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コロナ禍を全体主義の国で過ごして見えたこと

白饅頭さんが、新型コロナウイルスによるパンデミックの終了を受けて、この3年間で起きたことを振り返る文章を書いていました。

いろいろな内容が書かれていますが、とりわけ印象が強いのは、この3年間の出来事や変化を忘れないようにするべきである、なぜならこの3年間は全体主義的な社会が出来上がっていく過程の擬似体験だからだ、という部分です。

コロナから生命を守るというお題目の上、人々の自由はいともたやすく制限されるようになってしまいました。「お願い」ベースで実行するかどうかは個々人に委ねられていたはずの措置はいつのまにかほぼ強制的なものとなり、しかもそれを誰も反対の声を上げない、むしろ有事だから仕方がないという空気が出来上がりました。

こうしたことへの反省がなければ、次なる「有事」が発生した時にもまた同じことが起きてしまう。白饅頭さんはそう警告しています。

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さて、僕はパンデミックの3年間を、もともと全体主義的な国である中国で過ごしてきました。いうなれば全体主義国の有事をその身で経験してきたわけです。その経験の中から、日本への示唆になりそうなことを書いてみます。

中国においては私権を大幅に制限にするような感染対策が継続的に行われてきたことは、たぶんみなさんご存知の通りです。特定の業種の営業制限・禁止は言うに及ばず、移動の制限、PCR検査の実質的な義務化、都市全体を巻き込んだロックダウンなど、その例は枚挙にいとまがありません。

で、こういったものに人々がどう反応していたかというと、ほとんどの人はそれに対してなんの異も唱えず、やはりみんなの身を守るためにこれは必要なことだから仕方ない、という意識でいたはずなのです。

これも忘れられがちなことなので僕だけはしつこく言い続けているんですが、中国においてゼロコロナ的な厳しい防疫措置に人々が違和感を持ち始めたのはせいぜい最後の半年間、具体的な講義の形になったのはほんの1ヶ月程度のことでした。

それまでの大部分の期間は、人々はむしろ中国のコロナ対策を世界で類を見ないほど成功したものとして誇りに思っていました。もちろんそれは政治の側による宣伝の効果によるものでもありますが、人々が自発的にそう考えていた部分もあると思います。

中国の人々が、私権の制限に対して鈍感だと言いたいのではありません。なぜなら僕も、特にコロナの流行下において同じようなことを考えていた部分があるからです。

当時は、日本の防疫対策を中国と比べて批判的に論じるようなnoteを書いていたりもします。

このnoteで僕は、日本の防疫対策の信念のなさのようなものに呆れ、それに嘆いて見せるようなことを書いています。その気持ちはいまもあまり変わっていないし、「まん防」とかいまでもバカじゃねえのと思っているのですが、それにしても当時わざわざこれを書いた自分の心理の中には、「中国みたいにしっかりしろよ」という気持ちがゼロではなかったのではないかと思います。

中国では当時、生活の制限と対策のバランスがある程度取れており、それなりに普通の生活が送れるようになっていました。だからこそ麻痺してしまっていたのかもしれませんが、私権の制限を部分的に肯定するようなマインドを、中国の空気の中で自分も持ってしまっていたのではないかと、当時を振り返って思います。

表面上のことがうまくいっていると、人はなかなかその方法が持つ欠点やそれが生み出す悲劇に気づけません。むしろ自分を肯定するように、自分が支持する方法論やマインドの欠点や悲劇を、あえて見ないように無意識的に行動します。全体の空気が、それと一致しているのでなおさらです。

全体主義の空気は、その空気にもともと馴染んでいるわけではないはずの「ソト」からきた人間をも、いとも自然に取り込んでしまう力を持っています。その力に抗い続けるのは困難なことです。これが全体主義の怖さなのだろうなと、以前の自分を振り返って思います。

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もう一つ全体主義の怖さを感じたのは、その空気がひっくり返る時の反動です。

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