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1番救われたのは私だった。【うつ病大学生の日記】

私のnoteを読んで「救われました」って言ってくれる人がいる。

自分の書く文章で、誰かを救えたらいいなと思っていた。
だから、そう言われるのは嬉しい。

でも、私の書くnoteに1番救われたのは、わたし自身だった。

言葉は武器になる。


そう信じて、歩んでいた時期がある。


中学生の時だった。
いじめられて、そのいじめを教師が認めてくれなくて。


そんな中、学校側から「いじめ対策作文」を書いて欲しいと頼まれた。
作文を書くのが上手だからとか、そんな理由からだった気がする。
私は、それをチャンスだと思った。
いじめ対策作文=告発文
自分がいじめられていることを、その作文には書いた。


結果。
私の作文は表彰された。
市内という狭い範囲だけど、2番目に良い賞をいただけた。
賞を頂けただけではない、いくつかの学校から、「授業で作文を使わせて欲しい」。と頼まれた。


私の作文は、認められた。
私の告発文を、多くの人が読んでくれた。


それなのに…取り巻く状況は何も変わらなかった。
教師は作文を褒めただけで、いじめは続いた。
私の言葉は、叫びは、誰にも届かなかった。


言葉は武器になる。
そう信じて、ありったけの思いを全部言葉にして、鋭いナイフに仕上げた。
でも、そのナイフは、何も切り裂かなかった。
私の現実を切り裂いてはくれなかった。

感情がわからない

いじめられ続けた私は感情が分からなくなった。

辛い現実を生き延びるために、どんなことがあっても、何も感じないように意識し続けた結果だった。

自分の感情がわからないと、モヤモヤとする何かの正体を永遠に暴くことができない。はっきりとした形として感情を捉えられないと、「助けて欲しい」という言葉すらいえないということは発見だった。「何をどう」助けて欲しいのかが分からないのだ。

自分の感情を言葉にできない。

でも、想いなら。誰かに向けた手紙なら書ける。


だから、「あなた」に宛てて、noteを書き始めた。
私の言葉を必要としてくれる「あなた」に向けて。


そうやって、「あなた」に向けたnoteを書いていくうちに、いつしか自分の感情に気付けられるようになった。


私は「わたし」の書いてきたnoteに救われたのだ。
自分の感情がだんだんとわかるようになって、パニックになることが減った。
モヤモヤとした気持ちも減って、モヤモヤの正体が暴けるようになった。
「悲しい」だとか、「嬉しい」だとか、そんな感情がわかるだけで、心ってこんなにも楽になるんだと知れた。

小さな灯り

私の言葉は武器にはならなかった。
少なくとも私は、言葉を武器にして使うことができる人じゃなかった。

でも、私の言葉はランプになった。
真っ暗闇を照らす、1つの灯りになることができた。


私のnoteに救われたと言ってくれる全ての人へ。
私はあなたのその言葉に救われています。
想いを言葉にしてくれてありがとう。
私にその言葉を伝えてくれてありがとう。

1つの灯りは、わたしと、そしてわたしの灯りを必要としてくれる人を照らしている。

これまでも。これからも。

その灯が消える日は、当分先だろう。

心をぽかぽかさせるために使わせていただきます☺️