第一話_大学生パロのようなもの。(落書き)

蔵沢の大学生パロのような話。続くかも。
二話目はこちら→ https://note.com/sugar_lump/n/na3fbb3290914


21/03/05追記:続いたので一話目に改題。なお全体タイトルは思いついたらつけます。
有料公開してましたが、二話目が出るので無料に変えてみました。

21/06/19:細部を改稿


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 美しい。
 この男の顔を見ていると、それ以外の言葉は消え失せる。贅を凝らした修飾語やら大げさな比喩やらは、虚しいだけで何の意味もない。美しいものには美しいとだけ言えばいい、この男のことは、他の何を引き合いにしてもどうせ語れはしないのだ。だと言うのに俺もいま、鬱陶しく足掻いている。たとえ彼そのものを言い表すことができずとも、彼がどれほど美しいかを誰かに分かってもらいたい。というより、多分、持て余してる。一人で抱え切れる衝撃でないから、逃がそう、誰かに押し付けよう、あるいは巻き込もう、としている。そう言ったほうが正しいだろう。
 さて、そんな美しい男と俺が今どこにいるのかといえば、美術館の中である。美とはなんぞやと頭を捻り、それを必死で表さんとした艱難辛苦の痕跡が所狭しと並べられた空間に美の〝具現〟がいるのは、何か相当な皮肉にも思え、実際周りの客はもはや絵など観ているどころではない。中には何かの企画やら、パフォーマンスアートやらを疑う声も聞こえてくる。当の本人はそれが聞こえないのか、努めて聞かぬようにしているのか、つまらなそうな表情を美貌に浮かべて絵を眺めていた。
「何が面白えのか分かんねえ。こういうの見て楽しいわけ?」
「まあな。面白くもないとこに一五〇〇円も払って来ねえよ」
「ふうん。まーなんか、こういう? めっちゃ上手い絵は分かるけどさ、」
 そう言って彼が指差したのは近世の写実主義絵画だ。
「あのへんのは何が楽しいわけ? 俺でも描けんじゃんとか思うわ」
 次にその指が遥か前方、90年代の抽象画を示す。言わんとすることは分かるがあまりに「典型的」だったので俺は笑ってしまい、しかし、そもそも美が「分かっている」人などこの世にいるだろうか、と思う。どいつもこいつも、分かった気になっている、分かったということにしている、そういう誤魔化しの不文律を踏まえて、何かを持ち上げたり貶したりしているだけのことじゃないのか。美醜なんて我の強い、声の大きい者ががなりたてたルールが、勝手に分類するだけの、その程度のものなんじゃないのか、——思ったそばから、隣の顔を見て俺は考察を引っ込める。結局、〝実例〟が全て。
「美しいってことには」実感を込めて呟く。「ある程度の普遍性があんだよ。その普遍に近づくためのやり方があれこれあって、ああいうのは全部、その試行の過程だ」
 あるいは反芸術といって、美をわざわざ否定するような方法を選ぶアートもあると脳内の自分が水を差したが、そんな話をこいつにしても仕方がないので黙っておく。第一当の本人が聞きたがるまい。世にいる大抵の人間は議論も講釈も求めてないし、聞かされたって気分を害するだけなのだと知ったのは大学生の頃だった。この男は顔面はともかく内面はすこぶる「普通の人」で、俺のような鼻つまみ者の話に興味を持ったりはしない。の割りに、俺の誘いを断らず、理解できないと言いながら俺の趣味に付き合ったりするのは、一体どういうわけなんだろう。
「蔵未ってさあ」彼は言う。「やっぱ、ちょい意味不明だな」
 俺は肩をすくめながら、お前に言われたくはない、と思う。


