音の旅

 どこへ行こう。アメリカか、スペインか、それとも。

 棚に並べられたCDの背を人差し指でなぞり、指を止めて一枚を引き出した。演奏者はラファウ・ブレハッチ。電源を入れていたプレイヤーにCDを入れ、七番を選んだ。

「ベルガマスク組曲」。ドビュッシーの代表曲である「月の光」は、この組曲の第三曲だ。けれどわたしは第二曲「メヌエット」がお気に入りだった。ヘ長調の明るい音調に軽やかなリズムが部屋に満ちると、ふわりと景色はパリになった。ベージュの土埃、少女の瞬きと少年の靴音。次々に変形し跳ねる音はときめきを、ふと小さくなる音はささやきと逡巡を、そして空に駆けのぼるメロディは、恋人に強く手を引かれてわたしの横を駆け抜けた少女の、赤く染まった頰だった。

 ああ、ドビュッシーはきっといい恋をしたのだろうな。だからこんなにも曲が世界を愛しているのだろうな。

 フランスの恋人たちを追いかけているうちに「パスピエ」の最終音が跳ね落ちて景色が閉じた。

 片道十二時間を要するドイツへのフライトの中でもっとも印象的だったのは往路に見下ろした大地だった――と思い出しながら、次のCDに入れ替える。エコノミーシートで軽く舟を漕いでいると、冷たさがわたしを呼んだのだった。空調のせいではないことにすぐに思い当たり、他に誰もいない三列シートの上を遠慮なく窓際に向かった。そして窓からそれを見た。

 果てしない灰色の上をうねる白いヘビ道。凍りついた大地に思わず見入った。次いで機内の表示で現在地を確認した。

 やはりそこはシベリアだった。

 ラフマニノフの前奏曲第一番、通称「鐘」。この曲を聴くと、そのことを思い出す。

 低く落ちる始まりのユニゾンはまさに凍てついた鐘の音だ。そこから呼ばわる主音はピアノを介して北の大地すべてを覆うように広がり、その遠くにかそけく、身を寄せ合う人々の吐息のように高音が降る。寒い。こんなにも心が凍え、だが燠火のように燃え滾り、そしてまた荒野に尽きるように終わる曲をわたしは他に知らない。

 演奏者はウラディーミル・アシュケナージ。作曲者と同じく祖国ロシアから亡命を余儀なくされた彼の音からはいつも、望郷というには余りある厳しい絶望が聴こえるのだ。

 どの曲も、必ずそこに彼らはいる。そこに風土がある。音はまさに景色であり人だった。

 ひとつ身震いをして、次へと入れ替えた。シューマンの「子供の情景」。「トロイメライ」はあまりにも有名だが、とくに好きなのは終曲だ。演奏者はクラウディオ・アラウ。

 十三曲からなる組曲であるこの曲は、吟遊詩人が紡ぐ物語だ。異国へといざなわれ行き交う人々に出会う。おねだりや鬼ごっこ、かくれんぼでひとしきり遊んだ子どもたちは、やがて暖炉のそばで吟遊詩人を囲むのだった。

 まどろみはじめた子どもたちにそっと詩人は語りかける。それはきっと古いドイツ語なのだろう。煉瓦の暖炉。揺れる木製の椅子。火の粉が散って音を立てる。橙色が影を生き物のように揺らした。

 最後の音が空気に溶け消えゆくのを追いかけるように目を閉じた。まなうらに暖炉の火が揺らめく。ロシアで凍えた心は完全に溶けていた。そっと吟遊詩人が扉を閉じる音が聴こえたような気がした。

 目を開けるとそこは、何も変わらないわたしの部屋だった。プレイヤーの点滅がおかえり、と言っているようで、思わず笑んだ。わたしは、ここにいる。

 うん、――ただいま。

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