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「選挙に行け」と言う前に

選挙、行きました。

誰に、どこに、投票するのか、国民審査についてはどうか。
僕なりに色々考えた上で投票しました。

その上で、「選挙は若者に希望を与えない」だろうとも思いました。

そもそも若い人たちが社会に対して閉塞感を感じたり、希望を見いだせない事と、政治にはあまり関係が無いと思っています。

だから若い人の投票率が上がって、今よりも若い人の意見が政治に反映されるようになってもあまり状況は変わらないとも思います。


アメリカに初めて旅行にいったとき、
初めてコミュニケーションを取ったアメリカ人から無視されて、
二番目にコミュニケーションを取ったアメリカ人からは金をだまし取られそうになり、
3番目にコミュニケーションを取とうとしたアメリカ人からは「アジア人は立ち去れ」と悪態をつかれたら、
「アメリカって最悪やな。二度と行くか。」
と思いますよね。


「アメリカにも良い人はいっぱいいるよ。運が無かっただけだよ。」と伝えても、実際の体験から得た印象を覆すのは簡単ではないと思います。

アメリカとの接点になった3人の印象がアメリカ全体の印象を決定づけてしまうわけなんですよ。


アメリカを「社会」に置き換えてみて考えてみましょう。

「社会」ってこういうものなんだと教えるのは、親、学校の先生、習い事の先生くらいでしょうか。

親が子どもにいうわけです。
「社会は厳しくつらいんだから、あんたみたいに甘い考えではうまくいかないよ。」

学校の先生も言います。
「そんな考えじゃ社会に出て通用しないぞ。もっとよく考えなさい。」

習い事の先生が言います。
「学校とか勉強ってつまんないよね。でもそれはそういうものなんだよね。今は耐えないと。」


どっかで聞いたことある感じですよね。

「社会」との初めての接点である3人からこんなメッセージを伝えられたら、
社会に対して良いイメージは持たないですし、
「大人になりたい」なんて思うわけないですし、将来に希望を抱く可能性も低いですよね。

しかも生まれてからずっと不景気で、メディアは不安を煽り続けている状況です。


社会に対して希望を持てず、不安を抱える中、
仮に選挙に行ったとして、どこに入れたらいいんでしょうね。


不安と政治が結びつくとポピュリズムに流れるのが歴史の常ですし。

選挙自体は大事だと思いますが、選挙に行くよりも前に、若い人たちにするべきことがあるという話です。

身近な大人が彼らに対して、「働くのは楽しい」「社会には課題もあるが、希望もある」「自分たちが社会を創り上げている」というメッセージを伝える必要があります。

民主主義の土台は選挙よりも前の段階にあって、今はそこが未成熟だよね、

という話であって、選挙の意義を否定するわけではないです。

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