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村松邦男30周年~2006年2月10日のイベント。

 今から16年前の2月10日、下北沢mona recordsで村松邦男さんのイベントがあったのでした。というか、私も主催者の一人ですが。

 確か2005年のG.W.に原宿Blue Jay Wayで村松邦男さんが出るイベントがあったんですよ。
高校生の頃から村松さんのソロ・アルバムがとにかく好きだったので、かなり張り切って行った記憶があります。
 
 確か前半は長門芳郎さんと村松さん、ポプシクルの木崎義二さん出演のトーク・イベントだったはずです。
後半に村松さん、安部OHJI隆雄さんに森慎之介さんの演奏かあったんですよ。
そこに野口明彦さんが飛び入りして、「ためいきばかり」と「AND JOHNNY COME HOME 」は4人でやったんですね。
ライヴ終わってから村松さんのベスト盤にサインをもらって帰ったら、帰りの電車で後に開催するイベントの主催者のえみりいさんと知り合って、私撮影の画像をメールした記憶があります。

 それでメールのやりとりしてたら、私がイベントをやったことがある話になって、村松さんのイベントをやろう!ということになったんですよね。

 村松さんと直接のやりとりしていたのはえみりいさんだったので、実は10月のイベント出演交渉まで顔合わせも何にもしてなかったのでした。
 顔合わせ当日(10月中旬?)は村松さんとマネージメントをしていた松山さんと打ち合わせをして、途中からイベント出演&会場のmona recordsの店長だった行達也さんが合流して2月10日にイベント開催が決まったのでした。

 11月には長門芳郎さんと土橋一夫さんのラジオ番組「夢街名曲堂へようこそ!」の公開録音があって、そこで伊藤銀次さんのインタビュー撮影をしたのでした。
確か、最初は音声のみの収録予定だったのが、えみりいさん所有の機材を使って本番終了後に映像込みのインタビューになりました。
メチャクチャ緊張するかと思いきや、それほどでもなく、かなり面白い内容になりました。
長門さんにもビデオ出演と考えていたら、村松さんから「長門くんなら出てもらえばいいじゃん」と提案されて、ただ12インチ盤を売り切るくらいはしてほしいと言われたような。。

 この日、安部OHJI隆雄さんと初めて話して、安部さんがいたBoy's CLUBのファンだったとか話して、ビックリされたのでした。
例の「ミュージック・ステディ」の「ポップス宣言」で取り上げていて、シングル盤を買ったのです。

 その直後、行さんがラジオのレギュラーで札幌に行くことになり、イベント当日の出演は不可能になったのでした。
代打にはフカミマドカさんが行さんから指名されて、その経緯を含めて私が村松さんや松山さんに説明したんですよね。

 そんなこんなで年が明けてしまってから、mona recordsに予約状況を確認したら、あまりよくない感じだったので、急遽サエキけんぞうさんのコメント収録したりしてますね。
これはイベントを手伝ってもらっていたクドウハルヲ氏のセッティングでした。
実はこの日は体調が最悪で、集合場所のタワーレコード新宿で数十分気絶してしまいました。。
その後、合流してコメント収録を終えてからは体調がある程度は戻っていましたから、緊張もあったんでしょうね。。

 もう一押しと思いあるゲストのブッキングを依頼したら、NGでした。同日、他のイベントに出演が決まっていたそうで。。

 この日は他にパール兄弟の復活ライヴがあったり、動員に苦労したのはその辺の理由があったのでした。

 結局はネット・スプラウトでも予約を受付していて、まずまずの動員となりました。

・イベントのフライヤー(アサヒラフミヒコさんデザイン)と全員プレゼントのポストカード。
画像をタップすると、村松邦男さんの紙ジャケットCD再発に関するエピソードを読むことができます。

 予定より長くなってしまったトーク部分とR・O・M・Aの初ライヴは充実した内容になりました。
ま、私の司会はあまり評判がよろしくありませんでしたが。。
でも、16年前の私は頑張って、そこそこ結果を出せたので、よし!とします。

 ここには書けない色々もあって、書きながら色々思い出して、現在冷や汗を流しています。
多分、関わった人にはそれぞれの視点があるので、これは事実に反するという箇所があるかもしれません。

 えー、イベントに関わってくれた皆さま、来てくれた皆さま、気にしてくれた皆さま、ありがとうございます。

 ではまたー。

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