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桑田佳祐と演歌〜歌謡曲の真の体現者〜

BLUTUS『全世代に捧げる歌謡曲特集』

2021年3月に刊行されたBLUTUSの『#全世代に捧げる歌謡曲特集』は国内のポピュラーミュージックの歴史を振り返るにあたり、1970年代から80年代を中心とした日本の歌謡曲のもつ幅広さ、魅力を深掘りする足がかりとして、重要な特集であったと思う。近年のシティポップムーブメントとも共鳴しており、まだ海外でレアグルーヴとしてリスナーを楽しませる楽曲たちがわんさか眠っていることだろうと思った(掘り尽くされているかもしれないけど。)表紙に使われ、大々的に特集されているのは、今は亡き西城秀樹である。

隔週刊行の雑誌としてはあまりにも充実した内容に読んでいて楽しくなったのだが、一方で、「歌謡曲」というジャンルについて、気になることがふたつあった。ひとつは「演歌」の存在について。もうひとつは、桑田佳祐について。

歌謡曲と演歌の関係について

BLUTUSの『#全世代に捧げる歌謡曲特集』では、70年代〜80年代の日本のポピュラーミュージックについて多くの頁が割かれているが、70年代にはヒットチャートに普通にノミネートされていた「演歌」について触れられている頁はほとんどない(ライターユニットのダミー&オスカーのコーナーでは野球監督の落合博満が10枚以上演歌のシングルを出していることには触れている!)。もちろん、編集の都合上、グループサウンズ〜洋楽カバーポップス〜アイドル歌謡とシティ・ポップ〜J-POPという流れを作る必要があるし、その流れが今や主流であることは理解できる。それに、「演歌もヒット曲あるんだからページを割け!」なんてことを言いたいのではない(僕は演歌の何なのだ)。ここで気になっているのは、歌謡曲と演歌ってそもそも非常にあいまいな概念だよね、ということだ。
音楽研究者の輪島裕介は、『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後音楽大衆音楽史』(光文社)で、秋元康の「ギョーカイ的な戯れ」の結果生み出された「演歌」としてとんねるずの「雨の西麻布」(1985年)「歌謡曲」(1986年)を例として挙げている。

ここでいう「ギョーカイ的な戯れ」とは、この2曲が「いかにもこれって演歌だよね〜」的な演歌あるあるで構成されたパスティーシュ的コミックソングであることを指している。具体的になにが「演歌」的かを挙げると、イントロの語りでとんねるずが「演歌」であることを自己言及しているのである。

「こんばんは石橋です。木梨です。とんねるずです。この曲を頂いてはじめて演歌の心を知りました」

「雨の西麻布」のイントロのセリフ

「石橋です。木梨です。とんねるずです。この曲を頂いてはじめて演歌の心を知りました。この曲にかけてます。」

「歌謡曲」のイントロのセリフ

上記の二曲は楽曲の前にセリフから「演歌」をパロディしていることが明らかである(そもそも「雨の西麻布」のジャケットのとんねるずは和服姿でビジュアル面でも「いかにも」な感じである)。
一方、この2曲を聴くと、演歌というよりも、いわゆる「ムード歌謡」なのでは?という思いも湧く。実際、「雨の西麻布」「歌謡曲」ともに作曲は見岳章(ロックバンド一風堂のキーボーディスト)だが演歌の仕事をメインにしているわけでもなく、「雨の西麻布」ではムード歌謡の代表的なグループとして知られる内山田洋とクール・ファイブがコーラスで参加している。また、「歌謡曲」ではメロディラインがサザンオールスターズの「チャコの海岸物語」(1982)のパロディであり、テレビ出演する際は派手な衣装でマンボを踊るとんねるずが確認できる。現在の「演歌」の一般的なイメージ(和服、直立不動、こぶしを利かせた歌唱)とは少し違っていることがわかる。

ここで歌謡曲と演歌を分かつものが何なのか、みたいな話をしても面白いのだが、ぼくの手には余るので措くとして、ここで言いたいのは、1985年当時おニャン子クラブを成功させていた秋元康のワークス(ギョーカイ的な戯れ)での「歌謡曲」の認識が、歌謡曲と演歌がごった煮になったものであったことである。

これまでの話を図にするとこうである。

現在においては歌謡曲を語るときに演歌は捨象されがちだが、秋元康・とんねるずを手がかりにそもそも1980年代では歌謡曲と演歌は同一視されていたことを示した。そもそも演歌を歌謡曲のいちジャンルとして取り扱う言説もあり、高護『歌謡曲』(岩波書店)では演歌というジャンルがムード歌謡を取り込んでサヴァイブしていく様子が述べられている。

