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思想家や思想を勉強する意味

文学部は就職に不利とか言われてたりする。それは役に立つ学問ではないからだ。

自分は思想家や思想を少し勉強してきたけど、思想なども同じような扱いだ。

じゃあどんな意義があるのか、本当に社会で役に立たないのか。そこまでの勉強をしてきたわけではないけど、思想家を勉強する意味について言語化してみる。

思想家を勉強するとは

人、つまり思想家を研究するということは、その人の思想と全ての言動を繋げるということだと思う。

特に思想家と呼ばれる猛者は、かなり高度に抽象化された理論や独自の考えを持っている。

そして、作り上げたその根本の思想に基づき、様々な発言を展開している。

だから、どんな発言も、根幹の思想につながっている。だから、その発言をどうしてしているのかということを考える必要がある。

そして、その根本の思想は高度に抽象化されているから、色々な彼らの発言を集めていきながら理解を深めていかなければならない。

そして、本質的思想と、枝葉的発言をいったりきたりをしながら、一本の木のごとく理解していく。

それが思想家を研究、勉強するということだと思う。

人を研究することのメリットは、思想家を飼えるようになること

思想を研究するということは、その思想家の思想を読解し、その思想家の言動を全て繋げ、一本の樹のように繋げること。

では、繋がるとどうなるか。

そうすると、まだその人が言っていない発言も想像できるし、予測できるようになってくる。

つまり、未知なる枝葉が見えてくるということ

「この人なら多分こういうだろう」というようなことが頭に浮かんでくるようになる。

そしてそれができるようになると、その人で現在を見ることができるようになる。

「きっとこの人が今生きていたら、こう言うだろう」とか「こういう状況なら、こう考えるだろう」というような芸当ができるようになる。

これはいってみれば、思想家を飼うということだ。

「ねえ○○さん。ここの問題はどうすればいいんすかねえ。」

それに答えてくれるようになる。

夏目漱石を雇っている人、マルクス、福沢諭吉。

こういう人たちを一人、心において現在を生きたら面白いなと思うけど、それをやっているのが、大学などで思想家の研究をしている人たち。

福沢諭吉を生き返らせ、現在に活かす。

だから、そういう研究をした人が、仮に就職をしたら、「夏目漱石になりきって、バンカーになってみた」とかできるかもしれないし、「福沢諭吉になりきって、ビジネスマンしてみた」ということだって可能かもしれない。

福沢諭吉だったら、こうこうこうでこう考えます。
回りも唸るしかないかもしれないし、福沢諭吉と呼ばれるだろう。

福沢諭吉を飼ってるなら誰もが欲しいと思うし、自分としても心強いこと半端ない。

自分もそれができたらと思ったけど、残念ながらおれの後ろには誰もいない。笑 全然それを為し得るレベルには到底及ばなかったということ。ピンチのときくらい誰かしら降りてきてほしいところなんだが。

ということで思想とか思想家とか勉強している人頑張れ!

後ろに亡霊がつくまで!!

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※今回のnoteは、このnoteから着想を得ました

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