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夫がしてくれた3つめのこと【子どもと遊ぶ・闘う】

「いい夫婦の日」まで、夫がしてくれたいろんなことを振り返ってみる企画。3本目です。

学生時代から付き合ってきて、一番大きく変化したことといえば、やはり子どもが生まれたこと。いまだに、お互いが二児の親であることにいまいち慣れず、ほんのり面白みを感じています。

■子どもの扱いがうまい

単純に彼のパーソナリティといってしまえばそれまでなのですが、夫は子どもの扱いが上手です。子どもの下手な迷路やお絵描きにも根気よく付き合うし、プラレールやブロックもまめに組み立てる。抱っこや自転車、かけっこなど、身体を動かす遊びもきちんとこなします。

でも、おそらく「子どもと遊ぶのがすごく好き」というわけではありません。家族のタスクのどれをやろうかと考えて、そのときの最適解である「子どもと遊ぶ」を遂行してくれているだけなのだと思う。もちろん、根が明るい人だから、遊び出せばその遊びをちゃんと楽しむこともできます。

赤ちゃん時代にミルクやおむつ、抱っこを分担してくれるのもすごく助かっていたけれど、幼児と遊ぶことって、お世話とはまた別の筋肉を使います。そして、せっかちで根気のないわたしは、結構それが苦手です。だから、そこをごりごりに担当してくれる夫の存在が、余計にありがたい。

たとえば、長男はこどもちゃれんじをやっているのですが、毎月届くワークブックがなかなか曲者。まだ文章がいまいち読めないため、横にぴったりくっついて本文を読み、ワークの内容を説明するなどのサポートがいるのです。間違い探しや迷路、運筆などの簡単なワークなのですが、やる気満々でテンションが上がっている長男は、「どうやるの?」と尋ねてくるくせに、こちらの話がまぁ耳に入りません。なので、何度も説明を繰り返し、ルールを理解させるのが一苦労……。

それも、毎月だいたい夫が辛抱強くやってくれています。まれに私がやると「えっ、ワークやってくれたの!?」と驚かれたりして。たまにはやるわ!

そんなこんなで長男もなんとなく「遊び相手はおとうちゃん」「くっついて甘えるのはおかあちゃん」と、役割を分けて見ている気がします。

手先が器用なので、子どもの壊したおもちゃをぱっと直したり、段ボールで電車や車をつくったりしてくれるところもいいですね。

これは西武鉄道のラビューをつくっているところ。サランラップの芯を操作レバーにするという、芸の細かさです。

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こちらはベンツ。ハンドルが微妙に立体的です。(夫が記事の下書きを読んで「これ、そんなにクオリティ高くないけど載せていいの?」と心配していました)

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■「おかあちゃんがいい」に、あきらめない

もうひとつ、子育て絡みで感謝していることを思い出しました。夫は、子どもが「おかあちゃんがいい」「おかあちゃんじゃなきゃダメだ」という態度をとっていても、決してあきらめません。

たとえば、わたしが抱っこしたとたんに泣き止むであろうときも、わたしが食べさせればすんなり食べるであろうときも、めげずに抱っこや食事の介助をやり続けます。「ここであきらめたら、舐められるから」と不穏なことを言いながらだけど、子どもが泣き疲れて眠るまで、彼はいつまでも抱っこでゆらゆらし続ける。これは子どもたちが新生児のときからいまに至るまで、ずっと変わらないスタンスです。むしろ、わたしのほうが子どものギャン泣きを聞き続けることに疲れて「あの……代わろうか?」と言ってしまいがちだったりして。

最初のうちは闘いだけど、最終的にはいつもかならず、子どものほうがあきらめて寝てきました。そうやって粘り強く挑戦&完遂してくれるからこそ、わたしはいつでも安心して現場を離れられる。そしてその積み重ねが、夫婦の信頼関係だけでなく、父と子の信頼関係につながっている気がします。

単純にその日いちにちの寝かしつけや食事の話だけではなく、きっと「母親にしかできないこと」「父親にしかできないこと」「特定の誰かにしかできないこと」なんて、なるべくないほうがいいんですよね。どんなタスクも、みんなでシェアすれば負担が軽くなるのは当然。子どもが私だけを求める場面はしばしばあるけれど、その愛と要求に乗っかってタスクを振り分けると偏るばかりだから、ときに子との激闘を挟みつつ、夫は私からタスクをぶんどっていってくれるのでした。いつも闘ってくれてありがとう。

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