 自分で言うのは何だが俺も顔は整っているほうだ。それに気づいたのも学生時代だった。それまでは家が貧乏で出来のひどいメガネをかけていたのを、大学生になって家を出て、バイト代を自由に使えるようになって、利便性からコンタクトを使い始めたら瞬く間に自覚が塗り替えられた。初めはみんなして俺を担いで揶揄ってるんじゃないだろうかと思ったがどうやら違って、街中で見目を使った仕事に誘われることが増えたころ疑惑は確信に変わった。人間の感情や目論見はどうも複雑で、真意が把握できない。だが金が絡めば事は単純である。俺の見目が金になるのなら、それは資本主義社会において客観的な価値があるってことだ。親に散々罵られてきた自分の顔が美しいのだとは、家を出るまで知らなかった。
 自分が恵まれた、強者の立場にいることがわかると、世界の見え方が違ってくる。今まで自分が不当に押し込められていたことに気づき、急に視野が開けて、息がずっとしやすくなる。というより、酸素というのは本来これほど濃いものであったのかと、高山から街へ降りてきて慄くような心境だ。生きることに伴う様々な辛苦は、当たり前のものではなくて、避けようのあるもので、別に味わう必要はなかった。知らず識らず姿勢が良くなっていたようで、背まで伸びた。
 最前、親に散々顔を罵られてきたと言ったが、それが原因かどうかはさておき、俺は美しいものが好きだ。世にある美しいもの、それを写し取ろうとするもの、その努力の過程、知恵の結晶は、どんなものでも愛している(「美しい」の基準が自分と合わないものについては、残念ながらその限りでないが)。
 沢霧章吾と出会ったのは、大学二年次の後期、映画論の講義でだった。フランス映画についての講義で、趣味の欄に書けるくらいには映画をよく観ていた俺も三回に一度は寝通してしまうような内容だったが、レポートさえ適当に出せれば単位がもらえるというので、受講人数は多かった。章吾もそれを目当てにしていたクチだろう。いや間違いない。あいつは講義で取り扱った数多くの映画のうち、ただの一本も覚えちゃいなかった。
「なあ、お前、ミヤザキって知ってる?」
 夏休みを前にレポートの題材等が発表されて、講義が終わった、すぐあとだった。その講義は三限で、慌ただしく筆記用具を片付け食堂へ向かう物音が辺りをざわめかせていた。俺は聞き知らぬ声を訝しみ、やや眉を寄せて振り返る。そして呆気にとられた。
 〝美〟がそこにいた。鈍器で頭を殴られたような衝撃。脳裏は真っ白になった。
「宮崎、」だが奇跡的に、俺の口は勝手に言葉を継いでくれた。「劇部のミヤシゲなら」
 俺が所属する演劇部——実際は部活動ではなくサークル扱いだったのだが、いくつかある演劇系のグループのなかで最も有名だから、象徴的に扱われていたわけである——には宮崎がなんと三人いて、俺が交流を持っていたのは繁という名の宮崎だけだ。
「なる。劇部って宮崎ふたりいんの?」
「や、三人いる。あとのふたりのことはよく知らないけど。それでどちらさま」
「俺? 宮崎の知り合いのー、沢霧。沢霧章吾」
「はあ。なんか用?」
「お前蔵未だろ? 宮崎からよく頭いいって聞いててさあ、レポート手伝ってくんねえ? 飯おごるから!」
 出せてもサイゼだけど、と、美の象徴は人間みたいな声で、普通の若者のように話し、それが事実で自然なことなのをうまく受け止められない俺は、ほとんど睨むような目で彼を見た。ほうけたツラを晒すよりは、敵意があると思われたほうがマシだ。
「え、ヤなの? ヤならいいけど。マジメ?」
「堅物かって意味ならノー。優等生かって意味ならイエス」
「どゆことよ? 何が違うの」
「割りに合わないリスクを負ってまで規則を破るタイプじゃないけど、別に規則を重んじていて組織に忠実なタイプでもない」
