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giveしたら既にtakeしている。

give=take. その逆も然り。

ギバーとテイカーという話。
テイカーをマイナス的に捉えて、自分は与えているのに、と以前の私は思っていたけれど

既にもうもらっているよ、と伝えたい。
反応なし、という反応をね。

そして、人は鏡だからそのテイカーを出現させたのもまた自分。

テイカーがなんだという前に、
自分を見つめてみるの。
実質的なものをもらっていなくても、
十分「学び」という対価を頂いているのだから。

でも、この人は違うなと思ったら
自分らしく生きてみること。
すると相手もそう思ってきて、縁は切れないけどゆるーく離れていくから。

そもそも論

そもそもね、
私たち既にものすごーーーく幸せよ。
もらいすぎてるくらい。生きてるうちに味わういちばん倍率の高いラッキーは宝くじで100億当てるよりも、生まれてきたことそのもの。
日本で生まれ、今まで死ぬことなく生きれている。
もう、十分もらっています。

そしたら、ちっちゃいちっちゃい「与えている」行動のお返事がなく見えても、どっちでも良くないか、と思える。

giveすることが当たり前になれる習慣

・入ったトイレは必ず掃除する。
・見つけたゴミを拾う。

最初、良さそうだけど何が変わるのか正直わからないまま、やって2ヶ月が経ち。

変化したのは、「歯を磨くレベルで自然と与える状態になれる」ということ。
与えたから欲しい、とか思わない。それをやることがただただ清々しく、当たり前。

もし、giveするのに疲れると思うなら
だーれにも知られずトイレ掃除からしてみるんだよ、昔の私。

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