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aikoとカブトムシと死について

「カブトムシ」は言うまでもなくaikoを代表する曲だ。

Spotifyでaikoの楽曲の中で最も再生されており、2番目に再生されている「青空」と比べても倍近い差をつけている(2020年7月現在400万回再生以上)。

aikoと言えば「カブトムシ」。aikoをあまり知らない人であればそういった印象を持つ人も少なくないだろう。

しかし、私は「カブトムシ」はaikoの楽曲の中で特殊な位置にある曲だと思っている。

もちろん「カブトムシ」はaikoを代表する曲だ。その点は疑いようがない、

その上で「カブトムシ」がaikoを象徴する曲、THE aikoと言える曲かというと私はそれはかなり難しいのではないかと思う。そのキーワードのひとつが「死」だ。aikoの「カブトムシ」の中には「死」があるのだ。


宇宙に靴を飛ばし、何処へでも行く

カブトムシの説明に入る前に、aikoについて語らなければならない。

aiko、それは宇宙まで靴を飛ばせるし(ボーイフレンド)、はねた後ろ髪で空を飛べるし(ジェット)、何億光年向こうの星も肩に付いた小さなホコリも見つけることができる目を持っている(アンドロメダ)、そういう存在だ。

もちろんこれは歌詞の中に出てくる世界だ。

本来のaikoはこういった超人的な力は恐らくは持っていない。しかし、aiko(歌詞のなかでは"あたし")の身体は”あなた”を思うことで、どこまでもその可能性を拡張させていく。

そして、これは身体だけではない。aikoの想像と妄想もどこへでも旅をする。

宇宙にだって行くし、夢の中にだって行くし、過去にも未来にも行く。何処へでも行くのだ。

しかし連絡がないな ずっと待ってるのも堅苦しくなってきた
想像は宇宙をも超えるな あなたの隣に誰も居ません様に
(冷たい嘘)

"あたし"の"あなた"を思う力(想像や妄想)はプラス方向にもマイナス方向にも無限大に広がっていく、そのように思ってしまう。

しかし、そこで「カブトムシ」だ。

「カブトムシ」は、ときに苦しく、ときに楽しい想像と妄想に限界があることを残酷にも示すことになる。


カブトムシ、唐突の死

「カブトムシ」の一番、唐突にこのような歌詞がある。

あなたが死んでしまって あたしもどんどん年老いて

"あたし"は想像する。それは宇宙や夢の世界ではない。確実に絶対にいずれは訪れる未来だ。

あなたが死ぬこと、そしてあたしも老い、いつか死んでしまうこと。そのことをあたしは考える。

そして、想像の限界が訪れる。歌詞はこの後このように続く。

想像つかないくらいよ そう 今が何より大切で

aikoはここで、”あたし”や"あなた"が不老不死になるとか、アダムとイブになるとか、そういった方向に想像を進めることはしない。

宇宙をも超える想像ができるaikoだ。

その気になれば、不老不死とか3次元を超えた世界とか、あなたとあたしが新世界の神になるとかそういった想像で死を無効化することも恐らくはできるだろう。しかし、aikoはそれをしない。一曲としてそういった方向に進んだ曲はない。

あなたはいずれ死ぬし、あたしもいずれ死ぬ。ここにひとつの想像の限界を定める。

そして、だからこそ「今が何より大切」だと考える。

死という限界から目を背けずに、限界を認めた上でどのように生きて、どのようにあなたに向き合うのか。私はaikoのすべての楽曲にはこの根底があるような気がしている。


繰り返されるあなたとあたしの「死」という限界

「カブトムシ」の二番はこのように始まる。

鼻先をくすぐる春 リンと立つのは空の青い夏
袖を風が過ぎるは秋中 そう 気が付けば真横を通る冬

春夏秋冬、1年の月日の流れの早さを描写している。自分をカブトムシに見立てたサビがフォーカスされがちだが、この四季の流れの表現も本当に素晴らしいといつも思う。

ここでも四季の流れの早さ、即ち背景にはいつか訪れる死が想起される。

このように「カブトムシ」では直接的な表現でなく、いくつかの箇所に死が潜んでいる。また、そもそもカブトムシ自体も冬を超えて生きていくことができない短命な虫であり、タイトルから既に死を内在している。

