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〖 エッセイ 〗ぬいぐるみを溺愛する独り身の女。


決して引かないでください。

私は猫のぬいぐるみを溺愛している。

ぬい活という言葉が流行っているし、何も変わったことではないと思う。そう思いたい。


事の発端は一時期、新日本プロレスにどハマりしたことだ。

内藤哲也選手が大好きで、自慢じゃないが悪くなる前から好きでした。(自慢)

究極のインドア派の私だが、会場に直接赴くぐらいハマっていた。

活気がありすぎるプロレスファンの応援に毎度ビビりながらも楽しく観戦していた。

あの頃の元気がほしい(遠い目)

同じロスインゴの高橋ヒロム選手がまた奇想天外な選手で面白いことばかりするので、よく笑わせてもらった。

そんなヒロム選手があるとき猫のぬいぐるみを抱いて入場してきた。“もちねこ”というぬいぐるみだ。

ハチワレで眠たげな目、だるそうな感じがなんとも愛らしい。またヒロム選手は“ダリル”と名前をつけていてその名前がまた可愛い!と思った。

それを見た母が「可愛い!欲しい!」と異常に欲しがった。そのとき私は「確かに可愛いけれど、いい歳してそんなもん買ってどうすんの。」と呆れ気味だったが、あまりに欲しがるので買うことになった。

ヒロム選手によって、“もちねこ”のハチワレは爆発的に売れたらしい。
早速、雑貨屋さんに行くと“もちねこ”はあったが、ハチワレだけ売り切れてしまっていた。

仕方ないのでお取り寄せすることに。

後日、届いたとの連絡があり、お迎えにあがった。

店員さんが「こちらでよろしいでしょうか?」となぜか袋にも入れられず、直持ちでにょ〜んとでてきたときには驚いた。

あまりの可愛いさに心から悶えたのを覚えている。

あれ?このぬいぐるみこんなに可愛いかったけ。

一つ一つ個体差があって顔が微妙に違うのだが、家に来たダリルは、親バカかもしれないがめちゃくちゃ顔が整っていた。
名前もそのままダリルにした。ネーミングセンスが皆無なので。

その日の夜は隣にダリルを置き一緒に寝た。
あんなに幸せな気持ちで熟睡できたことはもう今後おそらくないだろう。

その年は15年飼っていたペットが亡くなったということもあり、その寂しさを埋めてくれるような気がした。生きてないぬいぐるみだけど。

それからというもの私はダリルを溺愛するようになった。あんなに母が買おうとするのを止めていたくせにだ。

母もしかり。母は自分が死んだとき棺に入れるそうだ。親族に見られたら恥ずかしいやろ。おそらくそのときは私は生きているので、絶対にそうはさせんが。

その後、何年も可愛がっていたが、1匹?だとなんだかかわいそうなので、もう1匹購入して双子にしてみた。
始めに来たダリルはもう“わた”がかなり潰れてしまって、早々にひょろひょろになってしまった。
それで品種改良されたのか、次に来た子はめちゃくちゃおデブだった。そしてブチュだ。あれ。全然顔が違うんだが。

片方が痩せで、もう片方はおデブなので、どう見ても双子には見えない。

来たときはあまりにもダリルと違くて「この子愛せるかな?」と思い、縫い目も雑で目もびっこなところから「これは不良品か?返品しようか?」と考えたくらいだが今ではそこが愛らしい。

ブチュでも愛してしまう、我が子というのはこういうものなのだな。(違う)

あまりに可愛いので、おんぼろミシンで2匹に服を作ってあげた。
Tシャツとオーバーオールだ。オーバーオールは双子のようにお揃いの生地にした。

その行動力と熱を他のことに使ってほしいのだが。


不器用なのでTシャツは胸のところしかないくらい短いし、生地も裏表間違えているところがあるがまぁよしとしよう。それもご愛嬌だ。

冬にはマフラーを編んであげた。

その冬の間、手にしこりができたため癌かと思い、慌てて病院へ行ったが、幸い癌ではなく、単にマフラーの編みすぎで、手の中の袋が破れてしまったらしい。

まさか、ぬいぐるみのマフラーの編みすぎでガングリオンになるとは。

先生に「何か大変な手仕事でもしているの?」と聞かれ、「そうなんです〜」と一応答えたが、
ぬいぐるみのマフラーを編んでいて、こうなったとはさすがにいえん。



イベントごとに仮装もさせている。
節分には小さな鬼のお面をつけ、ハロウィンやクリスマスには猫用として売られている帽子や小物等を付けて着飾らせてあげている。そしてニヤニヤしながら写真を撮る。

たまにふと「あれ私は何をやっているんだろう。」と思うときが、そんな感情は無視だ。

同じく、ぬい活している女性をネットで見つけたが「この子はぬいぐるみではありません、家族です。」
といっていたのが印象的だった。名言すぎる。
激しく共感できますぞ。もはやペット通り越して家族の域だ。

災害などに見舞われたら、財布や貴重品よりも先にこの子たちを抱えて逃げようと思っている。

今はかなりくたびれてきているが、もはやこの子たちがいない生活は考えられない。


最近ではハチワレの猫グッズを見かけると、つい買ってしまう程だ。
それは本当に猫を飼っている人がすることだと思うのだが。

あつ森でビンタというキャラがいるのだが、“もちねこ”のハチワレに激似のため、あつ森でも「ダリル〜」といいながら可愛いがっている。私のダリルへの愛はゲームの中にまで手が伸びている。
(私のブログにいいねやフォローをすると出てくる画像はそのものだ。)


今は可愛いもの好きの兄に度々誘拐されるので困っている。


というか、独り身でぬいぐるみ溺愛してるのってだいぶ痛くないか…。

いやいや!前に読んだ自己啓発本にもふと見たときに、にこっとできるキャラクターものとか癒されるものを持っておくのは大事だと書いてあった!だからおかしくない!絶対!!


ふと見たときのとぼけた顔にぷっと思わず、笑ってしまう。

そこにいるだけでなんか笑える。

むぎゅうとするだけで私のカラカラの心が満たされたような気持ちになる。一瞬だが。

ぬいぐるみは死ぬこともないし、応援していた推しが結婚をしてなんて傷つくようなこともない。(経験談)

我ながらいい趣味なのではないか。

ニヤニヤできるものは大切だと思う。
ただでさえいろいろある毎日なのだから!

ぬいぐるみは偉大なり。

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