チョク・スエヒロ

笑いと特撮を愛する者です。 特撮は特にウルトラマン・怪獣が出る作品が好き。漫才・コント…

チョク・スエヒロ

笑いと特撮を愛する者です。 特撮は特にウルトラマン・怪獣が出る作品が好き。漫才・コント・落語・その他諸芸、大衆芸能。若手から名人、古今東西、広く浅く。気まぐれに書きたい時に、好きな事を好きな分だけ書いてます。 生涯「笑い」を愛し続ける。

最近の記事

1日だけ「漫才師」だった

1 「青春とは、或る期間を言うのではなく心の様相をを言うのだ」 誰がこの言葉を言ったのかは知らない。いつどのタイミングでこの言葉を知ったのかも覚えていない。本で読んだのか、それとも何かの媒体から吸収した言葉なのか。 いずれにしても、この言葉の出自について自分の中ではとてつもなく、どうでもいい。 だが、この言葉は自分の人生において、とてつもなく大切な言葉である。 初めて聞いた時の、「目から鱗」具合ったら無かった。 所謂「青春」という物は、学生服に身を包んだ「学生」と括

    • 我が演芸オールタイムBEST100

      はじめに自分が「誇れる事」って何だろう、と考える。 金は無いし、先の見えない非正規だし、恋愛経験皆無の童貞だし、性格に欠陥があるしと、一般的な三十代の中でも、かなり拗らせた不器用な人生を送っていると自負している今日この頃ではあるが、そんな人生でも唯一つ誇れるというか自信を持っている事がある。 「見てきた、聞いてきた、語れる演芸の量」である。 人に生まれて三十三年。何の因果か演芸の魅力に頭のテッペンまでどっぷりと浸かってしまい、気がつけば、この有り様である。 誰からも言

      • 今年出会えた本の事

        この1~2年でどういう訳か、自分でも驚くほど読書量が増えた。 もともと読書は好きな方ではあるが、それにしても増えた。演芸に関する本を中心に、今まで手を付けてこなかった小説に、エッセイ、果ては歌集まで、ジャンルを問わず読むようになった。 年々娯楽や楽しみが多様化している昨今、ここに来て「読書」が今、自分の中の娯楽の最上位に来ている。暇さえあれば、本屋や古書店に行き、自分の琴線に触れた本を躊躇なく買っては、寝食忘れて読みふけるなんて事がざらにある。いちいちテレビやパソコンの電

        • 芸を追いかけるのに、「遅い」なんて事は無い  柳家喜多八・笑福亭鶴志

          この時代に「お笑い」を、「演芸」を好きで良かったと思う事がある。 録音、映像媒体の発達は勿論の事、今やインターネットを使って、自分が見たいと思う芸を容易に探せて、簡単に楽しめる。実際にその場所に赴いたり、その時代に生きていなければ本来出会うはずのなかった芸が、媒体を購入したり、ネットを繋げるだけでいとも容易く眼前に映り、笑いや感動は勿論、時には予期せぬきっかけや産物をも与えてくれる。 「芸は、LIVEが一番。映像や録音は、その良さが10分の1も伝わらない。」ごもっとも、異

        1日だけ「漫才師」だった

          思考アトランダム 5月の記

          気付けば、暦は5月。 北海道では本格的に桜の季節を迎えた。 何はともあれ今年も身の上は変わる事なく、無事に桜を見届ける事ができた。その事実に安堵している反面、毎年の事だが桜を見ていると「愛でる」という感情と、「時間は着実に進んでいる」という現実に対する恐怖の感情が入り混じる。とりあえず、「これが大人になる事か」と無理矢理に納得して飲み込んで、マイペースに春という季節を噛む日々である。 前回のnoteから時間が経ち、また徐々に「書きたい」欲がふつふつと湧いてきたものの、特に

          思考アトランダム 5月の記

          気付けば、トリオばかり見ている

          はじめに タイトルの通りである。 暇ができると、テレビやネットで芸人のネタをあれこれと、息をするように見ている。見ていて怒りが湧き上がってくるほどセコい芸もあれば、今後の大成が期待できる芸まで、この国の「芸」の裾野は考えられないスピードで膨張し続けている事を日々実感している。そんな、あれやこれやと芸をつまみ食いしている生活を過ごしている内に、ふと最近の自分の中の、気障な言い回しだが「トレンド」のような物が出来上がっている事に気付いた。 自分がお笑いを見始めた時からトリオ

          気付けば、トリオばかり見ている

          思考アトランダム 2月

          気が付けば、暦は2月に移り変わっていた。 1月は、序盤は心穏やかに正月気分をのんびり過ごせたが、中盤から後半にかけては時間感覚という物は存在しなかった。「親を見送る」という一大イベント。「1人の人間が亡くなる」という非日常に、悲しんでる暇もなく葬儀の準備、後の手続きに振り回され、ようやく一段落して今度は「もういない」という現実に向き合いながら日常を生きなければならない。時間を味わう・愛でるなんて余裕を持てなかった。今は、有り余る悲しみが時間をかけてゆっくりと蒸発してゆくのと

          思考アトランダム 2月

          年末年始 思考アトランダム

          本当に今更ながら、明けましておめでとうございます。本年もこうしてマイペースに駄文を上げ続けていく日々を送るので、もし読んでいただける物好きの方がいらっしゃれば、お付き合いを願います。 年が明けてすぐ。「noteを書きたい・文章を書きたい欲」がふつふつと湧き上がってきたものの、肝心のテーマが全く浮かんでこない日々が数日続いた。年末に滑り込みで「錦鯉」について書く事ができたので、今のところ「この芸人、芸について書いてみたい」という欲は落ち着いている。でも、「何かを書きたい」とい

