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後日談

8月末、学生時代から7年借りていた都内の物件を退去した。
愛着のある部屋と寺町に、隣に祀られている美人のお稲荷さんにお礼とお別れのご挨拶をした。
お賽銭は500円にした。
(7年間守ってやったのにこの額はないだろうとお思いでしょうが、わたしがお金持ちになる日まで少々お待ちくださいませ、と心の中でお詫びしつつ)

すべてが終わった後に、久野久に縁のある場所を巡ることを決めていた。
それは同時にわたしの学生時代からの思い出の道を歩くことでもある。

JR日暮里駅から朝倉彫塑館、谷中霊園を通り抜けて上野公園の中にある東京音楽学校旧奏楽堂までの道を歩く。

このプチ行脚には思いがけなく、わたしのnoteを読んでこの話に関心を持ってくれていたあるアーティストが同行してくれることになった。

きっと一人では、愛着ある土地にさよならをするうえに、久野久というヘヴィなモチーフの残り香を嗅ぐような行為に対して、なかなかナーバスな気分に陥っていただろう。
でも彼のおかげで場所の記憶がすべて久野久に終始することもなく、わたしの大切な思い出の場所として、この日の夏の日差しと同じ明るさで記憶することができた。

さて、後日談として。
実際に久をモチーフとして制作に取り掛かる際に、いずれ一度は和裁の手ほどきをしてくれるところへ行く必要があると考え、通っていた着付け教室の先生にどなたか紹介していただけないでしょうかとお伺いしてみた。

先生は「すぐに指導してくださるかはわからないけれど」と前置きしつつ、その方がお住まいの住所と連絡先が書かれたメモを下さった。

メモを見ると、

久野


久野である。

お住まいの住所名らしい。


もっとも久野久の出身は滋賀だから、関東に何か繋がりや由来があるわけではないと思うけれど、
このエリアにそんな名称の場所があるなんて知らなかった。

しかし、偶然といえどよくできてるなぁと感心した。

久野久エリアを離れたとはいえ、浅く広く、繋がっているような気がした。

(ちなみに雰囲気が谷中霊園の並木道に似ているという理由で今回拝借した画像はメタセコイア並木という名所で、偶然にも滋賀県だった。
琵琶湖では湖水浴ができるとも知って、滋賀に行ってみたい欲が湧いている。来年の夏は滋賀の久野久エリアと湖水浴目当てに飛んでいる自分がかんたんに想像できてこわい。)




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