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わたしには母語がないのかもしれない

きっと誰も、産まれた時の記憶なんてない。

ただ、物心ついた頃の記憶は鮮明だ。私の場合、周りの全てが日本語<英語だった。努力で英語の天才になった勤勉な母と、人柄と忍耐力で大企業の役員になったコミュ力おばけな父。二人の共通点はバイリンガルなこと。

今思えば稀有な家庭かもしれない

テレビで流れるニュースは二か国語放送に設定されていて、リモコンの音声切替ボタンを操作しようとすると、いつも止められていた。今思えば教育方針のひとつだったのかもしれない。気がついたらヒアリング能力が少しだけ早く発達していた。

私のとなりの空き部屋には、いつも見知らぬ外国人が泊まっていた。一週間だけのときもあれば、半年一緒に暮らしたときもあった。近くの大学の留学生を受け入れる、いわゆるホストファミリーの役割を担っていたからだ。

ある夜、小学生の私がありもので作ったビーフシチューが食卓に並ぶことなく、すぐに冷凍庫行きになったことがあった。当時、となりの部屋に泊まっていた留学生がヒンドゥー教徒だったのだ。

「ごめんな、この人は牛肉を食べないって決めてんねんて。」

母にそう言われた時は「え、なんでなん!?」と速攻で返した。

幼い私が素直に疑問を抱いたのを確認したあとに、母はきちんと説明してくれた。しかし「私の料理を食べてもらえない」という急転直下な事実を受け止められず、ただただ子供らしく泣いた。今思い返しても、確認不足がすぎると思う。大人になり、大学で出会ったヒンドゥー教徒の人に「牛肉を食べる派 or 食べない派」だけじゃなく、細かくいろいろあることを学んだ。

他にも、お気に入りだったシンプルな十字架のネックレスをつけていた時、ウズベキスタン出身の留学生に「あなたは、キリスト教徒なの?」と質問されたことがあった。それから、十字架のネックレスは勉強机に封印した。その時も母に説明を受けた気がするが、当時の私には、初めてファッションセンスを否定されたように感じた。それから今まで、一度も十字架モチーフのものは身に付けていない。宗教上の理由は全くないが、どうしても当時のことを思い出すからだ。

留学生たちがくれた自己肯定感

「あなたの発音は、私よりもキレイね。」

ドイツ出身の留学生に、英語の発音を褒められたことがあった。

ただのお世辞だとしても、当時の私はとても嬉しかった。初めて、流暢な英語を話す両親に見合った子になれた気がしたからだ。いちいち母に自慢しては「良かったね〜。はいはい。」と言われるのが恒例になった。

その頃、どんな教科で良い点を取っても、担任の先生に「あなたのお父さんとお母さんは、おえらいさんやからね。」で片付けられることが嫌だった。両親も安易に褒めることを得意としないタイプだった。おそらく、そうやって自分たちも育ってきたのだろう。

唯一褒めてくれるのは、いつも留学生たちだった。テストの点数。料理の味付け。文字の書き方。真っ黒な瞳。ストレートな黒髪。ピアノの演奏。お箸の持ち方。洗濯物の畳み方など。どんなささいなことでも、いちいち驚いて褒めてくれる様子がおかしくて、楽しくて、嬉しかった。それらは私の自信になっていた。

長所と短所は紙一重?

ある日、両親を失った。留学生との生活も無くなった。時が経ち、母がかつて通った大学の入り口にある急勾配の坂を、私は赤いベースを背負って通うようになった。軽音サークルに入り、ベースやキーボードを演奏したり、歌うようにもなったのだ。そこで先輩たちに奇妙な指摘を受けた。

「なんでそんな喋り方なん?」
「その歌い方、曲と合わんからやめて。」

私は、気づかないうちに日本語が独特だったらしい。特に、サ行の発音がおかしかった。いわゆる「さしすせそ」である。どう足掻いても「し」は「shi」になってしまうし、ついでにタ行も得意じゃなかった。「わたし」がうまく言えずに「あーし」になっていた。総じて、かわい子ぶってるやら、外国人ぶっているのか、と無邪気に笑われた。

自分にとって個性だと思っていたことが、全部ダメと言われたような気持ちになったと同時に、とても悔しかった。私をこれまで支えて、時に褒めてくれた人たちに申し訳なかった。

そんな私のブロークンな日本語を生かして、あえて歌わせてくれた先輩や同級生もいたし、不器用で可愛いと愛してくれた変な人もいた。でも悩んだ末に、私は全てを矯正することにした。

大人になった今でも、所々ぎこちないし、サ行の風切り音は他人より明らかにうるさい。それでも、かなり自然になったと思う。

母語と母国語は違うらしい

先日「つたない日本語でごめんなさい!」と海外出身の友人に言われたときに、私は咄嗟に「私なんて英語どころか、日本語も正しく喋れてないよ〜!」と返してしまった。相手を困らせたのはもちろん、とても情けなくなって、自分のために今回の記事を書き始めた。

時々「あのままの自分で良かったんじゃないか?」と思う時がある。矯正を選んだことに後悔はないが、自分で母語を潰してしまったことに気づいたのだ。

母語=人間が幼少期から自然に習得する言語。
母国語=自分の属している国の言語。
※参考:母語-wikipedia

おそらく、地方から東京へ移り住んで、幸いにも多様性を受け入れるコミュニティに属することができたから、逆に不安が生じているのかもしれない。今の私は、強烈な個性の中で埋もれつつある。上には上がいるし、どこか欠けている人ほどカッコいい魅せ方を分かっている。それらを見聞きしていると、ふと寂しくなるのだ。これで良かったのかと。

この機会に、両親が今の私を見て、恥じることのない言葉を使いたい、と身が引き締まる思いになった。かつての私が発していた言葉も、大好きな地元の方言も標準語も全部日本語。大丈夫。自信を持ち直していこう。

そんな決意を、忘れられない今日という日に書き記しておきます。

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