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料理が苦手になった理由

子どもの頃は、料理に並々ならぬ関心があった。しかし、母はその萌芽を潰した感がある。

3歳の頃「お手伝いしたい」と台所に行ったら、天ぷらを揚げていた母に「小さい子がいると邪魔だから」と追い出された。

小学校3年の頃、近所で無料のパン教室を開催していたので、子ども一人で申し込み、手作りパンを持ってニコニコ帰ってきた私。(要は、オーブン販売の宣伝教室だったのだが)「オーブン買って」と頼んだが、母に却下された。

小学生ともなれば、少しずつ料理ができる同級生も増えてくる。そろそろ自分も料理を覚えたいと思い、母に申し出たところ「大きいのがうろちょろすると邪魔だから。私はひとりで集中したいから」とまたも追い出された。

じゃあ、母がいない時に台所を借りて食事の準備をすればいいか、と再度交渉にあたったが「私はどこに何があるかを感覚で覚えている。調味料の位置や、食材が変わっているのは耐えられない」とこれも却下された。

要するに、私は母から全く料理のスキルを学べずに、また台所仕事も一切させてもらえずに成人したのである。知人が「そろそろ娘も小学生だから、一緒に料理をさせようと思って」などと話しているのを聴くたび、普通のお母さんっていいなあ…と羨ましく思ったものだ。

父は「そりゃ、子どもが油をかぶったりしたら危ないから、お母さんの気持ちはわかる」と完全に母の味方だったので、私は孤立無援だった。

20代でひとり暮らしをするようになった私が、料理に目覚めたかと言えば――全く逆だった。すっかり料理が嫌いになっていた。

願いを邪魔された場合の心理。大きく分けて2つのタイプがある。
願望に執着し、延々と追い求める人。
縁がなかったと諦め、次に行く人。
私は後者だ。

成長期の貴重な十数年。ずっと妨害を受け続けてきたので、好きどころか、すっかり嫌気がさしていた。

還暦頃に料理に目覚め、ぐいぐいスキルを伸ばす男性がおられるが、多分その方々は、褒め上手・応援上手の家族や友人(又はフォロワー)等がおられるはず。やる気を何度もへし折られた私と、スタート時点が違うのだ。

「学びて時にこれをならう」。
やはり学べる時に、関心が高い時に、機を逃さず学ぶべきだ。「勉強なんていつでもできる」「本人のやる気次第」というが、年と共にやる気は消失していくものだ。
中には還暦過ぎて大学卒業を成し遂げる方もいて素晴らしいと思うが、レアケースを一般論に置き換えてはいけない。


料理が好きじゃない女性もかなりいると思う。でなければ「ズボラ料理」「時短キッチン」「料理が嫌になった人のための手抜き料理」の本が売れるわけがない。

また最近の私は(心臓弁膜症疑いのためか)歯みがきも座って行うくらい、立つのが疲れるので、キッチンに滞在するのは10分と決めている。その時間内でできるものは限られているが、特に支障はない。

あと…煮物のように味が染み込んだものは(血圧降下のために)食べなくなったし、ワンパターンでも自分の健康を守れるものをいただければいいや、と思っているのだ。

<今朝の食事:神やせダイエットメニュー>
・もち麦ご飯
・紫蘇入り卵焼き(卵2個・調味料なし)
・納豆(辛子・醤油なし)
・いちご
・ブラックコーヒー


母の日なのに、とほほな話題になってしまった。

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