「つまり……」沢霧はちょっと考えるふうに視線を漂わせ、「分かんねえ。何?」
「代筆は最悪バレると退学なんでやらないが、ノート見せてやるくらいなら考えてもいい。タダじゃねーぞ」
 本当は、共通の知り合いがいるだけの見ず知らずの人間にそこまでしてやる義理はない。だがこの男との縁が欲しかった。今まで同じ大学にいてこの顔を知らずにきたなんて、自分の迂闊さが呪わしい。
 沢霧は興を削がれたといった顔を見せたが、少し考えて肩をすくめた。
「んじゃ、まー、それで。オッケーってことで」
 連絡用にとアプリケーションを立ち上げながら、スマートフォンを差し出してきたその男の顔を、改めて見る。輝かんばかりの美貌……それが現実であることを、疑わざるをえないほどに。
 これほど明らかに異質なものを、周りが放っておくわけはない。演劇サークルのいずれかに所属していたなら流石に気づく。映画サークルにでも入ってるんだろうか? いやまさか。だったら講義で扱った映画の一本や二本、観ていていいはずだ。
「演劇の奴らなら大体わかるんだけど、君ちがうよね。どこのサークル」
「え? テニス」
 マジかよ。
「……へえ」
「あっいま一瞬で距離取ったっしょ、文化系ってこれだからさあ。偏見よ偏見。うちはちゃんとしてますー」
「でもコールとかするんだろ」
「コールはするけど」
「信じられない」
「般教(ぱんきょう)じゃんそんなの」
「何が般教だ。そんなもん基礎教養にされたらたまったもんじゃない」
 出会って数十秒、俺とこいつが全く違う生き物であるともう分かる。正反対だと言ってもいい。気が合うとはとても思えないしどころかお互い理解できないだろう。だがそんなことはどうでもいい。俺はこいつと親しくなりたいわけじゃない。顔を観たいのだ。
「まあ、いいや。いつが空いてるの」
「俺は今日でもオッケー。サークル休みだしさあ」
「俺も……今日は空いてるな。しばらく劇もないし」
「あそ? じゃあ行こうぜどっか。サイゼでいい?」
「いいけど。君はこのあと講義は?」
「イケる。出席たりるから」つまりはサボるということだ。
「俺はこのあと入れてないからいいけど」
「マジ? え、今日これだけのために?」
「いや。一限と二限も入れてる」
「一限入れてんの? バケモンじゃん」
「意味が分からない。どういうこと?」
「一限とかマジ起きれなくない? アリエンティーだわ」どこの紅茶だ。
「午後の予定空けときたいだけだよ。行くなら行こう、腹減った」
 ナップサックにルーズリーフとペンケースをしまい、タブレットを畳んで差し込む。立ち上がった俺を沢霧は一段高いところから見ていたが——フランス映画論の講義室は受講人数に合わせて大きく、全体がすり鉢状で七段ほどの段差があった。出入り口は一番下と一番上のそれぞれ両端、計四箇所があり、俺は上から二段目の席に座っていた形である——同じ高さに並んでも彼のほうが明らかに大きい。俺は自分より背の高い人間をあまり見ないから、少し驚いた。
「あれ? 蔵未って意外とでかい」彼のほうも似たことを思ったらしい。
「君のほうが大きいじゃない」
「でもほとんど変わんねーじゃん? 俺と変わんねえって割とでかいっしょ」
「まあ……君、何cmなの」
「こないだ測ったときは90?」
「……190?」
「うん」
「それは、」でかいな。「俺は184」
「なんか惜しい」
「は?」
「あと1cmじゃん」
「ああ……それ、よく言われる」
 出口へと足を進めつつ、自分がさっき会ったばかりの他人と普通に話せていることに、いささか戸惑いを覚えた。彼のほうから言葉が飛ぶから、それに合わせているだけでいい。間違いなく気は合わないのに話しやすいというのも妙だが、シンプルに彼のコミュニケーション能力がとても高いんだろう。興味のない相手に話題を振るとき、どうしたって俺はぎこちなくなるが、彼の場合は随分自然だ。あるいは本当に誰にでも多少の興味を抱けるのだろうか。それはそれで才能かもしれない。
