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「ナントの敗戦」を振り返る(3):ドロップゴールの選択を考える

 ラグビーワールドカップが終わって1週間。
 これまで、2回に渡って「ナントの敗戦」こと日本対アルゼンチン戦を振り返ってきました。

 27-39の12点差で敗れた試合ですが、これまで見てきたように、22mラインを越えた数も、キックによる前進の数も、日本が勝っていました。アルゼンチンは、ダイレクトタッチや、デッドボールラインを越えてしまったロングキック、そして10mサークルオフサイドのように、大きなミスをいくつも犯していたにもかかわらず、最後は12点差で勝ったのです。


プレー選択を振り返って検証する

 結局何が勝敗を分けたのでしょうか。「アルゼンチンの巧みな試合運び」というのは簡単ですが、私はそれだけで片付けたくはないと思います。なぜならば、「試合運び」とは、実際にはその場その場の選手たちの選択の蓄積だからです。
 ラグビーでもサッカーでも、監督やコーチが選手のプレー選択をいちいち指示することはできません。流動的な状況の中で適切な判断をできるようにすることを含めてコーチングやトレーニングやチームマネジメントということになります。もちろんラグビーボールは「楕円」ですから、バウンドの運によって勝敗が左右されることもあります。しかしその前に、コーチ陣の準備があり、現場での選手たちの選択があります。この選択は、事後であっても、あるいは事後にこそ分析すべきだと思うのです。

 こういうことについては批判もあるでしょう。選手たちの選択を、試合後にファンが部外者の立場からああだこうだ言うのは簡単だからです。そして何より、「一番悔しいのは選手自身」だからです。
 けれど、コーチ陣のチームデザインや、選手たちのプレー選択について、批評や評論は必要だと思います。その中には的外れなものもあるでしょう。しかし、事後に振り返って検証することこそが、進歩のために必要だと私は信じます。「ロストフの14秒」のあとで、相手のキーパーから素早いスローを許さないことの大切さが、世代を問わず日本のサッカー選手たちに浸透したのと同じように、です。

(それと、私がテレビに出ていた頃、専門家ではない方々からもいろんな批評や批判を受けてました。なので、私が逆にスポーツについて部外者の立場で評論してもバチは当たらないと思います)

27分の2つのキック選択

 「ナントの敗戦」での評論すべきプレー選択を挙げるとすれば、私は27分に松田力也が試みたドロップゴールを選びます。この時は、ドロップゴールがチャージされ、後ろにこぼれたボールを松島幸太朗が戻って確保。そこからハイパントを試みるもアルゼンチンにキャッチされトライまで持って行かれた、あの場面です。
 論点は2つあります。まず、松田力也はドロップゴールを試みるべきだったのか。もう1つは、そのあとのアンストラクチャーの状況で、松島はハイパントを選ぶべきだったか、です。
 まず後者について。これは、松島がハイパントを自分でキャッチできていれば、良ければ松島がそのままスピードに乗ってゲインできてますし、悪くてもブレイクダウンになり、あの乱れた局面でも日本は態勢を立て直せていたはずです。その意味で、あの選択が間違っていたのではないか、と論じるのは単なる結果論かもしれません。ただし、キックでボールを渡したことが失点につながっていたあの試合を象徴する場面であったことは言えます。

ドロップゴールを試みるべき場面だったのか?

 次にドロップゴールを試みた選択です。
 あの時はラブスカフニがシンビンとなって1人少ない状況でした。しかしそのペナルティからのペナルティゴールをアルゼンチンは外しました。シンビンは10分間の退場ですが、ペナルティゴールで約1分使いましたから、残りは9分。さらにアルゼンチンが10mサークルオフサイドの反則を犯し、日本は敵陣でボールを保持することができるようになりました。

 この時、私は現地で、「そのまま敵陣で時間を使え!!」と叫んでいました。ボールを持っている限り、失点することはありません。敵陣でボールをリサイクルし続けることで、ラブスカフニがいない時間を削り取っていくべきだ、と考えたからです。

 この時、1人少ないものの、リサイクルのリズムはよく、流れは日本にありました。松田力也のドロップゴールの試みはそんなときだったのです。

 ドロップゴールであれば成功すれば3点取れます。しかし、ハーフラインからのリスタートになります。

 これは結果論ではないと思うのですが、仮にドロップゴールが成功したとしても、1人少ない状況で、敵陣で押し込んでいるときに、3点と引き換えにハーフラインからリスタートされるのは、賢明な選択には思えませんでした。結局失点につながる可能性があると思ったからです。

 チャージされたことを云々するのは結果論でしかありません。しかし思うのです。アドバンテージが取れていたわけでもないあの場面はドロップゴールを試みるべき場面だったのか、と。攻めきれないかもしれませんが、リサイクルを繰り返して時間を使うべきだったのではなかったのかと。

大切なのは、振り返ったあとで前を向くこと

 あのときのプレー選択が正しかったのか。私のような一ファンよりも、松田力也本人こそずっと考えているでしょう。
 例えば、キックのフェイクモーションだけで、チャージに来た選手を右にかわしていれば、スペースに潜り込むことができ、さらに背後には松島がフリーで走りこんでいたでしょう。ディフェンスを引きつけて松島につなげば、松島→レメキで右にブレイクダウンを作り、左に展開してトライチャンスを作れたかもしれません。

 あるいはブレイクダウンを作り続けて時間を使っていけば、シンビン中に10点も失うことはなかったかもしれません。

 この経験から、彼がどのように成長していくのか、リーグワンでのワイルドナイツの試合を見守っていきたいと思います。

 あの日の試合後の感情はいまでもはっきりと覚えています。美しい青空の下で「すがすがしい悔しさ」を感じたあのときのことは、忘れないでしょう。


 1ヶ月近くが経ちましたが、試合を見直し、自分なりにデータを取ってみると、あの悔しさを自分は全く忘れていないことに気づきました。南アフリカに完敗した2019年とはまた違うかたちで、悔しさが残っています。

 喜びも悔しさもスポーツファンの醍醐味というもの。これがあるからスポーツファンはやめられない。私は、ナントの悔しさを晴らすために、4年後も応援に行くでしょう。空間をともにした選手たちの4年間を、見守り続けたあとで。

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