中田ダイマル・ラケット

パソコンを新調して2週間ほど。水を得た魚が如くYouTubeで動画を見まくっている。時世が時世だけに気軽に外へ赴くのは、なんか気が引けるし、生来「家に籠る」という行為が性に合っているんだと改めて思う。楽しい。とかく楽しい。

大学進学をきっかけに、自分専用のパソコンを持つようになって十数年。十代後半からの芸能へのカルチャーショックの殆どは、YouTubeがきっかけだ。YouTubeがあったから、ツービートに衝撃を受けて、紳竜に衝撃を受けて、志ん生に衝撃を受けて、談志に衝撃を受けて、枝雀に衝撃を受けて、シティボーイズに衝撃を受けて、イッセー尾形に衝撃を受けて…。YouTubeは自分にとって、数多の先人たちの芸を知る架け橋だ。PC新調をきっかけに、久しぶりに先人たちの芸を見直してみたが、新しい発見も沢山あって、これがまた抜群に面白い。その中でも、一層その面白みを再認識した先人がいる。それが中田ダイマル・ラケット。

中田ダイマル・ラケット、ダイラケ漫才、上方兄弟漫才の巨星、3秒に1回笑わせる漫才。漫才師が何千組と群雄割拠する昨今で、なんでこの漫才が評価が表立たないのかが不思議でならない。いや、一定の評価はあるけど、書こうとする人がいない、語ってくれる人がいない、いてもその場所を与えられないのか。いずれにしても、あの漫才に衝撃を受けた身としては、現在の埋もれっぷりは不憫に余りある。

初めて存在を知ったのは、地元の図書館で読んだ「ニッポンの爆笑王100」(白泉社)。そこに記されてた漫才「ジャンケン」(「僕の恋人」という漫才の一節)の内容のナンセンスっぷり、兄のダイマル師のボケの手数の多さに翻弄されまくる弟のラケット師の様が、文体から如実にイメージされた。「今の若手が当たり前のようにやっている漫才の形とセンスを、こんな前からやっている人達がいたんだ。いつか見てみたい。」と漠然とした興味が湧いた。

大学進学を機に、自分のPCを持つようになって、YouTubeが非常に身近な存在となった。あれこれ興味のある映像を探している内に、思い出したかのように「中田ダイマル・ラケット」と検索してみたら、あるわ、あるわ、映像、音源の数々。その中で選んだ漫才が「僕は幽霊」。ダイマル師とラケット師には結婚を考えている彼女がいる。しかし、この彼女は二人と二股交際をしていた事が判明。それが悔しい両師は、彼女に仕返しとして幽霊に扮して驚かせようとする、という漫才。それまで若手の漫才しか見たことがなかった自分にとっては、カルチャーショックの何物でもない衝撃を受けた。個人的に好きな「僕は幽霊」の序盤のやり取りを引用する。

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ラケ「近々僕は彼女と結婚することになったんや」

ダイ「結婚」

ラケ「はあ」

ダイ「結婚やめとき。結婚やめときて。」

ラケ「いや、僕があの女と結婚したらいかんのか」

ダイ「いやいかん訳やないけど」

ラケ「なんやねん」

ダイ「君が結婚したら、僕は君に祝いせなならんがな」

ラケ「いや、おかしな言い方すんな、おい。ほんなら君何か、その祝いすんのが嫌やからそないな事言うてんのかい?」

ダイ「いや、嫌な訳やないがな」

ラケ「別に、君にしてもらわんならんことないねんで」

ダイ「なんやねん」

ラケ「僕も交際が広いねやから」

ダイ「いや、まあそう言うな。いや、友人の君が結婚する。ぼくとしてはこれ黙っておれるか?

ラケ「ほな、してくれるか?」

ダイ「ほな、せないかんか?」

ラケ「どっちやねんな!」

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掛け合いの丁々発止が如きスピード感、フレーズのセンス、会話の内容、ダイマル師・ラケット師それぞれのパーソナリティの旨味が凝縮されている世界。他の誰も入り込める隙が一切ない、二人だけの空間が眼前に展開されていた。大きな話の流れの端々に、ダイマル師が突然笑って誤魔化したり、脈絡なく歌いだしたり、もみ合いになったり、ダイマル師の提案に呆れて、ラケット師が高座から逃げようとしたり、ダイマル師のギャグにラケット師が噴き出して崩れながら本気で笑ってしまうなど、ナンセンスかつスラップスティックな一挙一動が笑いに彩りを添える。

先に紹介した「僕は幽霊」、ダイマル師に孫が出来たが、その孫は自分の娘と自分の父親との間に出来た子と分かり、カオスな騒動が展開する「家庭混戦記」、ダイマル師の前職での武勇伝を、落語「弥次郎」よろしく滔々と語ってゆく「僕の漂流記」「南極探検」「アフリカ探検」、「僕は名医」「僕の健康法」「僕の農園」「僕の発明」「地球は回る目は回る」「恋の手ほどき」「僕の恋人」etc.残された漫才全てが傑作、全編に無駄が一切なし。漫才とは二人だけの空間で大勢の人々を笑わせ、魅了させる芸なんだと、この名人の芸を見て、改めて思い知らされた。技術、センスで言えば他にも名人上手は沢山いたが、ダイラケ漫才は圧倒的な「狂気」を味方につけている。

今の若い漫才師でダイマル・ラケットを知って、見ている人はどれだけいるんだろうか。この文章を読んでみて、少しでも興味が湧いた人は是非とも見てほしい。あの二人のテンポ、内容、リアクションは現代でも十分に通じるから。足元には全く及ばないのは当然にしても、少しでも、あの「狂気」のエッセンスを受け継いだ漫才が出てきてくれると良いんだが。

中田ダイマル・ラケット。自分にとって「漫才」の基準である。

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