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悲しいしらせが次々と~追記あり。

 昨日はたまっていた録画番組やDVDを見ようとしていて、午前中はなんとかブレッド&バターの2枚組を見ることがができたんですよ。
午後に入ってからだったかな?フィルムスの赤城忠治さんがどうやら亡くなったらしいとTwitterのタイムライン上を見ていて知ったんですよ。
フィルムスやクレバー・ラビット大好きでしたし、星くず兄弟の伝説に入っている赤城さんの曲も最高でしたからね。
かなり動揺してしまったわけです。
とあるアルバムの再発用の資料として探した雑誌の写真を使ってみました。
どの雑誌の記事かお分かりになった人は偉いです。正解は覚えていたら発表します。

 こんな記事を書いてますし、「ミュージック・ステディ」~「Chart」~「POP IND'S」に入れ込んでいましたから、赤城忠治さんは特別な存在だったかなわけですよ。
シングル・ヒットは存在しないけど、洋楽に影響を受けた独自の音楽を作っていた人でしたし、多くのミュージシャンと活動を共にしていた人ですからね。

 そんなこんなで動揺していたら、Twitter公式のアカウントでPANTAさんが亡くなられたことを知ったのは夕方だったかな?
えっ?PANTAさんはライヴに出たばかりだったじゃん?信じられないのが一番。
でも公式だし、直接連絡はしないでほしいなというのが、あまりに強調しすぎに思えたのもありましたが。。
まー、それは体調回復までは仕方ないと思っていました。

 正直、ライヴに出演したことでマイペースに活動再開すると思い込んでいました。

 年末にはP.K.O.のアルバムが出るものとばかり。。
そんな締め方をしていますね。
PANTAさんと直接話したことないんですよ。ライヴはかなり観ていますが。
この点は鮎川誠さんと一緒ですね。
だから勿論悲しいけど、実はこれまでと同じように作品に接することができるかもしれませんね。。

PANTAさんのライヴには割と通ったので、Twitterで紹介したエピソードをふたつここでも再現します。
PANTA KEIICHI ORGANIZATIONつまりP.K.O.のライヴで「くれない埠頭」を演奏し終えて、PANTAさんが満面の笑顔で「慶一、これいい曲だな。今度ソロ(のライヴ)でもやろうか考えているんだ」と。
慶一さん少し複雑な笑顔で「これ、弟(鈴木博文さん)が書いたんだよ」と答えたのでした。
PANTAさんはビックリしてなんとかフォローしようとしたのでした。
その10年以上後にムーンライダーズの野音でのライヴにPANTAさんがゲスト出演した時歌ったのが、その「くれない埠頭」だったのです。

 1988年12月のLIVE INNでのPANTAさんのライヴに鈴木慶一さんがアンコールで登場。
ちなみにその日はアルバム『PISS』のレコーディング中のライヴだった模様で、花田裕之さんも含めたメンバーの方々はアルバムの写真はその日の衣装で写っています。
「あやつり人形」でヴォーカルに慶一さんが参加していたところ、酒瓶が回ってきてしまったわけです。
私は下戸なんで口つけて隣の人に渡すつもりが、(当然面識のない)その隣の人が瓶を持ち上げたんですよ。なんてことをしてくれたんだ。帰りの井の頭線でグダグダになってしまった私です。
まー、それでもライヴのことはハッキリ記憶に残ってますけどね。

 それはともかく、P.K.O.をようやく手にいれられたのも、何かの縁だったのかな?とも。

 お二方にはR.I.P. に尽きます。
もうひとつ、素晴らしい音楽をありがとうございます。

 ではまたー。

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