現代の歌謡曲の概念から捨象される演歌。何度もいうが、僕は「歌謡曲を語るなら演歌を語れ!」と言いたいわけではない(僕は演歌界と利害関係はない)ただ、「演歌を含んだ歌謡曲」の面白さを体現しているミュージシャンがいる、ということを言いたい。それが、桑田佳祐である。

桑田佳祐と演歌

桑田佳祐はそもそも演歌を作っている。2021年にリリースされた、坂本冬美『ブッダのように私は死んだ』(2021)である。

一聴すれば、”演歌”であることが聴き手にわかるようなサウンドメイキングがなされていることがわかる(なんというか、ずっと有線の演歌のチャンネルが流れている富士そばで流れてても違和感がない)。桑田佳祐は坂本冬美の歌入れ際には同席し、歌いまわしを細かく指示し、「都はるみ風で」「美空ひばり風で」などと指示していたという。
日本のロック・ポップスを代表する歌手桑田佳祐と、現役の演歌歌手として多くの人に認識されている坂本冬美の異例とも見えるコラボレーション。坂本は古くからサザンのファンであり、たまたま桑田と紅白歌合戦の楽屋で会ったことをきっかけに、直筆で手紙を書いて楽曲提供を依頼したという。この依頼に対して、桑田は自身のレコーディングが多忙で一度は断ったが、ふとメロディが思い浮かび、デモテープの完成に至ったのだという。
ここで注目したいのは、桑田が演歌歌手・坂本冬美にあてる演歌が”思い浮かんだ”という点である。思い浮かぶということは桑田が意図して演歌を作ったということではなく、桑田に演歌をつくる下地があったと捉えることができる。
桑田佳祐は自身のルーツにビートルズ、エリック・クラプトン、キング・クリムゾン、リトル・フィートなどの洋楽のロックを挙げることはよく知られているが、日本の歌謡曲に対しての深いリスペクトも度々表明している。
桑田佳祐は2008年、2013年、2018年に『ひとり紅白歌合戦』という企画を実施している。

所属事務所アミューズが立ち上げたエイズ啓蒙活動Act Against AIDSの一貫として実施されたライブで、昭和20年代から現代にかけてのヒット曲をNHK紅白歌合戦に見立てて桑田ひとりが歌いこなすという超人的な企画であるが、レパートリーには実際の紅白歌合戦よろしく演歌が含まれている(北島三郎「与作」、都はるみ「北の宿から」、森進一「襟裳岬」、八代亜紀「舟歌」など)。2019年にリリースされたBlu-rayボックス『平成三十年度!第三回ひとり紅白歌合戦 三部作コンプリートBOX大衆音楽クロニクル』の特典のブックレットのインタビューでは、桑田が「歌謡曲」に対する思いを以下のように語っている。

日本の歌謡曲は実に偉大じゃないかと。誇るべきものであって、決して侮れないし、これからもう一度学ぶべきじゃないかって。かつての昭和40年代、50年代、遡って昭和30年代もそうですけど、その時代の歌謡曲や演歌を集めて聴き始めた時に、全部が自分の身体に沁み込んでいる、血肉になっているじゃないかと。まあ、歳をとればとるほど(笑)気付かされるんです。

また、WOWWOWの25周年記念の企画として2016年6月25日に放送された『WOWOW開局25周年記念 桑田佳祐 偉大なる歌謡曲に感謝 〜東京の唄〜』においても桑田が演歌のレパートリー(藤圭子「新宿の女」千昌夫「北国の春」など)をこなしている。


この番組をDVD・Blu-rayとしてパッケージ化した『THE ROOTS 〜偉大なる歌謡曲に感謝〜』付録のブックレットにおけるインタビューでは自身のルーツはビートルズなどの洋楽「テレビ歌謡」にあると答えたうえで、以下のような「歌謡曲」観を披露している。

これを観て「ああ演歌だ!」とかって言う人、たぶん若者に多いと思うんだけど、「演歌じゃねえんだよ、それも含めてザッツ・歌謡曲なんだよ!!」っていう(笑)。

このように、桑田佳祐自身も自分のルーツには演歌を含めた歌謡曲が存在することを認めている。きっかけは坂本冬美による熱烈なオファーではあったが、そもそも演歌を作る下地が桑田の中にはじめからあったのだと言えよう。

桑田・サザンの中の演歌

これまで歌謡曲を語るときに捨象されがちな演歌と、桑田佳祐の「演歌を含めた歌謡曲」観をみてきた。桑田の楽曲で明確に演歌と呼べるものは『ブッダのように私は死んだ』のみであるが、桑田のレパートリーには歌謡曲にルーツを持つものも多い。そもそもサザンオールスターズのドラマー・松田弘はYoutubeチャンネルでデビュー前に桑田がデビュー曲『勝手にシンドバッド』を「歌謡曲みたいなものができた」といって披露したことを述べている。