いつかは死んでしまうあなたとあたしが何度も繰り返し印象付けられるが、もちろん「カブトムシ」はこのままでは終わらない。二番の続きの歌詞を見てみよう。

強い悲しいこと全部 心に残ってしまうとしたら
それもあなたと過ごしたしるし そう 幸せに思えるだろう

あたしは幸せを見出す。それは、あなたとの時間や記憶、出来事……、あなたとのすべてだ。強い悲しいことであっても幸せだと感じられるのだ。

なぜ、あなたとの全てを幸せだと感じられるのか。それは二人の時間が有限だからだ。

もしも、あたしとあなたが無限の命を持っていたら、強い悲しいことを幸せだとは思わないだろう。あなたといた時間では、楽しいこと、面白かったことだけが記憶に残るはずだ。時間が有限であることによって、辛い時間、苦しい時間でさえも愛おしく大事な時間になる。

もちろん私たちは普段生きている時に、嫌なことや苦しいことを幸せに思うことは簡単ではない。そんな私たちでも、”あたし”が命の有限性に気づいて「あなたといる全ての時間」に幸せを見出している心境については理解ができるのではないだろうか。

こういった感情は大切な人と過ごす上でひとつの境地とも言えるだろう。しかし、ここで終わらない。ここからがカブトムシの出番だ。


「あたしはかぶとむし」

「カブトムシ」の一番のサビはこのようになっている。

少し背の高い あなたの耳に寄せたおでこ
甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし

非常に有名な歌詞なので多くの人が一度は聞いたことがあるのではないだろうか。

改めて「あたしはかぶとむし」と言い切っている点に注目したい。短命で、冬を超えられないカブトムシとあたしを重ねている。

カブトムシがどの程度死を自覚して生きているかはわからない。わからないが、恐らくカブトムシは人間のように命の儚さを嘆いたりはしないのではないかと思う。

とは言え、私たちも日常的にはカブトムシと大差ない存在だ。”あなた”(恋人)に寄り添うことで安らぎを与えてもらう。そういった時間に死を考えている人は稀だろう。

しかし、ここにいるのは死を自覚している”あたし”としてのかぶとむしだ。
だから、その瞬間にあるのは幸せだけかというとそうではない。1番と2番の歌詞を続けて紹介したい。

1番

流れ星流れる 苦しうれし胸の痛み

2番

琥珀の弓張月 息切れすら覚える鼓動

この瞬間の"あたし"は嬉しいだけでない。苦しいのだ。息切れを起こすほどの感情があるのだ。それは、あなたと過ごす幸せな時間がいつかは終わるものだとどうしても想像してしまうからだ。

有限だから幸せ、そういった結論だけでは割り切れないあたしがいる。あたしだって本当は、あなたとの時間がいつか終わってしまうことが苦しいのだ。嬉しさだけでなく、息切れを起こすほどの苦しさがあるのだ。

しかし、矛盾するようだが、だからこそより今この瞬間での幸せが感じられる。

カブトムシのサビは1番も2番もこのように終わる。

生涯忘れることはないでしょう
生涯忘れることはないでしょう

この歌詞が繰り返される。

そしてカブトムシという曲は繰り返される「生涯忘れることはないでしょう」で終わる。

あたしは、あたしの人生にあなたとの「今この瞬間の時間」を刻み込む。それはいつかあなたが死に、あたしも死んでしまったら無に消えてしまうものだろう。

しかし、”aiko”はその事実を想像で乗り越えようとしないし、むしろ直視し続けている。aikoが織りなす”あなた”と”あたし”の物語は、こういった「カブトムシ」的想像の限界を前提に成り立っている。

aikoは日常の些細な風景や出来事の多くを楽曲として残している。

出の悪い水道、そっちで鳴ってる救急車、古いビルに沁み込んだ雨、逆さににした少し気の抜けたサイダー、大きな網のゴミ箱、洗面所に置いてあるガラスのコップ、あそこのボーリング場……。

何気ない一瞬や風景をaikoがこれほどまでに紡げるのは、aikoが日々を「生涯忘れることはない」ものとして大切に大事に生きているからかもしれない。

そして、楽曲となった"あなた"と"あたし"の時間は、命の有限性を超えることになる。もっと先の未来の、遠く遠く誰かのもとへ届くかもしれない。"あなた"と"あたし"の時間は作品として生き続ける。

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