至るまで続く日中対立の源泉である、と筆者はいいます。

いまも中国に残るコンプレックスと、それが生む歪み

さらに、日本を経由して中国にいびつな形で根付いた国民国家的の概念は、いまの中国の体制にも、あまり健全ではない形で生きているかもしれません。

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