そんな歌謡曲の体現者である桑田の楽曲の中でも、個人的に演歌の要素を持っていると考える楽曲をピックアップして紹介してみることとする。

「リンゴ追分」

サザンオールスターズ『BOHBO No.5 / 神の島遥か国』(2005)収録


日本を代表する歌手・美空ひばりの1952年の楽曲をJAZZ風にアレンジしてカバーしたもの。桑田の歌唱については、美空ひばりの歌いまわしに忠実(花ぁびぃらぁがぁ〜のあたりを聴き比べてほしい。)

桑田は『ポップス歌手の耐えられない軽さ』においても、演歌のルーツに日本民謡があることに言及しており、美空ひばりを演歌の代表的な歌手として挙げている。『THE ROOTS』においても美空ひばりの「車屋さん」を都々逸の部分含めてカバーしている。美空ひばりを通して、桑田佳祐には日本民謡の歌いまわしが受け継がれているのである。

「ポカンポカンと雨が降る(レイニーナイトインブルー)」

サザンオールスターズ 『世に万葉の花が咲くなり』(1992)収録

編曲に小林武史が全面的に入っていた頃のサザンオールスターズのアルバム中ごろに収録されている原由子ボーカルの歌謡ナンバー。この曲について小林武史は「また例によって歌謡曲っぽい曲で、もういいよこういうのって思った」とインタビューで答えているという(ソースが個人ブログになるが https://eboshi-rock.hatenablog.com/entry/2018/09/19/070000 )
実際、イントロのギターのアルペジオがなんとも湿っぽく、歌詞にも「夜の街」の「お酒飲み同士」同士の道ならぬ恋という設定がムード歌謡の世界観を色濃く出している。ムード歌謡と演歌の違いは非常に微妙な問題ではあるものの、高護は『歌謡曲』(新潮社)で、1966年〜67年に誕生した夜の酒場で歌われているムード歌謡が70年代以降の演歌の世界をより豊穣なものへと変化させたことを述べており、ムード歌謡が演歌に取り込まれたものとして扱われている。
1番のAメロには「やがて来るさよならを知りながら何よりも信じてたあなたの言葉を」、2番のサビの歌詞には「好きよいつまでも泣かされ続けたのに」とあり、女性が恋する自分を後悔まじりに振り返る様は、藤圭子「新宿の女」の「バカだな バカだな だまされちゃって」「ポイとビールの栓のよに私を見捨てた人なのに」と言った歌詞と共通する。

藤圭子は1969年に「演歌の星を背負った宿命の少女!!」としてデビューしており、小説家の五木寛之は代表曲「新宿の女」を「口先だけの援歌(エンカ)より、この怨歌(エンカ)の息苦しさが好きなのだ」として絶賛している(輪島裕介『作られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後音楽大衆音楽史』)。
桑田も先述した『THE ROOTS』で「新宿の女」のカバーを披露しており、エッセイ『ポップス歌手の耐えられない軽さ』(文藝春秋社)でも藤圭子について言及している。僕としては、藤圭子の夜の酒場の怨み節のイメージが、「ポカンポカンと雨が降る」の軽快な(だけど悲しい別れの)歌謡ナンバーに昇華されたのではないかと思っている。

「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」

サザンオールスターズ『あなただけを 〜Summer Heartbreak〜』(1995)

数多くのJ-POP楽曲にサポートミュージシャンとして参加するサックス奏者の山本拓夫が編曲に名を連ねる36枚目のシングル。ホーンアレンジとドリーミーなアレンジが特徴的。この曲に演歌の影響があるというと、「いくらなんでもそれは・・・」と思われそうだが、この曲の歌いまわしは桑田のリスペクトする歌手・前川清から影響を受けているのではないかと思う。
桑田は前川清を非常にリスペクトしており、『ポップス歌手の耐えられない軽さ』では「「内山田洋とクール・ファイブ」にシビれた!!」と一週文の原稿をクール・ファイブのボーカルであった前川清への愛を語るのに割いており、級友の前で前川清のモノマネをしていたというエピソードが披露されている。
前川清を演歌歌手とみなすかどうかは議論が分かれるところではあるが、高護は『歌謡曲』で「豊穣なる演歌の世界」という項目で前川清を演歌の文脈で語っているし、桑田も『ポップス歌手の耐えられない軽さ』では以下のように述べている。

