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My Favorite Vocalist~(1980年代の)PANTA編。

 今日は久しぶりに大好きなベスト・アルバムを取り上げようとして、CDを通して聴いたり、そのアーティストの本をチェックしたりしてましたが、Twitterを見ていたら今日(2/5)がPANTAさんの誕生日ということを知って、急遽予定変更してPANTAさんについての記事を書くことにしました。
そんじゃ行ってみよー。

・パンタ「歴史からとびだせ」(JICC出版)

 私がPANTAさんの音楽にはまったのは1980年前後でした。
正確にはPANTA&HALの『マラッカ』と『1980X』の2枚のアルバムにやられてしまったのですが(ちなみに水道橋博士はツイキャスで『マラッカ』派とおっしゃっていた記憶が)。
雑誌「バラエティ」(角川書店)の鈴木慶一さんの対談連載にPANTAさんが登場して、これは聴かなければいけないと直感が働いたのでした。
最初は『1980X』の方を先に好きになって、『マラッカ』はもう少し後だったような。。

 多分、それに林美雄さんのパックインミュージックの人気コーナー「ユアヒットしないパレード」で「ルイーズ」をレコード買う前に聴いたのが大きいですね。

 私が中学生の頃~1981年に、PANTAさんは問題と呼ばれるアルバム『KISS』を発売したのですが、「ミュージック・ステディ」が創刊(つまり新生号にしっかりインタビューが掲載)された時期でしたし、頭脳警察の『頭脳警察セカンド』が再発された時期でもありました。
『KISS』はシングル・カットされた「悲しみよようこそ」以外の曲は良さがわからなかった印象が強いんですよね(すみません)。
「ミュージック・マガジン」に「パンタ元にもどれ」の記事が掲載されたり、なんかすごいことになっているなと思った記憶があります。
これは見届ける必要があるなと友達と話してみたりもしましたね。

 1982年、高校に入ったばかりの時、シングルとして発売されたのが「レーザーショック」で、夏にはアルバム『唇にスパーク』が発売されたんですけど、これがとにかく好きになった私です。
アルバムの半分くらいの編曲が伊藤銀次さん(残り半分は矢野誠さん)ということで、銀次さんの当時スタジオ・セッションに参加していた白井良明さんがギター、当時EXの奈良俊博さんがベース、キーボードが岡田徹さんの顔ぶれ(ドラムスは上原裕さんと鈴木さえ子さん)で録音されてます。
「歴史からとびだせ」によりますと、「レーザーショック」はCM曲だったので、某大手自動車メーカーから何人もプロデューサーがやってきて、好き勝手な注文をするから、PANTAさんより先に銀次さんがキレてしまったとか。。

 1983年にはアルバム『浚渫~SALVAGE』が発売され、所謂スィート路線は終了してしまったのでした。
ま、それはともかく、このアルバムからPANTAさんのライヴ及びレコーディングのサポートをするバンド・メンバーがほぼ固定されたんですよね。
ベースはPANTA&HALにも参加していた中谷宏道さん、ドラムスは西山嘉治さん、キーボードは元T-BIRDの中山努さんにギターは鈴木匠さんという顔ぶれでした。
1987年頃にギターは鈴木匠さんから菊池琢己さんに変わっただけで、1980年代半ばから1980年代終わりまでPANTAさんのサポートを続けたわけです。

 PANTAさんはその後、『16人格』、『反逆の軌跡』、『R・E・D』と強力なアルバムをリリースし続けてまして、1987年には『クリスタルナハト』をついに発売します。

・PANTA『クリスタルナハト』(HYCA-4016/ハヤブサランディングス)

 『クリスタルナハト』の構想自体は『1980X』の時点で既に存在していて、ライヴ・アルバム『TKO NIGHT LIGHT』収録曲「フローライン」にはアルバム『クリスタルナハト』からとクレジットする予定だったと伝えられています。
アルバムの構想から7年経って発売されたということで、関連作品としてアルバム発売前には12inchシングル「プラハからの手紙」やアルバム発売後にビデオ版『クリスタルナハト』が発表されています。 
ギターの菊池琢己(元ウェルカム)さんがライヴ及びレコーディングに参加するようになったのはこの時期からですね。
そして、『クリスタルナハト』の曲にはソロの曲よりも頭脳警察時代の曲の方がフィットするということで頭脳警察のレパートリーをライヴで取り上げる機会が増えてきたわけなのでした。

 この時期、はちみつぱいがライヴをするということで、鈴木慶一さんが頭脳警察に出演のオファーをしたのですが、PANTAさんの体調などで実現しなかったのです。(ただ、決定前にあがた森魚さんの会報に?付きでしたが、そのニュースが載ったことを付け加えておきます)

・PANTA『P.I.S.S.』(HYCA-4017/ハヤブサランディングス)

・ロックンロール酒場Ch (インタビュアーは丹野創輔さん)

 PANTAさんはこの少し前からイベントTHE COVER SPECIALなどでザ・ルースターズの下山淳さんや花田裕之さんと交流がありまして、彼らのラスト・アルバム『FOUR PIECES』に下山さんから歌詞の依頼をされ、「鉄橋の下で」と「曼陀羅」を書いてます。

 その流れもあって、PANTAさんのバンドに花田裕之さんが参加してアルバムを制作することになったんですね。
当初は花田さんがゲストで加わって「鉄橋の下で」や「Drive All Night」ではヴォーカルを担当する形でした。

 花田さんはアルバム制作途中と推察させるLIVE INN(1988年12月)でのライヴでは完全にバンド・メンバーの1人として存在していて、特別に紹介された記憶がないくらいです(ちなみに歌詞カードのPANTAさんとバンド・メンバーの写真はその時撮影されたもののはずです)。

 「PISS」、「TAMBOURINE」、「蝗がとんだ」の作曲は花田裕之さん、「タイムカプセルの中で」は菊池琢巳さん、「フェロモンの誘惑」は西山嘉治さんとバンド・メンバーの曲が収録されていたり、ゲスト・ヴォーカルとして「ONE NIGHT LOVER」に松原みきさんが参加しています(松原さんがゲスト参加したライヴはクアトロだったか?)。

 その後、1990年には頭脳警察が再結成されたことで、PANTAさんを中心にしたバンドは消滅してしまったわけです。
中山努さんがシーナ&ロケッツのサポートをしたり、中谷宏道と西山嘉治さんがシナロケの正式メンバーになったりと、シーナ&ロケッツとの因縁としてこじつけることができそうですが、今回はこの程度にしておきます。

 あ、あと告知が出ていた「定本頭脳警察」は再結成前の時点のものは完成されていたと聞いた記憶があるので、追加取材して発売してほしいですね。
無理なら完成している部分まででもいいので、ひとつご検討よろしくお願いいたします。

 まー、長くなりましたが、PANTAさん誕生日おめでとうございます。
とりあえずまだまだ書きたい話は山のようにありますので、忘れないうちに書きますね。

 ではまたー。


 

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