「あ、ってか、『君』ってさあ。変じゃね?」
「変?」
「呼び方。お前とかでいいよ。っつかショーゴでいい」
「……あんまり人を名前で呼ぶ習慣がないから」
「じゃあ沢霧? なんでもいいけど『君』はないっしょ」
「そうかな」
「漱石みたいじゃん」
 近代文学的だということか。分からなくはない。というか、こいつ漱石なんて読んだことあるのか、漱石くらいはあるか、さすがに。それこそ一般教養(ぱんきょう)だ。教科書に出ている、——大体こいつは何学部なんだろう。
「じゃあ、……沢霧。もしかしなくても学部違うよな?」
「お前、文?」
「文」
「俺はねー国教(こっきょう)。キャンパスあっち」
 なるほど道理で見たことがなかったわけだ。俺は移動が面倒だから、中央キャンパスの講義はほとんど取っていない。そして彼がテニスサークルに所属していることも得心が行った。俺はテニスサークルにいるヤツのおよそ八割が国際教養だと思っている(残り二割は文構だ。言われるまでもなく偏見である)。
 文学部のあるキャンパスのほぼ目の前にサイゼリヤはある。顔見知りに会ってしまうのを避けたい気持ちがちらと過ぎったが、いま時期、演劇系の人間たちは「こっち側」に来てないだろう。劇がないなんてのは大嘘で、キャスト陣はそれこそ中央で連日稽古を詰めている。なぜ俺がそれに参加していないかは……やや複雑な事情がある。
 裏門を出たところで、ふと、沢霧が尋ねてきた。
「蔵未って劇部だよな? 俺付き合いで公演見に行ったことあるけど、顔見たことない」
「ああ、舞台には出ないから」
「なんで? イケメンじゃん」
「脚本担当なんだ」
「マジ? めっちゃ文学青年」
「文学部だしね。まあ、それほどじゃないけど」
「今回は違うわけ? 脚本だったら稽古見るでしょ」
 俺は軽く目を見張ってしまった。まさか演劇部のスケジュールを知っていたとは。つまりさっきの俺の発言が嘘だということはわかってて、それなのに聞いてきたのか? どういう神経かよく分からない。
「今回は特別」と、言うに留めた。「俺の脚本じゃない」
「へえー、そなの。俺この前の劇わりと好きだった」
「そりゃどうも。今回も面白いと思うよ」
「毎回書いてたんじゃねえの? パンフに名前あったもんな」
 だからなんでそこまで知ってて聞いてくるんだ?
「ちょっとね。今回は書かなかった」
「ふぅん。スランプとか?」
「うーん、……まあ。似たようなものかな……」
 正確に言えばスランプとは違う事情だが、人に告げるにはあまりにも愚かしい話で言いたくない。我ながら馬鹿げていると思うし穴があったら埋まりたいほどだが、仕方ないじゃないかと踏ん反り返る自分もいたりして、収拾がつかない。とにかく、他人に詳しくを語りたくはない。出会ったばかりのヤツじゃ尚更。
「そーなの。いろいろ大変そー」
 幸い、彼はそこで興味を失ってくれたようで、話はサイゼのメニューに移った。人に聞かれてミラノ風ドリアを真っ先に推すようなヤツはサイゼ好きとして信用しない云々という話を聞きながら、一方で俺はその自らのどうしようもない話のことを——なぜ今回書かなかったのかを——考えていた。そして、目の前でくるくる表情を変える美の化身を眺めて、手が、堪え難く疼くのを感じた。書かなかった理由は数分前、彼に出会ったときに消し飛んだ。昔のことなどどうでもいい。これがいい。これが、書きたい。

 彼を殺したい。自分の、筆で。

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