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愛情

近頃の僕は駄文をタラタラと書くこともなく、
複数の曲で構成される音源の第二弾に収録する曲を書いている。
うわぁ、才能ないなぁ、辛いなぁと感じながら牛の歩みのようなスピードで進行する制作はもはや自傷行為のようにも思えきて、ハートはボロボロ、あまりの傷つきっぷりに心底笑えるが、ドMゆえに快感でもある。
ただのMならとっくに音楽なんか辞めてしまっていることだろう。
現在制作している、この名も無き作品にテーマや狙いなどが仮にあるとするなら"視覚的にクるもの"が目指すところであるが、割とそんなことはどうでもいいような気分でもある。
これに纏わる話は機会をあらためようと思う。

さて、今年のSuhmの予定は11月の都内でのライブを残すのみ、この次はまた来年の11月になるかもしれないので、是非遊びにいらしてくださいね。

つくづく、自分はだらしなく目先の楽しいことばかり優先していて計画性のない人間であると感じることが生きてきた中でよくあったし、今もよくある。
何ならこの先もよくあるのだろうと思うけれども、なぜにそうなるかと言えば僕にはストレス耐性が全くないからだ。
生きていく中でストレスは避けられない。
多くの人が技マシンまたは秘伝の忍法帖か何かで"うけながし"を覚え、それを多用しダメージを最小に抑えて生きている。
しかし願わくば、根本的にストレスのない世界がよいと僕は考えている。
そうでなければ「オレハクルシンデイル、オマエモクルシメ」的な足の引っ張り合いになってしまう。
今の世にカンダタを素直に見送ってやれる人間はそう多くはないだろうと個人的に感じなくもない。
そのために人のいない無人島にでも移住すればよいかと考えたこともあったが、人の世には未練があるので(主に食べ物であるが)無人島生活は僕にはできないと判断した。
ストレスゼロ社会、徹底的にゼロ。
ゼロカロリーが真にゼロカロリーでないことを知ったとき、逆に僕自身が無となりゼロになるような感覚を覚えた。
ストレスは糖質よりも悪であるにも関わらず、ストレスを取り除く医療や飲料などは存在せず、一生つきまとうのかもしれない。
そんな人間に平等に与えられた災厄に対して、僕は恐怖を隠す事ができない。
医者にいけばストレス、太ればストレス、ハゲればストレス、なんでもかんでもストレスな風潮にストレス、さらにそんな自分にストレス。
案外、アンゴルモアの世界滅亡の予言は当たっていたのかもしれない。

では視点を変えて、ストレスのない世界はどんなに美しいことだろう。
老若男女、誰も苦しまず笑い合いながら天気の話でもするのだろうか。
誰かが困れば必ず誰かが助けて、誰かが泣けば一緒に泣いたり励ましてくれたりするのだろうか。
僕が生きている間にそんな世界を見る事ができるだろうか。
しかし、仮に扉を開けるとそんな世界が広がっていたとして、今の自分にその世界に入る資格があるのだろうか。
僕が暖かい世界に魅せられて、その扉の中へ入ってしまったとして、そんな素晴らしい世界をこちら側のようにしてしまわないだろうか。
即答はできない。
少なくともストレスが放つ刺激臭に浸かり、僕は臭気に満ちているに違いない。
それであれば、いつチャンスに恵まれてもいいよう、心清らかであることを心がけよう。
そのために自分も人も愛していこう。
愛こそがストレスゼロを実現する手段なのかもしれない。
世界が愛で満ちれば、ストレスは無くなるに違いない。
そんな世界の実現のためにこの部屋から出来る事はないだろうか。
僕は考えに考えて、こたつの購入を決心した。

つづく

貯金はせず、音源やグッズの制作などにあてたいと思います。 よろしくお願いします。