          年末年始 思考アトランダム

          錦鯉

          あの2人を知ったのは、いつ頃の事だろう。 一人の存在を認知したのは2004年頃だったと思う。NHK『爆笑オンエアバトル』(当時は『オンエアバトル爆笑編』)にハマっていた自分は、オンエアバトルの歴代出場芸人のプロフィールや戦歴を事細かくまとめたサイト「オンバトサポーター」なるサイトをほぼ毎日閲覧していた。数多の芸人達のデータが並ぶ中で、その芸人のデータもぽつねんと残されていた。自分が「オンバト」を見るようになる3年前、2001年に札幌大会で1度だけ出場していた。この当時はピン

          笑福亭鶴瓶って、何だ? ~「笑福亭鶴瓶落語会」札幌公演・見聞覚書~

          ※敬称略 何だかよく分からない存在、そして、その存在はこうしている間にも現在進行形で人智を超える進化を続けている。そうした存在を比喩する表現に「宇宙」をよく用いる。「宇宙」も、人知を超えた何だかよく分からない存在であり、そうこうしている今も膨張を続けている、らしい。未だかつて見た事のない表現をし、その表現や思考が現在進行形で進化を続けている表現者を表すという比喩としては、まさしくうってつけの比喩だと思う。 笑福亭鶴瓶は、「宇宙」か? 現在進行形で膨張は続いている。常軌を

          笑福亭鶴瓶って、何だ? ~「笑福亭鶴瓶落語会」札幌公演・見聞覚書~

          宮田陽・昇

          ハッキリと言える。自分は、宮田陽・昇に焦がれている。 宮田陽・昇。マセキ芸能社所属と同時に、漫才協会・落語芸術協会に所属する漫才コンビ。NHKの演芸番組や「笑点」の演芸コーナーなど、メディアへの露出はあるが、寄席や演芸場を主戦場する、いわゆる「寄席の漫才」。同じ「寄席の漫才」というと、まず最初に浮かぶ漫才といえば、ナイツだろう。だが、もし「好きな漫才はどちらか」と問われれば、自分は迷いなく「陽・昇」と即答する。ナイツも確かに面白い。問答無用に面白い。だが、自分はこの陽・昇の

          レッドブルつばさ ~縁に導かれた芸~

          合縁奇縁。 数千組の芸人がひしめき合う群雄割拠の時代。自分の好みの芸を、芸人を探すのは容易な事じゃない。アテも何も無く、ただ勘だけを頼りに、自分の好きな芸を地道に探してゆく方法もあれば、誰かがオススメしていたり、様々な媒体から「今この芸人が面白い」といった情報を仕入れて、それを頼りにする方法もあったり、芸人の数が増えるほどに、その芸に巡り会うプロセスは多様化を極める。 自分のお笑い好き人生を振り返ってみると、己の勘を頼りにする方法をとる事が殆どだった。必ずしもすぐに見つか

          レッドブルつばさ ~縁に導かれた芸~

          ライブ備忘録~8月26日から9月12日まで~

          かれこれ4年ほど前から、自分が行ってきたライブについてノートに記録をつけている。いつどのようなライブに行き、どのような演者がどのような演目をやり、どのような事を感じたかを書き溜めている。記憶と感覚の整理になるし、ときたま引っ張り出してきて、それを読みながら、芸への思い出を肴に酒を呑む。 世間がコロナ一色になる前に行った最後のライブは何だったか、ノートを紐解いた。2020年の1月11日に行ったコメディアン・清水宏のスタンダップコメディライブ。とにかく泥臭くて、その爆発的な熱量

          ライブ備忘録~8月26日から9月12日まで~

          トーキングブルース~古舘伊知郎は終わらない~

          ※初めに、今回の記事は2021年8月26日に札幌で開催された「古舘伊知郎 トーキングブルース」についての感想です。なので、かなりのネタバレを含みます。これから公演を見に行かれる方は、こちらの記事は読まないようお勧めします。まぁ、どうせこんな事言っても、自分の記事は読む人なんて殆どいないので意味ないと思いますが、注意喚起まで。 8月26日15時。古舘伊知郎トーキングブルース2021 札幌公演、終了。 どんよりとした厚い雲が札幌全体を覆っていた公演開始前の空が、嘘のような快晴

          トーキングブルース~古舘伊知郎は終わらない~

          黄金餅

          「落語」という芸に惚れて、気が付いたら15年以上が経った。いつから好きになったか、なんぞを勘定するのは人生で役に立たない事だし、野暮な気もするが、改めて勘定してみると「早いもんだ」と思う。 色んな芸を、色んな芸人を、色んな噺を見聞きした。どれだけ見聞きしたか、そんなのいちいち勘定していたら身も心も持たないが、世間一般の人生と比べたら、割と膨大な量を聞いているのではないかと自惚れている。しょうもない自惚れだが、これくらいしか誇れる物が無いのである。 一期一会の如く、一度聞い

          トメさんは気取らない

          「落語」と一口に言っても、五十数分から一時間超の長講から、十数分から十分を切る短い高座まで、時間の振り幅は大きい。前者は面白い噺は確かに面白く、聞き終えた時の充実感たるや筆舌に尽くしがたい物であるが、「今、自分は落語を聞いている」という感覚に浸れるのは、自分は間違いなく後者である。前者は「落語を聞いた」というより、そこを超越した「1つの作品を聞いた」という感覚に陥り、「落語」とはまた異なる段階の優越感を感じる。故に、長講を聞いた際、「落語を聞いた」という表現が、自分の中でどこ

          トメさんは気取らない