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人材育成は3つの層がいる

こんばんは。

唐突ですが、社会人になってから、私はまともに教育を受けたことがありません。

3回転職して、今いる会社が4社目になりますが、1社目から現在にいたるまで、社外セミナーを受けたこともなければ、社内教育を受けたこともありません。強いて言えば、社員同士の勉強発表会?みたいなものは少しやったことがある…くらいです。

ただ、そうした過去もあって、自分が先輩になり、上司になりと、立場が変わるたびに、色々な部署のなかでそこの組織の上司や先輩と新人や若手との間にある接し方を見てると、どうにもこうにも納得できないことがありまして…。

 なぜ、育成のかけらもしないくせに、
 なかなか成果が出せない新人や若手に強く当たろうとするのだろう?

と。

そんなモヤモヤを抱えつつ、私も前職までは現場で昼もなく夜もなく働いていたために、たまたま自分がマネージャーをしている際に、下についてくれた子たちくらいしか面倒が見てこれませんでした(自分の下につきさえすれば、外注の新人や、客の新人まで育成してましたけど)。


初めて自ら行った教育は「集合教育」

本格的に「社員教育」に取り組んだのは、今の会社に入った2012年からです。とりあえず行うようになったのは、2ヶ月の「新人教育」でした。最初は1人で。今では多くの人に関わってもらっていますが、現在でも毎年関わっています。

それまでは、会議室を教育部屋として設け、そこに新人を押し込んで、課長が作ったであろう課題を「解いておけ」みたいな教育だったようです。さすがにそれはひどいと思ったので、転職早々「私にやらせてもらっていいですか?」と名乗りを上げました。

もちろん、独学ですし、資料作り1つとっても、見様見真似でつくるので、初版はかなりイケてなかったんじゃないかと思います。

難しい話を難しく説明しても、ついこないだまで学生をしていた新人に通じるはずもなく、彼らに分かりやすいたとえ話を何十通りも作ったり、逆に知識量が多く、説明が長くなりやすい話は、彼らがわかりやすい要点をまとめてみたり、覚えやすくキャッチコピーを作ってみたり、と試行錯誤したものです。

でも、基本的に新人に向かって話すのって、ITリテラシーの低いお客様にご説明するのと同じで、

 "わからない人に分かるように話す"

スキル自体の応用で済むと思ってましたので、さほど身構えてはいませんでした。初年度、2年目、3年目…と年を追うごとに少しずつ資料の精度も上がり、説明の調子も良くなってきたと思います。


しかし、集合教育には落とし穴が

けれども、2ヶ月の教育期間を経て、いざ現場に配属されていった新人を観察していると、新人教育時代に学んだことが一切活かされていないのです。

そこで、毎年、何名かに絞り込んで、最初の2~3ヶ月限定で毎日のように様子を見に行き(コピーを取りに行く際とか)、毎日会話を繰り返しました。これは、エビングハウスの忘却曲線にあるように、少しずつ馴染ませ、忘れにくくしてもらうためです。

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個人的な体感ですが、毎日繰り返すと、早い子で3ヶ月、遅い子でも半年くらいで忘れなくなります。「いくら教えても、全然ダメ」と言われる子をたまに見かけますが、本人にその気さえあれば、

 教育できる程度のものであれば、絶対に大丈夫

と断言できます。なぜなら、言語化できる知識やスキルは、必ず「仕組み(IT的にいえば、アルゴリズム)」に落とし込めるようになっているからです。逆に仕組みに落とし込めないような知識やスキルは、

 「ここをな?バッとやって、シャシャーっとやればええんや」
 「グッと絞めて、バーン!やで」

と言ってるのと変わりません(関西弁に深い意味はありません)。他人に教えられるような知識やスキルとは、言い換えれば「平凡な人材を、非凡に変える」ツールです。論理的に説明できるものであれば、その通りに実行することで再現性の高い結果となっているはずなのです。


集合教育だけでは足りない

少し話は逸れましたが、要するに2か月の集合教育は、その後に反復(復習)されなければ、まったく効果がないということがわかったのです。ちょっとした気づきくらいは与えるかもしれません。半年後にもう一度話せば、「そういえば」くらいには覚えているかもしれません。