腹の底からシャウトする前川さんは、ムード歌謡会ではかなりの異端児であり、斬新だった!!作詞、作曲および編曲家の先生方が、音楽的に指定した「本来の歌い方」とは、ちょいと違う「ノリ方」「解釈の仕方」で彼は啼き、慟哭(さけ)ぶ!!
(中略)
三橋美智也や北島三郎のような、日本民謡をルーツに持つ人たちの歌唱も素晴らしいが、前川さんのルーツは多分に洋楽的な影響が大きいと、アタシは確信するのでありました。
明らかに「夜の演歌酒場」とは違うノリを持つ前川節!!その辺の「日本のロック」なんかより、よっぽどガッツのある「ロッカー」であり、「R&Bシンガー」なのであります!!

桑田は三橋美智也や北島三郎などの演歌歌手的な日本民謡をルーツに持つ歌唱と洋楽的なノリのある前川清を対置しているが、この対置は前川清がムード歌謡・演歌歌手として扱われるパブリックイメージがあっての対置と考えられる。
実際に前川清の代表曲「長崎は今日も雨だった」を聴いてみると、「あなただけを 〜Summer Heartbreak〜」における桑田のビブラートを強調する歌唱の元ネタじゃないかという気がしてくる。

「東京」

桑田佳祐『東京』(2001)

『THE ROOTS』で演歌を含めた歌謡曲のナンバーを歌い上げたあとに唯一自身のオリジナル曲で演奏したのがこの『東京』である。当時のオリコン週間ランキングで1位を記録していたヒット曲であるが、ソロの前作「波乗りジョニー」(2001)年の明るいポップスの曲調は鳴りを潜め、暗く粘っこい歌いまわしのロックバラードとなっている。(当時僕はめざましテレビの音楽コーナーでこの曲のプロモーションビデオが流れたとき、「何だこの暗い曲は!」と思った)
この曲は、先に紹介した「ポカンポカンと雨が降る」と同様に、「雨」がモチーフとして用いられている。CD版のジャケットには、和傘をさす桑田が描かれているし、プロモーションビデオでも雨がミステリー調のストーリーの中で印象的に用いられている。

雨といえば、演歌にも雨をテーマにした楽曲が多い。八代亜紀「雨の慕情」、伍代夏子「忍ぶ雨」、都はるみ「大阪しぐれ」など。

日本人の心情表現において、「雨」は悲しみや涙の比喩表現としてポピュラーなものであるが、演歌を構成する要素として、「湿っぽさ」は重要なものである。高護は『歌謡曲』で都はるみ「アンコ椿は恋の花」と水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」を「演歌の心を持ちながら湿度を持たない」ものとして評価をしているが、逆に言うと、伝統的な演歌は「湿度」を持つものとして定義する見方ががあることがわかる。(ここでいう「湿度」が具体的に何なのか述べられていないが、たしかに都はるみと水前寺清子は湿っぽくない、明るい作風のイメージがある)

演歌 = 湿度という見立てを取り入れると、「東京」の湿度は正しく演歌的であるように思う。

街の灯が滲むほど 雨音が窓を叩く
幸せと知りながら 心にさす傘は無い

東京は雨降り 何故はかなく過去を濡らす
今宵 夢の中へ逢いに来て

また「東京」にて用いられる唸るような歌いまわしについては、先述した藤圭子の流しとして夜の酒場でも聴こえるようにするために身に着けた声量の強く低くドスの効いた歌いまわしが連想される。
湿度をもった歌詞世界と、夜の酒場で聴かせるための怨み節の歌いまわしが共存しており、まさに桑田の歌謡曲観を代表する一曲であると言えよう。


真の歌謡曲の体現者

これまで桑田・サザンの演歌的要素を持つ楽曲をピックアップしてきた。評論家のスージー鈴木はサザンオールスターズを「ロックの総合商社」と評している。


これを受けて、改めて演歌の切り口から考えてみると、サザン≒桑田佳祐は演歌までも含めた歌謡曲の一切合切を引き受けている稀有な存在であることがよくわかる。クラブでかかっているダンサブルなアイドル歌謡、海外受けするシティ・ポップの語りからは漏れがちだが、ドメスティックな歌謡曲を真に引き継ぎ、世に広めているのは桑田圭佑なのではないか、というのが本稿の結論であるが、言い過ぎだろうか。

演歌も歌謡曲も飲み込む桑田佳祐の図

参考文献

  • 『BLUTUS #全世代に捧げる歌謡曲特集 』(マガジンハウス)

  • 高護『歌謡曲』(岩波書店)

  • 輪島裕介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後音楽大衆音楽史』(光文社)

  • スージー鈴木『桑田佳祐論』(新潮社)

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