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振り返ることの意味、意味ある振り返り

これまでも様々なプロジェクトに参加してきた中で

 「振り返り」

というのは度々おこなわれてきました。

プロジェクトの終了時に行われるものもあれば、プロジェクト中に定期的に行われるものもありました。計100回以上は参加してきたと思います。私自身が主導したものも当然ありましたが、実際のところ…

 本当に意義のある振り返り

というのは数えるほどしかありませんでした。

そもそもこの「振り返り」という行為に求められる目的や目標はどこにあるのでしょうか。価値はどのように測ればいいのでしょうか。

振り返りに参加する、あるいは開催する人の実に9割以上が、この問いに対してしっかりとした答えを持っている人はいないでしょう。いたら、その答えに従い実施し、その実施の結果を効果測定できているはずで、そして目的を正しく理解しているのであれば効果測定の結果を有効に活用できているはずです。

そうなれば、今頃どんなに些細なものであっても「同じ失敗を2度と発生させない」組織や集団が出来上がっているはずです。

そうなっていないのであれば、間違いなく「振り返り」の重要性、あるいは目的・目標、価値の測定方法など、何かを誤って理解しているということになります(まさか理解したうえで誤った方法をあえて選択することはないでしょうし)。

また、特に多くの人が振り返りの中で行う過ちは

 『良かったこと』

に対する反省の進め方です。『良かったこと』『悪かったこと』の内『良かったこと』を論じる際、

 「〇〇が経験できてよかった」
 「〇〇が失敗しなくてよかった」

といった子供のお遊戯の感想文と同レベルの内容を記述する人が絶えないからです。これでは反省にもなりませんし、反省にならない以上、未来に活かせる要素もありません。

仕事の振り返りは、経験を得てなんぼ、経験を次に活かしてなんぼの世界です。

 「〇〇をすることによって、△△となった」
 →「(だから)次以降も、〇〇は継続して行っていきたい」

という事実に対するふりかえりでなければ意味がないのです。
つまり、成功体験についても因果関係をハッキリさせることが重要なのです。

そして最後に、振り返りをした以上は必ず次の活動や作業でその反省を取り込んだかどうかをチェック(効果測定)できる機会を設けましょう。

これがなければ「取り組み」自体の有効性を判断することはできません。なんとなくざっくりとプロジェクトが黒字収支になれば効果があった…と評するのはあまりにも雑です。

たとえば計画を立案するなら、計画書に活動方針やルールとして取り込んでいるかどうかが肝になります。

反復して実践する機会を得ることで、人は加速度的に成長する機会を得ることができます。それを『振り返り(C+A)』+『次の仕事で実践(P+D)』という仕組みとして導入するのです。

できなければ、個々人の経験則にただただ依存していくしかありません。そして個人が経験値を活かそうとしなければ、その個人はいつまで経っても成長しないままになるでしょう。さらにその個人が集団のなかである程度の決定権などを有しているとその人次第でほかのメンバーの成長率にも影響を与えることになってしまいます。

たとえば、普段の活動の中でも、宴会の幹事やちょっとした頼み事でも、その結果に対して、

「何が成功の決め手になったのかな?」
「それいいね、みんなに発表しようか」


「何が悪かったと思う?」
「じゃあ次はどうしようか」
「よし、その経緯と進め方をみんなで共有し、活動を広げようか」

といった小粒の振り返りなども併用し、互いに振り返りあうことが当たり前の風土を作れるようになると、放っておいても組織の中に"意識の高い"人材が出来上がっていくことになるでしょう。

こうした取り組みの吸収は、若ければ若いほど効果が大きく出ます。
歳をとればとるほど、そういった成長への取り組みを頑なに拒む人が増えるからです。

取り組みをするかしないかは個々人あるいは各組織の方針に委ねられていると思いますが、実際に今のうちに「そうすることが当然」と言えるようになっておけば将来は明るいものとなるでしょう。

なぜなら

 過去の経験や歴史(他人の経験)は
 成長率を大幅に向上させてくれるから

です。


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