けれども、実務で再利用できる程度には結び付きません。
効果がものすごく限定的なのです。

しかも、現場の上司や先輩が、新人教育で学んだ内容と異なる「自分流」を仕込もうとするから、せっかくデファクトスタンダードな知育を行っても、ますます効果はなくなっていきます。

そうなってしまうと、あとは個人の自己啓発に頼るしかありません。

・従業員(労働力)は必要
・でも、面倒だから上司や先輩はまともな教育はしない
・仮に教育しても、現場はその通りの仕事の仕方をさせない
・しかし、会社としてはそれなりに成果は上げてもらいたい
・成果を出さないと評価もしない制度になっている
・自分で自学自習しないと、一生ヒラのままだぞ?
・とはいえ、中には伸びてくる子もいる
・そういう子は労基法に従い、成果ではなく労働時間で待遇する
・頑張っても、頑張らなくても、待遇はみな一律となる
・結果、より多く残業した子がなぜか評価されていく
・有能な子は、企業風土や制度に幻滅して去っていく

という負のスパイラルが生まれます。
それでは、あまりにも悲しく、あまりにも無責任ではないでしょうか。


成長する流れを作りたければ、成長しやすい環境を

今年の4月から「働き方改革」法案が施行されましたが、私は

 働き方を変えるための環境が整っていないのに、
 どうやって働き方を変えればいいのか

と、常々思っています。

 「働き方改革とは、働きやすさ改革の上に成り立っている」

が、私の口癖です。今の働き方(型)は、その会社の与える環境や制度の中である程度最適化されたもののはずです。ですから、その働き方(型)を変更しようと思ったら、どうしても型を変えやすい環境が用意されなければならないと思うのです。

たとえば、「これからはAIだ!」と言ったところで、そのAIを作る環境や、検証するデータがなければ、進めることもできません。同じように、教育も、まずは教育することによって、受ける人たちが成長しやすい環境を用意するのが先ではないでしょうか。と言っても難しいことを考える必要はありません。

 教育内容 = 現場運用

となっていればいいのです。せっかく集合教育のようなスポットで知育しても、現場では一切活用されていない様では困ります。教育内容を見直すのか、それとも現場の担当ごとに属人化された運用を見直すのかはさておき、「教育」と「現場」が乖離していては、効果は期待できないと言うことです。


教育にも仕組みが必要

教育と現場の足並みがそろったら、次は教育の仕組みを整理しましょう。大きなフレームワークを使うのであれば、やはりまずは『PDCA』でしょう。年度末に、それまでの実績を振り返り、評価できるところ、不足しているところを洗い出し、翌年度のキャリアや育成方針/計画を決めるのです。

しかし、その輪の中で、より具体的に実効性のあるフレームワークをあえて提案するなら

 1. 知る(記憶する、気づく)
 2. 識る(認識する、識別する(使いどころや、使った効果を知る))
 3. 理解する

の3つの段階を順に踏んでいく必要があると思うのです。

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あくまで独学の中で得た発想なので、それが正しいかどうかはわかりませんが、少なくとも「先に答えを聞いておいて、その通りに実践していく」というスタイルは、ソフトウェア開発のそれを酷似していませんか?

ソフトウェア開発でも

 1. まず、目標となる完成像(答え)を定める(要求定義/要件定義)
 2. その完成像を具体的にどうやって作るか検討する(設計)
 3. 検討結果に合わせて、実装する(製造)
 4. あらかじめ定めておいた「答え」通りに実装されているか

   繰り返し確認す
る(テスト)

という流れでプロジェクトが進行します。
基本的な流れは同じ方が、通常の開発業務との親和性をはかれて効果も高いと思うのです。

この3つの層「知る層」「識る層」「理解する層」が有機的に連動していれば、かならず学習者の理解速度は高まると思います。層をまたぐごとにエビングハウスの忘却曲線でいう「復習」が繰り返されるのと同じ効果を得ることができるため、さらに定着率も向上するでしょう。



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