自分の人生脚本家導入のすゝめ。
人生最高のバディの存在
私にはもう15、6年来の付き合いをしているかけがえのないバディがいる。
その子はちょうどその頃から脚本家の仕事をしていて。
私よりずっと冷静沈着で、客観的で、物事を広い視野で見ていて、判断力、本質を見極める力は一流経営者かなってくらいで、それでいてめちゃくちゃ夢みがちで可愛い人が好きで、
自分の人生を幸せに生きることに誰よりもストイックだ。
その子が紡ぐ物語が、私はお気に入り。
人間臭くてむせ返って受け入れられないって人も多いと思うけど、
この子の脚本を世界で一番私が好きであれば、ただそれでいい。
私がパラダイムシフトへの一歩に躊躇して、自分の安心する領域に留まろうとしていると不機嫌そうに
「そんなていどかよ。」
と、口の悪い彼女は釘を刺してくれる。
高校や大学、会社員の頃はご無沙汰してたから、軸がブレブレのブレになった。
私は今ではこの子に毎日会うようにしている。
会議は朝か夜。朝は私が寝坊しがちだから、夜のことが多い。
特に今年に入ってからは、彼女になるべく毎日仕事場にも同席してもらうようにした。
どんな時にもそばにいてほしいなって思うけどヒートアップしたり、ふとしたときにその子が隣にいることを忘れて、ブレた行動や言動をしてしまう。
ふと我に返って、彼女が隣にいるって思い出す。
その時に
「まぁた、やっちゃった。」
と思う。
その頃にはもちろん彼女にズレがバレているわけだ。
私はズレたこと自体やバレたことにものすごい落ち込みとかはない。そのズレに気づいたんだから次は同じことしないんだって思える。
誰だって、今日から俳優宣言。
こういう友人がいる私は、四六時中ある意味俳優でいるわけだ。
嫌いな自分が出現してきた時に、好きな自分でいる為の決断はどうしたらいいか、一生懸命考えるんだ。
そうしてさっきのズレた行動をリカバーしたり、次はこうしよって思ったり、何となく考えなくずるずる続けてたものを納得いく在り方を持って辞めてみる。
多分ね、こうしたい!こうありたい!もめちゃくちゃ大事だけど、
こうありたくない!こんな人生にしたくない!も大事で。
今続けてる、よく考えたらやりたくないことを一個一個自分の納得する形で辞めていったらそれも自分の人生を生きるってことになると思う。
これは私が生きてきて今のところ採用してる「自分らしく幸せに生きる」ためのはじめの一歩。
まぁ、やりたいことやり始めるより、続けてきたことを辞める方が大変だからね。
だーれもあなたの人生の責任なんてとってくれやしない。
自分が最高責任者。だったら、自分をいためつける嫌いなこと、いやなこと。まず辞めてみんかい?
そう思う。
そして、こういうことを発信する私のことは、脚本家のあの子は好きなんだよなぁ。
で、そのバディって誰よ。
脚本家のあの子って言うのは、まぁ
「脳内のもう一人の自分」
の事なんだけども。
私の人生の舵取りをしている、CEOは彼女な訳で。私はこの人の脚本の通りに生きる俳優だよ。
この子とご無沙汰すればするほど、たまたま出会った他人の脚本の登場人物になってしまう。村人Bだね。
世の中的に見たら村人Bでも何でもいいんだけど、自分にとっては「村人〇〇の人生物語」を愛せるように紡いだらいい。
あなたがどう生きようと、みんな知らんわ。
でも自分にとっては、そうじゃないでしょう。
人生脚本家導入のすゝめ
脚本家の一人くらい脳内に雇って、
その人に自分の人生見てもらいな。
凄まじく、つまらん人生送ってるって自分が思ったら、嫌々やってることを自分が納得する形で辞めてみな。
本気でそう思うけどね。
そして最後に私の最も歌詞が好きな歌の歌詞をデザートにどうぞ。
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