「正統」と「多様」の狭間で
昨日は、ここ最近、仕事でお世話になっている方にお誘いいただき、お祭りに行ってきた。
単に見ているだけというのでも面白いものだけど、いろいろとその背景を解説してもらいながら見ていると、その意味なり、参加している人たちにとっての価値がよくわかって面白い。やはり先達はあらまほしきことなり、だ。
その話しの中で特に興味深かったのが、その祭りの様式のこと。
さまざまな町が参加するその祭りは、町ごとにそれなりに個性はあるが、大きく見ると、どの町も一定の様式にしたがっている。参加できる人の資格なども含めて、想像している以上に厳密にルールがある。そういうのが普段の町の生活にもフィードバックされていることで、自治が進んでいるというのも、教えてもらった興味深い観点だ。
一方で、そういうルールがあることで、この祭りに「新しさ」を加えることはなかなか難しい。例えば、地元の学生(ただし、その地域の出身ではない人)がチームをつくって参加するということはできないし、万が一、参加できたとしても彼らなりの感性を盛り込んだ「斬新な」出し物を用意するなんてこともできない。
「正統」さのコインの裏側
そういう話しを聞いて祭りを見ていて浮かんできたのが、タイトルにも入れた「正統」という言葉だ。『新明解国語辞典 第七版』で意味を調べてみると、
伝統を受け継ぎ、本来の様式を正しく伝えている様子だ。
と定義されている。続いて見ていくと、
「ウィスキーは味と香りをたのしむため、ストレートで飲むのが正統だといわれる」
「彼は正統派の人間だからやり方を変えようとしない」
という新明解らしい例文ものっている。
1つめの例文は、自分が初めてウィスキーを飲みに連れていってもらった20年程前に、まさに言われたようなセリフだ。
そして、2つめの例文からは、私たちが持っている「正統」という言葉に対する印象をよく表している。本来の様式を守るというコインの裏側には、「だから変えない」という意地にも似た性質が隠れている。
「正統」の中身を解きほぐしていく
この話しを祭りの話しから抽象度を高めて考えてみると、「正統」を守るということに対する正の面と負の面は、日本の組織のいろんなところで私たちを悩ませているものだ。
タイトルにも書いた「多様」という言葉を調べてみると、
いろいろの種類がある様子だ。
とのっている。
日本の組織のあらゆる点で、多様性を大事にしようということが言われて久しいけど、その裏には、これまで意識的・無意識的に抱いている「正統」をどう扱うのかという問いが深く深く根を張っている。
大切なのは、この問いをどう扱うかということだ。
この問いに対して「多様を重んじるべきだ。」「いや、正統を捨ててはならない。」という二元論のようなやり取りをすることはたやすいだろう。
でも、そういうやり取りから新しいものが生まれにくいことを、そろそろしっかり自覚するべきなんじゃないだろうか。そして、「正統」とか「多様」と呼んでいるものを丁寧に解きほぐしていくことをやっていくべきなんだと思う。
その上で、
・中身それぞれを、今の時代に照らしたときに、違う見方ができるものはどれだろう?
・中身のどれかを変えることが、全体に与える影響はどんなものがあるだろう?
というようなことを話していくことを、地道に続けていかなければいけないのだと思う。
例えば、上で紹介した祭りにおける「正統」についても、少子高齢化が進む今の時代に照らしてみると、また違う論点を持つことができるんじゃないかと思うのだ。
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